安野光雅が紡ぐ言葉の魅力〈絵のある自伝〉文芸春秋社

 安野光雅さんの作品でたしか「絵のある自伝」だったと思いますが、出展については誤記憶かもしれません。わたしのこういうメモ書きが残っています。

一人 黙りの道 長い。

 二人 話の道 短い。

-韓国を旅した時に出会ったおばあさんのことば-

 シンプルで味わい深い言葉です。

 この言葉は、出会った人物が語ったもので、安野さんの言葉ではでない、ということは問題ではありません。この言葉をいろいろな人に伝えようと書に記したのが安野光雅さんである、ということが大事なのです。

 安野光雅91歳。
 この写真は5年前のイベントの公報で利用された時のものですが、軽やかな姿です。安野さんのファンが増えるとよいな。

こちらの「いいね」クリックで〈たのしい教育〉を広げませんか-いいねクリック=人気ブログ!-⬅︎ジャンプ先のページでもワンクリックお願いします

 

 その後 記す

 このサイトを読んで感動した方が、安野光雅「絵のある自伝」を持って研究所を訪ねてくれました。この言葉をめぐっては、わたしが勘違いしていたところがありました。

 旅をしていたのではなく、安野さんが、バス停でバスを待っていた時のエピソードだったのですね。長い文章の中の一節です。切り取ってみましょう。

 安野光雅著「絵のある自伝」文春文庫 734(税込) 単行本 1,674円(税込)

 

羽化したモンシロチョウを自然にかえす 自由研究の仕上げもたのしい

 キンレンカを食べるアオムシを研究所で育てています。この容器の中にアオムシとサナギとが見えますか?

 上の写真から三日後、毎日たのしく観察している研究員のOさんが、モンシロチョウになった姿を発見。
 

 研究所のメンバー近くの野草畑に逃がしてあげまし

 元気に飛び立った姿にみんなニコニコ。

 子ども達にも、こういう体験をしてもらいたいものだと思いました。1日1度のここの「いいね」クリックで〈たのしい教育〉を広げませんか➡︎ いいねクリック=人気ブログ!=ジャンプ先でもワンクリックお願いします!
 

自然をたのしむ達人 甲斐 信枝(かい のぶえ)さん 学校の先生たちへ紹介すると大きな反響

 研究所の所内研修で取り上げた「甲斐 信枝(かい のぶえ)さん」という人物がいます。現在86歳、現役の絵本作家です。

 ホントに根っからの野草(本人は「雑草」と呼んでいる)好きです。
 いわゆるポーズで「雑草が好きだ」と言っているのではないことが、この人の語る言葉や表情、表現からはっきりとわかります。

 とても魅力的な人物なので、学校の先生たちにも紹介しました。これはその中の一枚。

 子ども達は生活科や理科などで、植物のことをたくさん勉強します。けれど、こういう〈たのしさの感覚〉はなかなか学ぶことができないと思います。こういうたのしさを伝えられる先生達を少しずつ少しずつ増やしていきたいと思っています。

 甲斐さんの絵本はきっと学校にもあると思います。いくつか紹介しましょう。

 

 甲斐さんが植物たちとたわむれている様子が「足元の小宇宙」というタイトルでテレビ番組になっています。youtubeなどでも見ることができると思います。1日一回の「いいね」クリックで〈たのしい教育〉を広げませんか-〈人気ブログ〉いいねクリック⬅︎ジャンプ先のページでもワンクリックお願いします  

 今週のメールマガジンでも取り上げる予定です。購読者の皆さんはご期待ください。メルマガの注文⇨ こちら(クリック)

必要性も知らず計算するような人間ではいけない

 最新号の〈たのしい教育メールマガジン〉に書いている記事を少しUPさせていただきます。仮説実験授業研究会代表・日本科学史学会会長 板倉聖宣が語った内容です。数学教育協議会(数教協)で語った内容ですが、相変わらず迫力満点です。

 たとえば、クラスの平均身長をわり算でだしなさいという問題が出されたときに、なぜ平均身長をださなければならないかわからなければ、平均値の計算をしない方がよいのです。
 もしクラスの平均の身長を出して、そのあと座高を出してイスの大きさを決めるというなら、これはクラスの平均を出す意味がありません。全員が同じイスに座るわけではありませんから。クラスの平均値を出して、その平均値に合ったイスを揃えるなどという発想がおかしいわけです。イスを揃えるなら〈どういう区間に何人の子どもがいるか〉という統計をとらなければいけないのです。
 そのことを知らないですぐに〈わり算〉をしたり〈かけ算〉をしたりして答を出してしまう人がいる。これは困ったものです。
 そういったことをはっきりさせてやれば、こういう場合にはこういうことをしなければならないということがわかってきます。そういう様に、子どもたち自身が「ああ、学んでよかった」ということが授業の途中でわかってくるような、そういう内容をとりあげて教える必要があるのです。
 ところがその点、数学教育というのは、昔から教えることがだいたいきまっているような感じがするのですからいけません。なんとなく教えていて「昔からオレも教わって知っているんだから、これからの子どもも知っている必要がある、どうせ入学試験にも出るんだからなあー」ということになってしまう。

 子どもたちがわかるに値すると思ってこれることを教える。そのことをはっきりさせなければなりません。

1日1度のここの「いいね」クリックで〈たのしい教育〉を広げませんか➡︎ いいねクリック=人気ブログ!=ジャンプ先でもワンクリックお願いします!