表情について前回からの続きです。「ふつうで行われている授業などと比較して〈笑顔がたくさんみられる授業〉ならそれで大成功!」大抵の人はそう考えるでしょう。教師だけでなく、たとえば、地域で〈◯◯講座〉などを企画した側の人たちも「今回の企画は前回より参加者の笑顔が見られたから成功だ」という様に判断することもあるでしょう。しかし参加者たちの本物の満足度を得ようと考えたら、そういう判断は甘いと言わざるを得ません。また授業する側、企画する側の自分の本当の力をつけようと思った場合でもそれは同じ、甘いと言わざるをえません。
たとえば終始、こういう様な表情をしている人がいたらどうでしょう。
笑うわけでもなく、かといってつまらなさそうな感じには見えません。講座を喜んで受講してくれている、と判断したらよいのでしょうか。
あるいは、こういう表情をした人がいた場合、その人は〈つまらないと感じている〉と判断してよいのでしょうか?
そういう判断の仕方はお勧めできません。
私いっきゅうは教師を退職してからも、ここ五年ほどのことで計算しても五万人くらいの人たちに授業や講演をして来ましたから、そういう例示に事欠きません。
ある講演の場でわたしが話している間、ずっと怒っている様に見える方がいました。私はいろいろなシーンを写真画像的に覚えている方で、私から見て左手三段目の長テーブルの左端に座っていた男性です。
講演が終了して、主催者側が〈どなたか、いっきゅう先生に質問があったら挙手をおねがいします〉と話した時、手が上がった何人かの人たちの中に、その男性もいました。
その方が語ったことは「質問ではありませんが」と前置いて「今日の講演はとても勉強になりました。いっきゅう先生の話は、今まで自分にまったく無かった視点で、これからさっそく自分の活動に活かしていきたいと思います」という話でした。
「あ〜、怒ってるんじゃなかったのね」
という気持ちが嬉しさをさらに高めてくれた言葉でした。
教師をしてきた頃、夏休みが近づいていた時のことです。※このサイトに関わるものについては、個人情報関連で、人物像・状況などについては脚色してあります
弟妹思いの優しい穏やかな女の子が、暗い表情を続ける日が二日続いたことがありました。
担任として気になったので、一日目にその子の仲の良い子ども達に聞いても、よく知らないということでした。日記を読んでも特に気になることは書かれていません。
二日目、やはり暗い表情だったので廊下にその子が出た時に、そっと「何か悩んでいるのかなって気になるんだけど、少しお話していい?」と語りかけてみました。
場所を変えて聞いてみると〈両親が離婚することになって、自分は母親と出て行くことになった。でもこのクラスが大好きなので、夏休みに入るまでは絶対出ていかないと言い張っている〉という話でした。その時の彼女の気持ちを想うと、今でも目頭が熱くなります。
「授業はたのしく参加できている?」と聞くと『とってもたのしい!』と笑顔を見せてくれました。
その子の保護者の方の離婚は教師にどうすることもできませんが、その子がここで過ごす間、もっとたのしい授業ができるようにしようと、さらに力を入れた日々になりました。あの子はどうしているでしょう・・・
閑話休題(はなしをもどして)
たのしんでくれているのかどうか、表情から読み取ることは、わたしの様な教育のプロでも難しいのです。
ではどうするか?
だからこそ子ども達、参加者に評価してもらうのです。
たのしい教育研究所では
〈たのしさは?〉
5とてもたのしかった
4たのしかった
3何ともいえない
2つまらなかった
1とてもつまらなかった
〈内容はわかりましたか?〉
5よくわかった
4わかった
3何ともいえない
2あまりわからなかった
1ほとんどわからなかった
自由感想、意見をお願いします
という三段式の評価をお願いしています。
回収率は90パーセント以上で、肯定的評価は、ここ1年でいえばほぼ100パーセント、これまでの五年を越す全体の評価でも98パーセント以上です。
〈教育〉は社会の根幹を形作るとても大切な営みです。
自分の経験やカンなどに頼って、教育をすすめることはおすすめできません。
表情はとても大切にしたいことの一つです。
何度も書いて来た様に、学ぶ笑顔を育てることは、たのしい教育研究所の大切なテーマです。
しかしたのしい教育研究所では、笑顔を評価のベースに置いているのではありません。
優しい子ども達は、つまらない授業でも付き合いで笑顔を見せてくれることもあるのです。
自分たちの教育の営みをもっと高みにもっていきたいとしたら〈参加者の表情を授業の評価の拠り所にしてはいけない〉ということも大切なことです。
私もやってきましたが、教師をしている時、毎日毎日とはいかなくても、要所要所で評価してもらうことは大事なことです。
理科を担当している時には、担任の様にしっかりその子たちと付き合うことができず、週に3時間だけということが普通でしたから、1時間ごとの評価をとても大切にして、毎回、上に書いた三段階の授業評価をしてもらっていました。
全員の子どもたちが〈内容がよくわかった〉と書いていても、それでOKではありません。授業内容の評価テストで平均が90パーセントくらいなくては、よくわかったとは言えません。それが確保されてはじめて、子どもたちの自己評価が妥当なのかがわかります。評価には、そういう多重構造的なものも大切ですが、今回は〈表情〉に視点をあてたので、ここまでにしておきましょう。
読んで下さったみなさんからのお便りをたのしみにしています。一緒に〈たのしい教育〉を広げませんか→このクリックで〈応援票〉が入ります!