仮説実験授業研究会代表 板倉聖宣が「社会科は何のために学ぶのか」について語ったことの続きです。まだ読んでいない方は、一つ戻ってお読みください。
それぞれの考えを出していただいた上で、板倉聖宣がどのように語ったか、引用してみたいと思います。
2000年11月11日〈関東地区 私立小学校研修会 社会科部会〉での講演の中にあった言葉で、私自身がとても影響を受けた一文です。※写真は沖縄に来ていただいた時のものです
社会科の教育は〈今の社会に役立つ知識を教える〉というだけでよいのか?
これは、これまで社会科であまり問題になってきませんでしたが、これからは問題になっていくと思います。
何かというと「未来の社会に関する事を考える」ということです。
未来の問題についてあらかじめ予想を立てておくことができます。
たとえば〈老人問題〉です。いま老人問題は深刻ではないけれど、始まりつつあるでしょ。また、私立学校なんかだと倒産するかも知れないという問題があります。これはもうすでに現実の問題になっているかもしれませんね。未来は見えないから、予想することしかできません。
今のゴミの問題は清掃局に行って調べたりすることができますが、未来のゴミの問題は見えないわけですから、未来を見る方法、未来を知る方法を知らなければならない。それは科学を学ぶことなのです。
たとえば「今までの株価は右肩上がりだったからずっとこのまま右肩上がりで進んでいくだろう」と思っていたりするわけだけど、未来は現在の延長線上にあるとは限りません。バブル現象というのは現実の問題としていつも観察できるわけではありません。しかし、バブル現象が少し昔にあったし、もっと昔にもあったし、未来も起こるという可能性があるならば、教えておく必要があるのではないか。つまり〈未来の見方・考え方〉の教育が必要ではないか、ということです。
今までの教育では〈未来を見る〉ということがすごく弱かったと思います。しかし、今、そのことが大変大事になってきたと思うのです。なぜ大事になったかというと、未来が見えるようになっているからです。それも、現在の延長ではないような未来が見えてきてしまう。
たとえば、子どもが少なくなって年寄りが増えたために、少ない子どもでうんと多い年寄りを面倒みなければならないという種類の問題があります。これはほとんど現実の問題に近くなっています。
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