教員採用試験に出てくる「ドルトン・プラン」と「ウィネトカ・プラン」。提唱したのはヘレン・パーカーストとカールトン・ウォッシュバーンです。ではここで予想してください。この二人の性別は? 先に始まったのはどちらでしょう。覚えるだけの知識は、試験が終われば消えます。けれど顔と人柄が浮かんだ知識は消えません。血の通った社会実験として、この二つを見ていきましょう。
これまでたくさんの教員採用試験の受験生から「こういうようにわかりやすくまとまった資料があったらぜひ欲しいです」という問い合わせをたくさんいただきました。「ゆとりが出てきたら、〈たのラボ〉の教員養成コースの資料をまとめまたいと思いますね」と答えたまま、長年手をつけることができません。もう少ししたら、こういう魅力的な人物たちについてまとめて電子出版したいと考えています。
まず反響が大きいこの記事を加筆しました、ご覧ください(2026-08)
たのしい教育に意義を感じて教師を目指す方達がいます。
ぜひその夢を実現させていただきたいと思っています。
教員採用試験の問題を 「いわゆる知識として」 「テストに出るから覚えておきましょう」 的なものに終わらせるのはもったいなさすぎです。
たとえば教育史や心理学で出てくる人物について、
それが《たのしい教育》と融合するかどうかは別にして
「この人物のこういうところが魅力的だと思うんだよ」 というような学び方ができたらしめたものです。
楽しく生き生き学んだ知識は 記憶の奥に残ります、本当です。
教員採用試験に出てくる人物たちと「試験にでるからおぼえなきゃ」的につきあうのはたいへんです。
たとえばこういう参考書に出てくるたくさんの人物たちを一人一人覚えていくのはつらいことです。

その人物たちは、それまでの教育の中で
画期的なものごとを 提唱してきた人物です。
そして実に魅力的です。
今回は受講している人たち何人かから寄せられた
「ドルトン・プラン」と「ウィネトカ・プラン」についてこんがらがってしまいます
という声に答えて書きたいと思います。
この二つは、試験で最も取り違えられるペアといってよいと思います。
逆にいえば、一度きちんと区別できてしまえば 確実に点になるところでもあります。
🟢 まず〈予想〉です
ドルトン・プランといえば「ヘレン・パーカースト」 ウィネトカ・プランといえば?・・・
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「カールトン・ウォッシュバーン」です。
ではこの二人について、3つ予想してください。
【問1】二人の性別は?
【問2】先に始まったのは、どちらのプランでしょう?
【問3】〈ドルトン〉〈ウィネトカ〉とは、何の名前でしょう?
ア.提唱者の出身校の名前
イ.町(地域)の名前
ウ.「個別学習」を意味する造語
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声に出すか紙に書いてから読み進めてください
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予想を立てた瞬間から記憶への入り方がまるで変わります
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🟢 答え合わせ ★
【問1】 ヘレン・パーカースト → 女性:ドルトン・プラン
カールトン・ウォッシュバーン → 男性:ウィネトカ・プラン
【問2】 先に始まったのは
ウィネトカ・プランは1919年
ドルトン・プランは 1920年 です。
ほぼ同時期といってよいくらいですね。
【問3】 答えは イ.町の名前 です。★
ウィネトカはイリノイ州の町の名前
ドルトンはマサチューセッツ州の町の名前です。
パーカーストがマサチューセッツ州ドルトンのハイスクールで この方式を実施したので、〈ドルトン・プラン〉と呼ばれるようになりました。
二つとも、実際にその町でやってみた記録です。
机の上で考えた理論ではなく、地名がついている。
ここが、この二つを覚えるうえで一つのキーになるところだと思います。
🟢 比較表 ★
| ウィネトカ・プラン | ドルトン・プラン | |
|---|---|---|
| 提唱者 | カールトン・ウォッシュバーン | ヘレン・パーカースト |
| 性別 | 男性 | 女性 |
| 年 | 1919年 | 1920年 |
| 場所 | イリノイ州ウィネトカ | マサチューセッツ州ドルトン |
| 立場 | 教育長(学区全体で実施) | 教師(一つの高校から) |
| 二本柱 | 共通基礎教科 / 創造的活動 | 自由 / 協同 |
| キーワード | 完全習得(マスタリー) | 契約(アサインメント) |
| 個別化するもの | 学習の速度 | 学習の計画そのもの |
混同しないために
ウィネトカは〈速さ〉を個別にし、ドルトンは〈計画〉を個別にした。
🟢 ①ウィネトカ・プラン(1919年)
1919年、ウィネトカの教育長ウォッシュバーン(男性)が ジョン・デューイの著作に触発されて創案し、 管下の小学校・ジュニアハイスクールで実施した個別教授法です。
**「共通基礎教科」と「創造的活動」**の両方で構成されています。
- 共通基礎教科……能力に応じて学習速度を個別化する
- 創造的活動……集団活動を中心に進める
「共通基礎教科」では、生徒たちに教科内容の学習と習得を求めました。 一方「創造的活動」では、生徒たちがそれぞれ異なった関心の度合いで 取り組むことが許容され、厳密な達成目標も到達度目標も設定されませんでした。
この教育プランはアメリカ国内にとどまらず世界的に広まり、 カリキュラム設定の焦点を再考するきっかけとなったことで知られています。
★ここが試験に出ます
ウォッシュバーンのいちばんの特徴は、 **「わかるまで、次に進ませない」**という考え方です。
ある子が習得できていなければ、 学年が上がったからといって先へは進めません。 その子はそこで時間をかけます。
実は、これが後の**ブルームの〈完全習得学習(マスタリー・ラーニング)〉**に つながっていく発想だと言われています。
🟢 ②ドルトン・プラン(1920年)
1920年にヘレン・パーカースト(女性)が試みた新しい教育方式です。
一斉授業を廃して、生徒各自に学習目標を定めさせ、
個別学習を進めていく教育方法です。
生徒は、1か月間にどの科目をどこまで学習を進めるかという計画を立てます。
国語、算数、理科、社会それぞれの教科ごとに箱に分けられ、 学習問題に対する答えや教師への質問を記入するカードが用意されています。 生徒は毎日、学習の進行に合わせて、自分で該当するカードを取り出して自習します。
教師に提出して合格するとポイントがもらえます。 ポイントは**クレジット(Credit)と呼ばれ、 教室の後ろの壁に貼ってある学習進度表(Room Graph)**の 自分の升目を、ポイントごとに指定された色で塗りつぶしていきます。
教師はそれを見て、だれが順調に学習を進めているか すぐに見て判断できます。
学習は個別化され、それぞれの能力や資質に応じて デザインすることができます。
現在では多くの国々の初等教育で、アレンジされながら普及しています。
★ドルトン・プランの〈3つの柱〉
試験ではこの3つがよく問われます。
- ハウス(House) 学年の違う子が混ざった、生活のよりどころとなる集団。 個別学習だけでバラバラにならないための仕組み
- アサインメント(Assignment) 1か月分の学習計画
これは**生徒と教師の〈契約(contract)〉**として交わされます
言われてやるのではなく、自分で約束する。ここがポイントです - ラボラトリー(Laboratory)
教科ごとの専用の部屋。 そこに専門の教師がいて生徒はいつでも聞きにいくことができます
そして、パーカーストがこのプランの土台に置いた原理が **〈自由(Freedom)〉と〈協同(Cooperation)〉**の二つです。
自由なだけではない。ハウスがあり、契約がある。
「ドルトン・プラン=生徒の自由放任」というイメージを抱く受験生もいるようです、自由だけではない、ということもおさえておきましょう。
🟢 ★なぜ、同じ時期に二つも生まれたのか
そうここがおもしろいところです。
1919年と1920年。
アメリカの別々の場所で、驚くほど似た発想が同時に生まれました。
偶然でしょうか?
違います。
二人には、同じ〈先生〉がいたんです。
フレデリック・バークという人物です。
サンフランシスコ州立師範学校の学長で、 第一次世界大戦の前から
「みんなが同じ速さで進む一斉授業はおかしい」と考え
個別学習のしくみを作っていた人でした。
ウォッシュバーンは、若い頃このバークの弟子でした。
そしてバークの推薦で、ウィネトカの教育長になっています。
パーカーストもまた、バークの考えから影響を受けています。
さらに彼女はマリア・モンテッソーリのもとでも学んでいます。
つまり──
バークという土壌からウォッシュバーンという枝と パーカーストという枝が
ほとんど同時に伸びたということです。
そう見ると、二つのプランがこんがらがってしまう、というのも当然といえば当然に思てきませんか。
「似ている別のもの」ではなく
「同じ根から出たきょうだい」だったわけです。
人と人がつながった形で学んでいること、それも教育史をたのしく学ぶコツの一つです。
🟢 実はその二つの流れが日本にも来ていたから試験でも問われるんです
日本の教育とぜんぜん関係ないなら試験で問われることはありません、強く関係しているから出題されるんです。
ドルトン・プランは、大正時代の日本にも入ってきました。
大正自由教育と呼ばれた時代です。
- 澤柳政太郎の成城小学校でドルトン・プランが取り入れられました
- 赤井米吉はドルトン・プランを研究し、明星学園を創立しています
アメリカで生まれてわずか数年で、日本の教育に影響を及ぼしたというところからも、当時の日本の教育者たちの熱量が伝わってきます。
「1920年代の日本にも、こんなに前のめりな人たちがいたんだ」
そう思って年表を見ると〈試験に出るから〉的な教育史とは違って見えてくるでしょう。
🟢 いまの教育とつながっています
どちらも「昔の失敗した実験」ではありません。
いまの教育に、はっきりと受け継がれています。
- 「個別最適な学び」……ウィネトカが〈速さ〉でやろうとしたこと
- 「協働的な学び」……ドルトンの〈ハウス〉、ウィネトカの〈創造的活動〉
- 一人一台端末での学習進度の見える化……ドルトンの〈学習進度表〉そのものです
- 自己調整学習……ドルトンの〈契約〉の考え方
※自己調整学習はバリー・J・ジマーマン(Barry J. Zimmerman)の self-regulated learning の訳語、文部科学省や国立教育政策研究所の文書にあるこれられと関連- 観点別評価の「主体的に学習に取り組む態度」──その中の「自らの学習を調整しようとする側面」
- 中教審答申「令和の日本型学校教育」──「自ら学習を調整しながら」
🟢 ★確認問題(答えはこの下)
何度間違ってもよし。
その都度、答えと自分の予想を照らし合わせて修正していくだけです。
ノープロブレム
- ウィネトカ・プランを提唱したのは誰か。
- ドルトン・プランが実施されたのは何年か。
- ドルトン・プランの3つの柱を答えよ。
- ウィネトカ・プランが個別化したのは、学習の何か。
- ドルトン・プランで、生徒と教師の間で交わされるものを何と呼ぶか。
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声に出すか紙に書いてから読み進めてください
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予想を立てた瞬間から記憶への入り方がまるで変わります
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【解答】
- カールトン・ウォッシュバーン(男性・1919年・イリノイ州ウィネトカ)
- 1920年(マサチューセッツ州ドルトン。ウィネトカより1年あと)
- ハウス/アサインメント/ラボラトリー
- 学習の速度(ドルトンは学習の計画)
- アサインメント(=契約)
🟢 おわりに
その人物の顔と一緒にイメージできること。 単なる知識ではなく、血の通った社会実験として受け取ること。パーカーストとウォッシュバーンの顔を、 私がまとめた資料の切り抜きから載せます。
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