今日発行のメールマガジン『教師は辞めても たのしい教育&映画はやめられない』第177号に板倉聖宣「落ちこぼれる権利」という話を掲載したところ、さっそく反響が届いています。
「今でもかけざん九九ができない」
と語る板倉聖宣の個人的な体験からはじまって、寛容の精神へとつながる、読み応えある内容です。
うしろの部分を切り取ってお届けしましょう。
「あきらめる」というと悪いことのようですが、これは美しい言葉で言い換えると「寛容である」ということです。
外国、特にイギリスなんかでは「寛容」が重要な徳の一つです。
「あの人は寛容の人だ」という様にすごくほめられるんですが、何のことはない、「寛容」というのは「あきらめること・断念すること」なんです。
ヨーロッパで特に寛容ということが大事なのは、もうにっちもさっちも行かないことがたくさん起こったからです。
宗教的な問題があったりなんかすれば「殺されても動かない」という人々がたくさんいるわけです。
ですから、断念すること、それを「徳」という形にしてきたんです。
たのしい教育は単なる方法論ではなく
そのものが目的です。
沖縄から全国へ、そして世界の教育へ
「たのしい教育研究所」です