おかし作りの画期的な手法〈クイックッキー方式〉

 RIDE(ライド)のミエ先生が広めてみれたクイックッキー(ネーミングもミエ先生)という手法があります。

 わたしは子ども達と〈ちんすこう〉をつくるときにその方法でやっていましたし、時々おかし作りをするときにもこの方法です。キッチンのよごれも減りますし、混ぜる入れ物や洗い物なども激減するのでこれ以外の方法は選択肢にありません。

 メルマガでミムラ先生の「クイッキッキー方式〈ばばばあちゃんのカレーパン〉」を紹介したところ、はじめてみたという方から「すばらしい」という便りが届きました。

 メルマガのその部分を少し紹介しましょう。

 クイックッキーの技法がわかると思います。

 

クイックッキー方式〈ばばばあちゃんのカレーパン〉

 

1.キッチン用ビニール袋に基本の生地とカレー粉&塩を入れて練り込みます
△個人的好みで〈ミックスベジタブル〉は入れずに作っています

 

①小麦粉100グラム
②ベーキングパウダー3グラム
③砂糖 大2
④卵1個+牛乳で120cc
⑤塩 小1
⑥カレー粉 小2

写真で見ていきましょう
小麦粉やベーキングパウダーなどをどんどん投入。

カレー粉も入れましょう。

 全部入れたら手で練りこみます。ビニールが弱いと感じたら二重にするとよいですよ。

 

 生地が一様になじんできたら、ビニールの下角をカットして袋から生地を絞り出します。

 これは今回はじめて〈たのcafe〉に参加してくれたH先生のアイディアです。

 

 練ったビニール袋の下角をカットすることで、ケーキ作りの時のこういう絞り器を簡易的につくりだしたわけです。

 

これだと、細かい形にも対応できますし、スプーンなどで生地を取り出す必要もあります。また最後まで絞る様に生地を取りだすことができます。これでクイックッキーの手法がまたバージョンアップしました。

 

 ケーキカップに入れたら、ハムやナッツなどを置いて・・・

10分蒸したらできあがりです。

 

いかがでしょう、ためしてみませんか。

 子ども達との関係づくりは、何ごとにも基本になるものです。こういうたのしく賢くなる時間を増やすことは、子ども達と関係作りをするときに、とても大切なことになると思います。

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首里城と雲とうどん

 首里城のことはショックだけれど、歴史的に見ても我が琉球は灰の中から強く立ち上がることは間違いない。

  とにかく人が命を落とすとか、そういうこがなくてホントによかった。


 今度作るのにいくらかかるんだろう?
 せっかくなら、今度は地下にもいろいろ作って、もっとおもしろいものにしたいものだと話していたところ、幼馴染のHくんからいろいろ情報が入った。
 これから作る費用は◯十億円という様な話になっているけれど、あの頃からの工事費の高騰を考えると、それでは収まらない。
 加えて資材の仕入れと宮大工の確保と困難な状況はいくつも重なる、という話。
 ちなみにHくんはわたしの建築関係の教育プランなどにも的確なアイディアをくれる人物、全国的な大手建築会社の沖縄支社長をしていて、その言葉はかなり確かでしょう。
 地下にいろいろな施設を、というアイディアにも「確かにおもしろいけれど、その場合は〈地下に埋まっているだろう文化遺産をどうするか〉という問題になるな」という話。
 そういうことを乗り越えて、琉球の民のしなやかな力を示したいものだ。

 後日、重要な書類の発送があって郵便局に行くと、真っ直ぐに敷き詰められたような雲。
 首里城を構成していた原子分子たちがただよっている、沖縄の空。
 

 これはめずらしいなと、4~5分車を走らせて別なところから撮ると扇子のように広がった雲の形をみせてくれた。


 どういう頭の回路なのかわからないけれど、突然〈丸亀のうどん〉が欲しくなって、いつものようにネギたっぷりで食べてきた。
 残念なできごとがあったら、まず食べるということなのかもしれない。


 ということで、元気に仕事に戻ろう(´ー`

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学校の教師を辞めて本当に良かった!/仲間たちと新しい世の中を創る始めの一歩

 以前の資料が必要になって、画像データをいろいろ開いていたら、ブレインノートに書き込まれた文章が画像として出てきました。
 教師を辞めて五年目(今から二年くらい前なのかな)、読んでみて、新鮮なものを感じています。

 

たのしい教育の日々

 

 今週はいろいろな方たちと会って、あたらしい取り組みについての話し合いがたくさんありました。
 併せて、これまでたまりたまった教材や資料、電子データの整理をはじめています。
 退職した頃なのでしょう、うれしいことにたくさんの花や記念品が届き、数々のメッセージが添えられデータがたくさんみつかりました。
 2012年という日付をみて〈わずか5年前に退職したのか〉とあらためてびっくりしています。

 5年というと沖縄では一つの学校で勤務している平均的な長さです。
 もしもあのまま辞めずにいたら、こんなにも充実した人生を過ごすことができただろうか?

 たのしく過ごせたかもしれません。
 
しかしこんなにたくさん〈やりたいこと〉ができたかと問えば、否。

 毎週毎週、みなさんにメールマガジンを発行することもなかったでしょう。沖縄県内のほとんどの離島まで足を運んで授業することも無かったでしょう。
 いい仲間たちに恵まれて、タイミングよくチャンスをつかみ、たくさんの笑顔を感じる日々に、あらためて愛おしさを感じています。
 こういう1日1日を大切に、これからも歩んでいきたいと思います。


 そういう日々の中でも、たのしい教育研究所(RIDE)はいろいろな活動が有機的に絡み合い、いろいろな可能性が生まれ、新たな可能性に向けて活動がすすんでいきます。

 これは先日、RIDE(ライド)のワークショップで教員採用試験合格を勝ち取った人たちが、訪ねてきてくれた時の様子です。
 この人たちが、たのしい教育研究所(RIDE)の活動をさらに広げてくれるでしょう。

 

 このワークショップそのものも、たのしい教育研究所(RIDE)の初期から構想していたものではありません。
 ある先生のアイディア・構想がいろいろなメンバーのアイディアや想いと有機的に絡み合い窯変(思ってもみなかったおもしろい変化)し進化した一つです。
 たのしい管理職試験のワークショップも開催し合格率100%という結果も出て、今は〈たのしい教育に興味関心があります〉という高校の先生も参加しています。

 今はもう「あの時教師を辞めてなかったら」と考えることはほとんどなくなりました。逆に教育公務員をしていた過去が二、三十年前の様な遠い遠い過去の様に思えます。

 それでも、その問いかけは重要な意味があります。

 もしあの時その決断をせず、〈楽な〉つまり私にとって慣れ親しんでたのしく過ごすことができる小学校教師という道をそのまま進んでいたら、という問いかけは「もしも今、この決断をしなかったら」という問いと直結します。
 やるかやらないか、それが重要な岐路だと感じたら〈やる〉という決断ができる様でなくては、教育という万丈なシステムの改革などできるわけがありません。

 このサイトを読んでくださっている皆さんをはじめとして、たくさんの方たちに応援してもらい、RIDE( ライド:たのしい教育研究所 )は今日も元気に活動しています。これからも応援を、よろしくお願いします。

 一緒に活動したいという皆さんがいたら、ぜひまずメルマガからご購読ください。メルマガもおかげさまで好評で元気です。

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名文を味わおう/高村光太郎「山の秋」/少しだけ父 光雲のことを

 このサイトで以前、リトル・フォレストと高山光太郎の「山の春」について紹介した後、「映画:リトル・フォレストをみたくなりました」「リトル・フォレストをみてみます」という便りが届いています、嬉しいことです。
 名文は人生を豊かにしてくれます。受験生は合格にも近づきます、と書きましたが〈学校教育〉の中で、もっと〈名文を味わう授業〉を増やすことが大切だというのは、私の信頼する伊良波さんが熱く語っていることでもあります。

 暑い沖縄も秋がしっかり近づいてきました。
 今回は高村光太郎の〈山の秋〉を紹介します。

 高村光太郎の父親は彫刻家 高村光雲、有名な人物です。

 父親光雲にはたくさんの筆録(光雲が語ったものを別な人が記録したもの)があります。江戸時代の暮らし色濃い中、明治という文明が人々に広がる様子を生き生きと感じさせる味わい深いものです。
 RIDEに学びに来る先生たちは、社会科が苦手です、嫌いですという人も多いのですけど、〈高村光雲〉の筆録によって〈単なる知識〉から〈生きている人々・胎動する社会〉を感じることができる様にもなるでしょう。
 いつか紹介したいと思います。

 今回は以前紹介した高村光太郎の〈山の春〉と対になる〈山の秋〉という作品を味わってみましょう。
 高村光太郎その人については、前回の〈山の春〉を紹介した頃から、かなり調べてきました。
 文学者や芸術家の多くに見られる様に、光太郎その人も虚構に彩られた部分がかなりあることもわかりました。残念なことでもありましたけど、少なくとも私が紹介した〈山の春〉そしてこれから紹介する〈山の秋〉について虚構はないでしょう。
 瑞々しく、優れた文章だと思います。

 山の春も山の秋も、光太郎が有名になった後、東北に招かれて一時期暮らした時に執筆されたもので、光太郎が東北出身だったわけではありません。
 すでに20回くらい読んでいるのですけど、読むたびに〈映画:リトル・フォレスト〉を観たくなります。
「青空文庫」の活動に敬意を評して、引用させていただきます。

 ※  ※
 

山の秋
高村光太郎

 山の秋は旧盆のころからはじまる。
 カッコーやホトトギスは七月中旬になるともう鳴かなくなり、何となく夏らしい勢が山野に見えなくなってしまい、たんぼの稲穂がそろそろ七月末にはきざしてくる。
 稲穂の育ってくる頃、山や野にツナギという恐ろしいアブが雲のように出て人馬をなやます。
 山に入る人は肌をすっかり布でつつんでそのアブにさされるのを防ぐが、馬なども木につながれた縄をふりきってそのアブから逃げる始末で、その頃にはよく離れ駒が小屋の前をかけぬける。
「馬こ見なかったかね」と時々村の人にたずねられた。

 稲の穂が出そろうと、たんぼの手入は一段落で、あの苦しい草とりも終り、ちょうどその時旧盆の農休みがくる。
 旧盆は農家にとって一年中のたのしい一週間で、まず餅をつきご馳走をつくり、先祖のお墓まいりをすませ、あとは盆踊に興じたり、村の青年たちは野球に夢中になったりする。
 旧盆には農家で供養をいとなむ。わたくしの居た部落でも、毎年輪番で当番をきめ、どこかの家に花巻町の光徳寺さまの和尚さんを招き、部落中の人が集ってお経をあげる。お経のあとでは持ち寄りのご馳走や、般若湯の供養でたのしい一夕をすごす習慣になっている。
 和尚さんは五里の道を自転車でとばして来て、汗を入れると明るいうちに大きな立派な仏壇の前で読経にかかる。農家の人たちもそれぞれに輪袈裟のようなものを首にかけて揃ってそれに和する。読経がすむと、かねて備えのお膳を大きな、ぶちぬきの部屋にずらりと並べ、本家、かまどの順を正して座につき、酒盛りがはじまる。村の娘や小母さんが酌にまわる。いい頃を見はからって和尚さんはみやげを持って又自転車で町にかえる。あとは又さかんなおふるまいになるのである。
 「田頭さんへ」とか、「御隠居さんへ」とか、屋号や通称をよび立てて朱塗の大きな盃のやりとりが行われ、いかにも歓をつくすということになる。
 盆踊は大てい山口部落から一里ほどのところにある昌歓寺という大きなふるいお寺の境内で行われる。もとはススキとツツジの大原野であったが、今は見わたすかぎり開墾された開拓村の一本路を部落の人たちははるばる昌歓寺まで踊りにゆく。
 秋とはいってもまだ日中はなかなか暑いので、わたくしはそこに行ったことがない。時とするとその流れが山口部落まで押してきて、部落の小学校の校庭で踊のあったこともある。
 平常ご馳走らしいご馳走もたべない村の人たちもお盆中はいろいろのご馳走をつくって一年中の食いだめをする。わたくしもよく方々の農家から小豆餅やなまり節などをもらった。例の白いのもさかんにのまれる。この白いのはうまく出来たのは何ともいえずうまく、甘味と酸味とがよく調和して、やわらかでしかも強く、囲炉裏のわきでひとり静かに茶碗でのむ趣はまことに最上の法楽であるが、又これの出来そこないとなると実にすごい。思いきり酸ぱく、しぶく、しかも度が強くて、のむと腹の中がじりじりと焼け、胃の中でまだ醗酵をやめないのでさかんにおくびが出る。そんなのでも村の人たちは酔を求めて浴びるようにのむから、山村の人たちの間では胃潰瘍が非常に多い。胃ぶくろに孔があいて多くの人が毎年死ぬ。酒なしには農家の仕事は出来ず、清酒は高くて農家の手が届かず、やむを得ぬ仕儀ということである。

 いったいに農家の酒ぶるまいというものは徹底したもので、まずその家によばれると、いちばんさきに軽い御飯が出る。いろりのへりで、みそ汁につけものぐらいで一、二杯飯をくう。そして煙草をのみながら客同士が雑談にふける。その時間が相当に長く、よばれた時間から大てい三、四時間は遅れるが、その間に頭数が揃ってくるのだ。

 やがてお膳がずらりと並んで席がきまると例の通りの盃のやりとりが儀式のように始まり、それがだんだん乱れて来て、席から立って大きな銚子と、外の黒く、内の赤いうるし塗の大きな木盃とを持って、ふらふらと客同士が往来をはじめる。そのうち主人側では奥から大太鼓を持ち出す。それをどんとたたくと、まず音頭とりの声自慢が先にたって、この辺ではおきまりの「ごいわいの唄」というのを合唱する。単調だが、どこかに格式のあるような、相当に長い唄を五段うたう。
 これを唄い終ってからはめいめい得意の唄を声をかぎりに唄いのめし、手拍子かけ声が外の山々に反響するかと思われるばかりだ。その間でも例の白いのはがぶのみだし、少しのまずに居る人を見つけると忽ち主人側の人が無理にものませる。とめる手を押えつけてのませる。奥からは娘さんや小母さんやお婆さんまで列をつくって出てきてさまざまな踊をはじめる。よく大黒舞などというのを見た。客も立って踊り、よろけ、中にはへたばってしまうのも出来る。
 酔いつぶさなければ振舞したことにならないというのであって、わたくしなど幸に酒に弱くもないから、ともかくもふらふらするくらいですむが、いよいよ帰ろうと思って出口に腰かけてゴム長をはいていると、そこへ家人は銚子と盃とを持って追いかけて来て勢こんで又のませる。これを「立ちぶるまい」という。そしておみやげのご馳走を渡される。

 もう夜になりかけたたんぼ道を歩いていると、今の家からはさかんな大太鼓の音と人間のわめく声とが渓流の音を消すようにひびいてくる。いつまでやっているのか、わたくしはまだ見届けたことがない。ただ岩手の人たちは不思議に人が好くて、こんな大騒ぎをしても、ついぞ乱暴な喧嘩をしない。口げんかは相当にやるようだが、関東の人のような手の早いところは八年間に一度も見かけなかった。

 旧盆がすむと世の中が急にひっそりする。草木は生長をやめて専ら種子をつくる方にかかりはじめる。畠では、トマト、ナス、インゲンがまっさかり、小豆や大豆も大分大きくなり、土用にまいた大根ももう本根をのばし、白菜、秋キャベツもそろそろ結球をはじめ、ジャガイモも二番花を過ぎて玉を肥らせ、芋の子もしきりに親いものまわりに数を増し、南瓜、西瓜、南部金瓜はもう堂々と愛嬌のある頭をそろえる。野山に山百合の白い花が点々と目立ち、そこら中に芳香を放つようになると、今度は栗の番になる。
 山麓から低い山にかけて東北には栗の木が多い。栗の木は材の堅いくせに育ちが早く、いくら伐ってもいつのまにか又林になる。そして秋にはうまい栗の実をとりきれないほど沢山ならせる。山口部落の奥のわたくしの小屋はその栗林のまんなかにあるので、九月末になると殆と栗責めである。
 日中はまだ少し暑いが、朝の空気はむしろ肌さむいほどの清涼さ。そのきれいな空気を吸いに朝の戸口をとび出すと、眼の前の地面に栗いろの栗がころころ落ちている。この落ちて間もない栗の実の色とつやとは実に美しく、清潔な感じで、殊にお尻の白いところがくっきりと白く、まったく生きている。しっとりとした地面の上にこれが散らばっている黒と褐色との調和は高雅である。拾いはじめると、あちらにもこちらにも眼につき、繁ったニラの葉の中や、菊のかげ、ススキの根もとなどに光っている。毎朝ざるに一杯ずつ拾い、あとはすてて置く。拾っているうちにもぱらぱら落ちてくるし、小屋の屋根には案外大きな音をたてる。クマザサの中にもばさっと落ちるが、下草のある中に落ちた栗の実はなかなか見つけられないもので、不思議にうまくかくれてしまう。

 山の栗は多く実が小さいシバグリだが、小屋のあたりのはタンバグリとシバグリとの間くらいのもので食うのにあつらえ向きだ。毎日栗飯を炊いたり、うで栗にしたり、いろりで焼栗にしたりする。ぬれ紙につつんで灰の中で焼く焼栗を電灯の下でぼつぼつ食べていると、むかし巴里の街角で、「マロンショウ、マロンショウ」と呼売していた焼栗の味をおもい出す。あの三角の紙包をポケットに入れて、あついのを歩きながら食べたことを夢のように思い出す。あれはフランス、ここは岩手、なんだか愉快になったものだ。
 部落の子供や小母さんらがよくかごを持って栗ひろいにくる。裏の山の南側のがけに取りきれないほど落ちているが、自然にどこの木が一番うまいというようなことがあるようである。栗拾いには随分山の奥の方まで出かけるが、そういう時に時々熊のいる形跡に出あって逃げてかえってきた人がある。熊も栗やドングリが好きで、この季節にさかんに出没する。熊は木のまたに棚というものをこしらえて、そこに坐って食べるらしい。
 秋風は急に吹いてきて、一朝にして季節の感じを変えてしまう。ばさりとススキをゆする風が西山から来ると、もう昨日のような日中の暑さは拭い去られ、すっかりさわやかな日和となって、清涼限りなく、まったく宝玉のような東北の秋の日が毎日つづく。空は緑がかった青にすみきり、鳥がわたり、モズが鳴き、赤トンボが群をなして低く飛ぶ。いちめんのススキ原の白い穂は海の波のように風になびき、その大きな動きを見ると、わたくしは妙にワグネルの「リエンチ序曲」のあの大きな動きを連想する。ススキ原の中の小路をゆくと路ばたにはアスター系の白や紫の花が一ぱいに咲きそろい、オミナエシ、オトコエシが高く群をぬいて咲き、やがてキキョウが紫にぱっちりとひらき、最後にリンドウがずんぐりと低く蕾を出す。リンドウは霜の降りる頃でもまだ残って咲く強い草だ。その頃部落の子供らが野山をかけめぐってさがすのはアケビである。路傍によく食べのこしのアケビの皮だけがうす紫のいい色をして落ちている。これを見つけた時の子供らのよろこびが眼に見えるようだ。子供らがアケビを食べれば、牛や馬はハギを食う。この荳科の植物がよほど好きと見えて牛や馬の飼料に部落の人たちはハギを刈って山のようにかついでゆく。ハギは山野に生いしげるが、ここのはいわゆるヤマハギで赤の色がややうすい。わたくしはミヤギノハギの根を移植して小屋のまわりに繁茂させた。これは赤が濃い。ハギは実に強い草で、落葉を肥料にしてよく育ち、秋にはまっ赤な花を無数につけ、その中に白のまじる風情はすばらしい。白花のハギを殊に牛馬は好むという。その外、秋の野山で目立つのは繖形科の花である。タラの木、ウドなどは巨大な花茎をぬいて空に灰白色を花火のようにひらいている。高山植物に属する花々もそこらにちらばっていて、秋はうっかり路もあるけない。

 うっかり路もあるけないといえば、秋にはマムシが殊に多い。マムシは夏の頃にはおとなしいが秋には気が荒くなるらしく、しばしば攻勢に出る。よく路ばたにとぐろをまいて控えているが、これにあんまり接近するといきなり飛びつく。とぐろを巻くのは攻撃態勢というものらしい。岩手ではマムシのことをクチバミと称しているが、わたくしの小屋はそのクチバミの巣だといわれる林の中に建っているので、マムシとは甚だ親しい。マムシは家族づれでいつもきまった巣に住んでいるらしく、毎年きまった場所に姿をあらわし、でたらめには歩かない。それでわたくしは一度もマムシの難にかからなかった。村の人は時々かまれる。かまれるとひどくはれて二、三週間は悩むようだ。中にはマムシ取りの名人がいて、棒のさきで首根っこをぎゅっとおさえ、たちまち口をあかせて牙をぬき、口からさいてきれいに皮をはいでしまう。まっしろな肉をそのまま焼いて食うらしいし、焼酎にもつける。マムシの生きたのを町に持ってゆけば一匹幾百円かで売れるという。花巻駅の駅前広場にはいつでもマムシの黒焼を屋台で売っている。これはほん物だ。

 秋の紅葉は十月中旬だが、ハゼ、ウルシは九月末にもう紅くなる。きわだってさえた色に紅く染まり、緑の多い中に点綴されるのでまったく目ざましい。やがて村のまわりの山々の上の方から色づいてきて、満山が極彩色となる。雑木林の紅葉は楓一色のよりも美しい。紅、茶、褐、淡黄、金色と木によって色が違うので、この自然の配合が又となく見ごとだ。山口山という三角山の中腹にあるブナやカツラの大木が金色に輝いているのは壮観で、まるで平安朝の仏画を見る思がする。不思議なことに油画ではまだ日本のこの濃度ある秋の色の分厚さを大胆に造型化していないようだ。梅原竜三郎ならやれそうだが。紅葉は木の葉ばかりでなく、足もとの草の葉の一枚一枚を皆貴重品にする。まったく錦をふんで歩く外ない。平常つまらないと思っていたあわれな蔓草までも威厳をもって紅葉する。
 名月は大てい十月初旬だが、うまい月の位置があるもので、ちょうど人間が空を仰ぎ見るのに都合のいい角度で空にあらわれる。わたくしの小屋のあたりから見ると、北上山系の連山、早池峯山の南寄りの低い山のあたりからのぼりはじめ、一晩かかって南の空を秋田境の連山までゆるゆるとわたる。塵ひとつないきれいな空だから思いきりあかるい。風呂に入れば湯ぶねの中にも月光はさし、野に出ればススキの穂波が銀にきらめく。まったく寝るのが惜しくなって、わたくしはよくその光にぬれて深夜まで人っ子ひとり居ない野や山を歩いたものだ。小屋にかえれば西瓜を割ったり、うで栗をむいたり、里芋をたべたりした。そんな晩に一度か二度美しい狐にあったこともある。紅葉がそろそろ散りはじめ、月もだんだんかけてくると、いよいよ茸の季節となる。
 この辺で秋の茸のいちばん早いのはアミノメという茸である。これは傘のうらにひだがなくて、小さな孔が無数にあり、網の目のようになっている茸であるが、小屋のまわりのハンの木などの根もとの落葉の中にひょっこり見つかる。ひとつ見つかると続いていくつも出てくる。時には列を成して草原に並んでいる。この茸はそのまま汁などにも入れるが、糸でつないで乾しておいてよく料理につかう。大してうまくもないが捨てがたい。松原の近所にはハツタケも出るが、東北にはマツタケのいいのが出ない。数も少いが、香りも味も京都方面のには敵わない。この辺でいちばん沢山出てうまいのはシメジ類である。キンタケ、ギンタケというのもその一種で、これは見て美しく、たべてうまい。キンタケは黄、ギンタケは白、椎茸くらいの大きさで、落葉にかくれて一個所に群生している。部落の人はこれを塩漬にしておいて正月の料理用にする。ギンタケのみそ汁は山の珍だ。ムラサキシメジという紫の濃いきれいな茸も出るが、味はさほどでない。クリタケ、ウスタケ、アンズタケ、その他食用になるのがいろいろ出るが、ナメコはこの山には出ない。毒茸も多い。まっかなベニタケ、星のついたテングタケは恐ろしい毒物だし、夜になると燐光を発するツキヨダケというのも出る。椎茸とまちがえられるほどよく似た茸だが、ほのかな異臭があるし、うらのひだが細かい。暗夜木の根株などにぼんやり光っているのを見ると不気味である。イッポンシメジにも猛毒があり、タマゴテングダケは命とりだ。茸の中で殊に珍重されるのはマイタケとコウタケとである。マイタケは深山にあり、一貫目以上もある大きなものもあるが、太い胴体の上部にネズミの足のような手がたくさん出ている灰白色の茸だ。味もよく、だしが出て調理人によろこばれる。マイタケ専門に探してあるいて町で高価に売り、それで一時の暮しを立てているマタギの連中もいるという。コウタケのことをこの辺では馬喰茸といっているが、その名の通り見た眼には恐ろしい茸で、形は傘をお緒口にしたようなものだが、色が黒く、毛だらけで、いかにも馬喰らしい。これも相当に大きくなり、町でよろこんで人が買う。乾しておくといい香りが出て、すまし汁に使える。歯ぎれのよい、食べでのある茸だ。わたくしは茸の図鑑と引きくらべて、「食」とある茸は何でも食べてみた。村の人の食べないようなものでも平気でたべた。老成すると煙の出るツチグリの若いのもたべたし、アワタケもたべた。アワタケは割に大きな、間のぬけた茸で、村の人はアンパンといって馬鹿にしている。いかにもアンパンという感じの、うまくもない茸であるが愛嬌があった。
 秋の鳴く虫は語りつくせない。とにかくあらゆる種類の鳴く虫が一せいに小屋をかこんで夜は鳴く。ガチャガチャの声だけはきかなかったが、これは里の虫かもしれない。東京と同じようにここでもコオロギがいちばんあとに残って雪の頃までどこかの隅でとぎれとぎれに鳴いている。あわれのようだが、又それだけ生命の強さを物語っている。
 十月になると農家ではいよいよ一年の収穫で、たのしい忙がしい日が十一月一ぱいはつづく。まずヒエを刈る。ヒエは穂からこぼれ易いものなので刈り時があるらしい。根から刈って十本くらいを一株になるようにしばり合せて三角形にひらいて立て並べる。これを「しま」とよんでいるようだ。それから粟を刈る。粟は黄いろの穂をゆたかにたれてうつくしい。ジャガイモはもうすっかり掘り上げてしまい、インゲンも、小豆も、大豆もきれいに刈られる。豆をとったあとの大豆の株はたくさん農家の軒下に乾されて冬中の大切な飼料になる。稲の刈入時は戦のようだ。毎日総出で朝から晩まで休む暇もない。天候との競争のように見える。刈った稲束は一たん田の畔に逆さに並べられて幾日か置かれる。それからやがて本式に稲架にかけ並べられる。たんぼの中に太い棒を立てて、これに高く稲束を丸くつみ重ねる方式もあり、又は低く積む方式もある。夜など見るとまるで巨人が立っているようだ。普通は棚のように横に四段にしつらえた丸太に逆さにぎっしりかけ並べる。まるで路の両側に稲穂の塀が出来たように見える。その金いろの稲穂の塀の間の路をゆくと、あの一種独特な、うまそうな稲の香りが強烈に匂ってきて、農家の営みの大半がまず無事に終ったなという大安心を感じさせる。わたくしは町へ用足しに出て帰る途中など、この稲穂を見るのがたのしかった。穂にも大きな粒や小さな粒があり、長いのや短いのがある。穂の種類によるらしいが、ともかくそのむっとするような、母のふところの匂のような、あまいような、香ばしいような芳香の中を歩くのがたのしかった。部落を出はずれて林のかげの自分の小屋の方に近づくと、いつのまにか稲穂の香りの人間らしさは消えて、今度は秋の山々からりょうりょうと吹いてくるオゾンに富んだ微風の新鮮無比な、宇宙的感覚のようなものが胸一ぱいに満ちるのであった。(秋の味覚のリンゴのことは又別に書く。)

底本:「昭和文学全集第4巻」小学館
   1989(平成元)年4月1日初版第1刷発行
底本の親本:「高村光太郎全集第十巻」筑摩書房
   1958(昭和33)年3月10日初版第1刷発行
入力:kompass
校正:門田裕志
2006年11月20日作成
2012年5月29日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。

 

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