アクティブ・ラーニング&インクルーシブ教育 たのしい研究授業の実践から

アクティブ・ラーニング&インクルーシブ教育の魅力的な教材を開発しました。たのしい教育研究所の得意とするものの中には「研究授業」のスーパーバイズもあります。数日前にスーパーバイズした研究授業がとてもうまくいったというので、写真が届きました。三月の講座でも取り上げる予定です。

 研究授業は「説明文を書こう」がテーマです。
 〈なぞなぞチョコレート〉を取り上げて、その作り方のレシピをまとめよう、という流れで構成したところ、子ども達も大いに盛り上がっただけでなく、授業研究に参加したたくさんの先生たちも大いに盛り上がったということでした。

研究授業とは 研究授業とは2  たのしい教材は、学年や教科の壁を超えて、またハンディのあるなしを超えて、いろいろなところで笑顔と賢さを生み出しています。
 研究授業とは4

 こういう教材の積み上げこそが、アクティブ・ラーニングやインクルーシブ教育を成功させるカギです。

  はじめに書いたように、別れの三月と出会いの四月をたのしく盛り上げるための「3月5日(日)の講座」でもとりあげる予定です。一ヶ月前には募集を開始する予定ですので、ご希望の方は、しばらくお待ちください!

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夢② 本当の夢は夢のままでは終わらない

 講演などで、いろいろな方たちにメーッセージとして書いたフレーズがあります。
 もう10年くらい前になるでしょう。

 NASAの宇宙探査教育者会議に参加させてもらった時、アメリカの宇宙飛行士が講演の中で語った「Dream is Alive.」と書いたメッセージにインスパイアされて作った言葉です。

nasa Dream is Alive.
 をそのまま訳すと「夢は生きている」となります。
 素晴らしい言葉です。

 その言葉をみたわたしの頭には、その頃わたしの心に芽生えていた「学校を辞めて独立して たのしい教育活動をすすめる」という夢が重なって、新しいメッセージが浮かびました。

 わたしの中に芽生えたこの夢が、いい加減な夢なら消えていくだろう。その夢が本当の夢なら、そのままでは終わらないだろう・・・
 そうやってできたのが
「本当の夢は、夢のままではおわらない」
という言葉です。
 しばらくは、教室の掲示として使っていたのですけど、そのうちにわたしの講演会などでも利用する様になりました。
 そして、そのわたしの言葉に刺激を受けて、夢に向かって進もうという勇気が出たという声もたくさん耳にする様になりました。

 たのしい教育研究所が設立できたのも、わたしの夢が〈本当の夢〉だったからです。そして、わたしの周りにたくさんの人たちが集まりはじめたのも、〈たのしい教育を広める〉という夢を、自分の夢として実現したいと考える人たちが増えてきたからです。
 前回の〈夢は たのしさの方に叶う〉という言葉と〈本当の夢は夢のままでは終わらない〉という言葉はセットです。

 たのしい教育研究所のサイトをご覧になっている皆さんの夢が〈本当の夢〉で〈たのしさの方向〉に叶うことを、たのしみにしています。

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夢① 夢はたのしさの方に叶う

 年も明けていろいろな〈夢〉が広がる今日この頃だと思います。
〈人は夢を叶えるために生きている〉ということもあるくらい〈夢〉は大切なものです。
 たのしい教育研究所も、2017年の充実した活動に向けて始動しています。

 以前紹介した、研究所の今年のキャラクターの周りにも、たくさんの夢が重なってきています。

夢を叶える・笑う
・たのしく学ぶ
・ゆとりをもつ
・充電しながら充実よ
・2年目はいろいろな面で充実を
・仕事も勉強もたのしく
・健康で
・せいいっぱいたのしむ
などなど、これから、さらにたくさんの願いが重なっていくことでしょう。

 これまで講演などで、いろいろな方達に話してきたことですけど「夢は〈たのしさ〉の方向に叶う」ものです。
 本当にたのしいことは、困難なものを突破したり、輪が広がったりetc.
 夢が叶う土壌をしっかりと創っていくことになります。

 みなさんの夢がたのしく叶うことを全力で応援します。

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教員採用試験口利き疑惑問題から〈テストと民主主義〉について考える

 今回発生した沖縄県副知事の教員採用試験に関する口利き疑惑について、いろいろな方達から質面や意見が届いています。これまで、わたしの授業を取材に来てくれたマスコミ関係の方達と数々、名刺交換をしてきましたから、コメントを求める問い合わせもあります。たのしい教育研究所は〈たのしい教育を提案する組織〉ですから、政治的なものから遠合格い位置に身を置いていますし、問題点を指摘して改善を迫る組織ではありません。従って「申し訳ありません」という言葉を前置きして、コメントなどはお断りしています。
 ここに書いた文面は、沖縄タイムス紙が1/18に、この問題を取り上げた翌日に書いたものです。ただし掲載はしばらく日を置いてからにしようと思いました。
 このサイトは沖縄の教育関係のサイトの中ではトップの人気といえる位置に来ましたから、この記事の表層的なものを見ていろいろな問い合わせがくることも懸念されるからです。一週間ほど後の掲載にしたいとおもいます。

 教育行政や教員採用試験のシステム的については、おそらく普通の教師や管理職の方達よりも詳しい方だと思います。テレビや新聞などもほとんど見ない生活をしていますから、口利きがあったのかどうか、わたしはわかりません。しかし2007年に沖縄県で発生した〈得点計算のミスの問題〉以来、受験生の得点は明らかにされるシステムになっていますし、誰か一人の意図で順位を上下できる様なことはできません。
 ここでは「試験・テスト」というものについて根本的なところが考えてみたいと思います。

 今回は〈口利きで合格させようとしたのかどうか〉が問題になっていますが、歴史を学べば「過去に戻るほど、そういうことは茶飯事だった」ことがわかると思います。
 口利きどころか〈殿様の子どもは殿様で農家の子どもは農家〉という様な時代は、おじいちゃんのおじいちゃんのおじいちゃんの時代くらいですから、大昔のことではありません。
 もっと遡れば、「氏姓(しせい・うじかばね)制度」といって、特権や役所の仕事は、その一族で独占していった時代もありました。
 力の強いものが王となって、自分の思うままに命じていた時代もありました。
 裏側で口利きして、どころの話ではなかったのです。

 まだまだその途上とはいえ、わたし達の社会は〈口利き〉などで人の人生を左右するのではなく〈広く平等に一人ひとりを大切にする方向〉に向かって進んでいます。

 わたしが学校現場で教師をしていた頃、学期末のテストが続いている中、六年生の子から質問されたことがありました。

「先生、どうして勉強しなくてはいけないの?」

 その子はクラス役員もするくらいで、みんなにも慕われている子でしたし、混乱させるために意見をいう様な子でもありません。その子の質問をきっけに、クラス全員にこういう趣旨のお話をしたことがありました。

「いろいろな答えがあるとおもうけど、大きな答えの一つは〈自由にたのしく暮らしていくことができるから〉ということだと思います。
 社会でも勉強してきたけれど、昔は〈力が強いかどうか〉で、幸せを左右していた時代がありました。戦争の強い国の王様は隣の国と戦争をして、その国の人たちをどれいの様にすることもできたんです。
 時代が進むと、戦争などではなく、一族が特権をにぎる、という時代になりました。そのうちに、殿様の子どもは殿様で、お百姓さんの子どもはお百姓さんだ、という時代になりました。
 いろいろな見方はあっても、それぞれの時代は、前の時代より暮らしやすい時代になっていたと思います。だって江戸時代は大変な時代だという人たちもいるけれど、〈突然知らない人たちがやってきて村を焼き払い村人全員を奴隷としてさらっていく〉という様なことは許されない社会になったからです。戦争する力はない人たちも、一人の人間として暮らしていける様になっていたのです。
 ところで今の時代はどうでしょうか?
 殿様の子どもは殿様でしょうか?
 社長の子どもは社長でしょうか?
 沖縄県知事の子どもは沖縄県知事でしょうか?
そういうことはありません。
 力が高いものがその力で自分の進みたい道に進むことができる、という時代に着実に近づいていると思います。

 その高めた力を示す一つが〈テスト・試験〉です。
 試験なんてないほうがいいという人もいるかもしれないけど、希望者全員OKっていうのは困ることもあるんです。たとえば、希望者が全員お医者さんになって病院開いていいよ、ということになると大変でしょう。
 お医者さんになりたいという人たちは〈医師国家試験〉があります。
 それだけではなく、ある会社に入りたいという時には〈入社試験〉があります。
 先生になりたい時には〈教員採用試験〉があります。
 自分の力を評価してほしい、という時にその試験を受けることができるのです。
 つまり〈暴力が強いか〉とか〈お金持ちかどうか〉とか〈お父さんお母さんが両方揃っている家庭で育てられたかどうかか〉とか〈男か女か〉とか〈父親がどこかの社長かどうか〉とか〈結婚しているかいないか〉とか、そういうことではなく、たとえばこの人は「医者として人々を救う力をもっているかどうか」で勝負できるシステムです。
 試験が苦しいと思うと、ついつい「こんなものなくなってしまえ」と思うこともあるかもしれないけれど、試験は〈人間が平等に勝負できるシステム〉として人間が考えだした〈すばらしいシステムだ〉という見方もあってよいと思うのですけど、どうですか?

 

 シーンと聞いてくれた子ども達でしたけど、その顔は、テストを前にした苦しそうな表情ではありませんでした。

 テストというのは、民主主義を支える協力なシステムの一つでもあるのです。

 今わたしは教師を早期退職して「たのしい教育研究所」を設立しました。学校現場には身を置いていませんが、あの時、子ども達に語った想いは、今も全く同じです。
 賢く力のある子ども達をどんどん育てたいと思っています。
 そういう子ども達が、この社会をさらに平等に、たのしく豊かなものにしてくれると思います。

 教員採用試験を突破したいと頑張っている人たちが、この「試験システムのすばらしさ」に気づいて、自分のいろいろな夢を実現できる様な〈力ある子どもたち〉を育ててもらいたいと思っています。

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