生産性の問題について考える

 たのしい教育メールマガジンには〈ア~ルとたのしい教育〉というミニコーナーがあって、けっこう人気があります。その中から少し紹介するところから話をはじめましょう。

 ある時、必要なプリントを構成してを印刷キーを押して珈琲を注ぎに行ってもどるとア~ルがこのポジショニング。プリンターの中に小さな生き物がいるに違いないと考えている様です。
 

 必然的にこういう表示が出ることもあります。

 スポーツたのCafe用のゲームづくりで、トランプ使ったスポーツゲームをためそうとすると〈また何かおもしろいことするんでしょ〉と参戦します。
 なかなか試すことができません。

 私いっきゅうが机で仕事をしていると、そばに来てみています。そのまま私の机で眠ることも多いので、広い机はア~ルにゆずって、一段下がった狭い机にノートなどを移動して筆記することも多々あります。

 このサイトで最近紹介した球体の色付けの時も〈また何か面白いことしてる〉とばかりに傍にきて、いろいろな素材で遊び回ります。ペンキなどひっくり返すと大変ですから、カバーしたり配置し直したり、結局ア~ルを別な部屋に連れていったりして時間も工夫も必要になります。

 数ヶ月前でしたか、〈生産性の無い人たちに税金を投入するのはどうなのか〉という様な趣旨の発言がニュースになりました。わたしは基本的にテレビもみませんし新聞も読まないので事実誤認があったら「そういう発言があったらとしたら」という意味で読み進めてください。

 〈生産性〉で評価するとしたら、ア~ルはどうなるでしょう。
 自ら教材を作ってくれるわけでもありませんし、印刷の手伝いをしてくれることもありません。
〈ネコの手も借りたい〉という時でも、たのしく走り回って遊んでいます。
 手を貸さないどころか、たとえば印刷するにも手間がかかりますし、教材づくりでも余計に時間がかかります。
 わたしのペーパーワークも窮屈な状態ですすめることも多いので作業効率的に言えばマイナスです。
 その発言の人物が言えば〈無生産的〉かつ〈非生産的〉と切ってすてられるのかもしれません。

 ちなみにア~ルは切られて倒れた役者の格好も得意です。

 閑話休題

 実体を生み出すことも大切なことは間違いありません。だからといって「〈工場〉の様な生産システムがあれば全てよし」というものではないでしょう。

〈物体〉や〈実態〉を生み出すより、ずっと豊かなものを生み出すことがあります。実態が無いために評価が難しいところがあるのですけど、実態がないだけにかけがえのないものだと思います。

 その人が何かを作り出したり修理してくれたりするというのではないけれど、その人がいると優しい気持ちになれる、暖かい気持ちになる、笑顔になる、話しをしていて元気が出るetc. 

 人間というのは、物だけでなく、それを含めた感性や感覚に包まれて生きています。
 一個のパンを食べる時でも、友人がいたら、それを半分にして一緒に食べたい気持ちになるステキな生き物です。実際、一人で全部食べるより、その半分の方が美味しく感じるのは間違いありません。

 その人は〈何かを作り出せる、生み出せるから良い〉という見方は〈作り出せる、生み出せないからだめだ〉という様に判断することになります。

 そういう〈物〉を超えた豊かさや素敵さ、その存在のそのものの尊さを感じていける、寄り添っていける存在でありたいと思っています。
 教師として親としてならなおのこと、その見方・考え方は重要になるでしょう。

 ヤンチャするし、物を倒すし、食いしん坊だし、叱られることもあるア~ルですけど、ア~ルは研究所に来る人たちと一緒に遊んだり、その人を笑わせてくれたり、たのしく元気にさせてくれます。
 教材の買い物をしてくれて、明日届ければ間に合うのに、ア~ルの顔を見にと、学校帰りに寄ってくれる人たちもいます。
 特に用はなくても、ア~ルに会いに研究所に行きたいという人たちも出て来ます。
 生産性という一方向的な視点では切って捨てられていまうかもしれないア~ルは、たのしい教育研究所の欠かせない一員です。

 多くの人たちにそういう見方・考え方をが広がっていれば、生産性の発言は、あえてメディアを賑わすほどのこともなかったのに、と思いつつ、このサイトを綴っています。
 RIDE( ライド:たのしい教育研究所 )は、そういう見方・考え方のできる先生たち、保護者のみなさんを育てていこうと考えています。

 たのしい教育は単なる技法・ノウハウではありません。人生全体に関わるもっと大きな体系です。みなさんの応援クリックがRIDE(ライド)を強くします。この〈いいねライン〉をクリックすることで〈たのしい教育研究所〉への「応援票」が入ります☆いいね☆

たのしい教育研究所のたのしい放課後講座〈沖縄市出前児童館10月〉来週からスタート!

 たのしい教育研究所が月に一週間、沖縄市の子ども達に実施している放課後講座〈沖縄市出前児童館〉は毎回だい好評の内容をおとどけしています。
10月は
  ・10/15(月)ちばな公民館
  ・10/16(火)ごや公民館
  ・10/17(水)のぼりかわ公民館
  ・10/18(木)ひやごん公民館
  ・10/19(金)まつもと公民館
   16:00~18:00
に実施します。

 今月のメニューは

〈フロアーボルダリングで遊ぼう〉
足が速くなるかもしれない絵本〈ぼくのジィちゃん〉
たのしいものづくり〈かいがらジェル〉

です!

 リーフをごらんください。

すべて無料でたのしむことができます。
親子での参加も歓迎します。
また大人一人ならボランティアスタッフとして参加可能です。

興味のある方は、遠慮なくご参加ください!

 毎日たのしい教育に全力投球、RIDE( ライド:たのしい教育研究所 )です。

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最新技:球体の色付けにスプーンが最適/分子模型や惑星モデルを色付けする時も

 来週の天文観測の講座は天体が苦手な人も興味がないという人たちにもたのしんでもらえる内容を準備中です。講師側のテーマは〈生き生きとイメージするたのしい天文観測〉です。
 その中で使おうと夏休みの講座ぶりに〈惑星モデル〉の作成を始めています。

 前回はWelcome-Catのア~ルは居なかったのだなとはっきり分かるのは、いろいろ素材を出していると「また何か面白いことが始まったぞ」とペンキや発泡スチロール球で遊びにくるからです。


 そのままはじめるとア~ルも白ネコでなくなって部屋や服がとんでもないことになってしまうでしょう。
 ということでア~ルは別な部屋に退散してもらって準備を再開。
 ア~ルを避けて準備しなくてはならない色付けははじめてのこと。

 今回は〈球体の色付け〉、たとえば惑星モデルや分子模型に色付けする時の画期的な技法が見つかりました。

 大量に色付けする時には〈どぶ漬け〉といってペンキの中に球体を沈めてしまうことが多いのですけど、最後のあたりでは必ず球体がうまるくらいのペンキが残ってしまうのでもったいなく、何個か色をつける時にはさらにペンキの無駄が大きくなります。
 その時にはスプーンを使うととてもうまい具合に色付けできるだけでなく、慣れてくればペンキのロスがほとんどない状態で塗り終えることができますよ。

1.まずペンキを適量プラコップに移して濃さなどを調整します

2.球がしっかりのるほどの大きさの使い捨てスプーンにペンキをとって、その上で球体を転がします。
 今回は発泡スチロールなのでツマヨウジで刺して転がしています。それが無理なら、スプーン二本で上下にはさんで転がすとよいでしょう。ただし乾かす時にそのまま置かなくてはいけないので色ムラが出てしまいます

 スプーンの中で、上も下もまんべんなく転がしていってください

3.全部に色がついたら洗濯バサミで立てて乾かします

 

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頭打ちのネット情報と書籍の復権-簡略版

  果てしないほどの知識の宝庫と思えていたインターネットの世界が実はすでにそうでなくなってしまっていて、古いと思われていた本などの実体をもった書籍の方が広く深い情報や感動を提供しているのではないかということを一~二年前から感じています。

 それは私の勘違いや一過性のものかもしれないと思いながも、一つの予想としてあえて書いておきたいと思います。
 このことは、以前からメールマガジンにしっかりまとめようと考えているところですけど、ずるずると2年近くが経ってしまいました。
 そこで簡略版として公式サイトにまず載せて、みなさんからのご意見を待ちたいと思っています。

 誤解しないでいただきたいのですけど、単に懐古主義で〈新しいものに懐疑的〉で〈古いものこそすばらしい〉と考えているわけではありませんし、そういう考え方の人たちとは立場も目指すところもかなり違っているのが私いっきゅうです。

 それからインターネットやコンピュータのことをあまり知らなくて語っているわけでもありません。
 わたしがパーソナル・コンピュータ(パソコン)を学び始めたのは1970年代からで、実際手にしたのは1980年代初頭です;日本でその歴史がはじまった頃と期を同じくしています。


 今のパソコンの性能は〈64ビット〉といって、同時に処理できるデータが2の64乗(2を64回かけた数)個のタイプがいくつも出ています。つまり〈18,446,744,073,709,551,616個〉のデータを同時に処理できるのわけです。
 しかしはじめに私が手にしたパソコンは8ビットといって2の8乗(2を8回かけた数)個、2×2×2×2×2×2×2×2=256個の処理能力でした。しかもアプリケーションはわずかでしたから、自分でプログラムを組んでたのしんでいくことが主の機械です。
 それでも日本で初めての頃のパソコンですから価格は150万円くらい、新車が買えるくらい高額でした。

 パソコン通信が利用できる様になると、今は知っている人はわずかだと思いますが〈音響カプラ〉という機器をつけて楽しんでいました。もちろんインターネットが普及した時には、それをいち早く導入しましたし、当然このサイトはその延長線上でお世話になっています。
 ですから、どっぷりと浸ってきたに人間として感じていることだと受け取ってください。

 ただし私の様な意見は読んだことも耳にしたことがないので、反対の意見を持っている人たちもきっと多いと思います。それぞれの予想だということと、もしかするとネットと書籍がお互いの良さを広げていく過度期だということかもしれません。
 お付き合いください。

 私の趣味の話からさせてください。
 このサイトは「たのしい教育」を普及する目的で、その方法や発想、哲学などを綴っていますから、それに関わらないわたしの個人的な趣味について書くことはほとんどありません。
 実は私いっきゅうは、かなりの車好きで、それはバカがつくほどです。
  webサイトで車の情報を見ない日はありません。

 そうやって、たとえば新車情報を眺めていくと、しばらくして、書かれている内容がとても似通っていることに気がつきます。

 下の三つの記事はそれぞれ全く別なサイトに存在するもので、アップされた時期も異なっています。
 中を読むとそれらはとても似通っていることに気づくと思います。


 多くの人が「それはメーカーからの情報を元にしているから仕方がないではないか」と考えることでしょう。
 そうです、まさにそこがインターネット(Web)のもつ落とし穴なのです。

 無限に思えるほどの情報が広がると思っていたインターネットが、実はソース(情報源)が一致してしまうことが多く、目新しい情報がみあたらなくなってしまう状況がすでに起こっています。

 それは私にとって衝撃でした。

 ニュースもそうです。
 独自の解説を深く書き込んでいるところはあまりなく、ほとんど似た様なニュースを焼きまわしている様に見えます。

 しかし、本や雑誌の新車情報は、これらよりずっとしっかりしています。

 趣味から離れて、わたしが専門にしているカウンセリングについて見ていくと、これもネット情報と書籍情報は遥かに差があります。
 すでにLEAPカウンセラー養成コースのテキスト案ができていますが、web上の情報のみではテキストの構成は不可能で、いくつかの流派の専門書を入手して、細かい部分を読みながらLEAPカウンセリングの独自性を確認していきました。
 web上の情報を確かな拠り所にするのではなく、そのカウンセリグの専門家、権威がまとめたものに当たることは必須です。

 どうしてこういうことが起こっているのか?

  わたしの結論は〈ネット情報は基本的に無料だから〉ということに帰着します。無料故の焼き回しがあちらこちらで起こっているのです。
 そのうちに、無責任に書いているものがとても多くなっていき、どれが本物なのか、簡単にたぐりよせることが難しくなっているのです。
 webの〈まとめサイト〉などはその最たるもので、誰がどう責任をもって提供しているのかさっぱりわかりません。

 ネットの膨大な情報の中に、きっと冴え渡ったものがあると思います。しかし特に新し目の情報に関しては、その比率が低すぎる。

 書籍はお金をとって提供するものがほとんどです。
 いい加減に書くと売れませんし、事実誤認で裁判になることもあります。わたしのカウンセリングの師匠が関わった本は、カウンセリングの学びになる迫力あるもので、それなりに売れたのですけど初版で廃版になりました。そこで扱った事例に仮名で出て来た女性から訴えられたからです。一部でも気を抜いてしまうと、そういう事が起こるメディアが書籍なのです。

 それに対してネット上ではウソ情報、デマ情報が氾濫しています。最近では「フェイク・ニュース」という言葉もよく聞く様になりましたし、ネットの情報の8割はウソ情報である(→こちら)という話もあるくらいです。そこまでいってよいのかわかりませんが、かなりたくさんのいいかげん情報に囲まれていることは間違いないでしょう。

 本などのリアル情報は、web上のあやふやなものとの差が歴然としています。もちろん全部では無いにしても、著者はかなり調べた上で書きますし、〈読んでもらってももらえなくてもかまわない〉という様な考え方、発想を綴ることはほぼありません。
 何しろお金をとって提供するわけですから。

 この私のメールマガジンもそうです。
 たのしい教育を応援する寄付金として月額800円という費用を出してもらっているわけですから、大したことないというようなものを書くわけにはいきません。
 もちろん公式サイトも真剣に綴っていますが、何しろそれにかける時間と集中力が違います。
 お金をとるということは、書く側にそれだけの責任を要求するものです。必然的にweb上の文章と比べてグレードは高くなってしまうのです。
 ましてやネット上のまとめサイトなどに代表される様に、誰が書いているものか分からない様なものと違って、作者も出版しているところも明らかにして綴るわけですから、責任の所在も明らかとなり、その点からもいい加減なものは書くことができません。

 頭打ちとはいえ、無料のネット情報・電子情報の存在そのものは、とても大切なものだと考えています。
 書籍を一つずつ開いて目で読んで確かめていくことと比べたら、まるで光速であるかの様にたくさんの情報の中から検索して結果を出してくれる電子情報の利便性はかけがえのないほど重要です。
 アメリカの牛の頭数を、書籍や何らかの資料からアナログ的に探し出すとなったらどれだけ時間がかかるかわかりません。しかしインターネットのおかげで瞬時に探しだすことができます。

 これがフェイクあるいは間違いがあるデータかもしれませんから、いくつか別な資料と照らし合わせる作業もさっとできますし、ある程度英語が読み書きできればアメリカで出されている生の資料にあたることもできます。
 これは州ごとの牛の頭数です。
 
 ネット情報は現在のところ〈頭打ち〉に見えているのですけど、しばらくすると洗練されて、さらにより深いリサーチをもった情報がどんどん登場していき、〈無料のネット情報でこれだけのものが出て行くのだから〉と、書籍もさらに高く深いグレードになっていく。そうやって、もっと知的財産が高みに登っていく、そうなっていくことを心から期待しています。

 このたのしい教育研究所のサイトもその一翼を担えることができる様、充実した内容を提供していきたいと思っています。

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