たのしい教育Cafeの5月も大いにもりあがりました。
今回、私が「たのしい教育の発想法」を発表する予定でしたが、内容がいろいろあったので次回に回すこととなりました。
発表原稿はできています。
今週号のメールマガジンにまとめた一部をとりあげた内容の抜粋です。
それをレイアウトして印刷してみてびっくり。
A3版のびっしりと埋まった内容が2枚になりました。
メールマガジン全体はこの写真の約2倍以上になりますから、我ながら毎週毎週かなり書きこんでいるのだなぁ、と感心しています。
今回のたのCafe用に抜粋したレポートは、板倉聖宣が30年前に書いた記事を文字起こししたものです。
今でも色あせしない、迫力に満ちた内容です。
たとえばこの一文を読んだだけでも、わたしは身が引き締まります。
————–
私は子どもたちが「楽しい」と感じることの中には必ず本質的な理由があると思っているのですが,時によってはその楽しさの理由を勘違いするという可能性があります。
子どもたちだって,
「何でこれが楽しいのかわからない」ということがたくさんあります。そしてさらに,その楽しさの結果起きるかもしれない事態についても考えておかなければなりません。
ベッコウ飴で虫歯になるかもしれないし,火傷などのいろいろな事故が起こるかもしれない。そうなったら,ベツコウ飴を教えることによって,よりすばらしいものを教えるチャンスを逆に奪う可能性だってある。
だから私たちは自分たちの思いに引きずられることなしいつもクールに,そして責任を持って行動できるようでありたいと願っております。
したがって,私たちの研究の仕方そのものが仮説実験授業の形態のようでなければならないのです。
たんに授業の中で問題を出し,予想をたて,討論し,実験するというだけでとどまるのではなし私たち自身の問題を出して予想を立て,いつもビクビクしながら実験の結果を見つめる。
そして,「ああ,自分のこの考え方でよかったんだ」と確認したり,「いや,ここは間違っていた」ということを確認したりして進んでいくのです。
————–
たのしい教育研究所の、その「たのしさ」が、しっかりと責任のとることができる上質なもの、教育的に重要な内容のあるものかどうか、丁寧に確かめながら、一歩ずつ歩いていきたいと思っています。
Kiyuna筆