仮説実験授業を世に送り出した板倉聖宣が他界して2年経ちます。教育に乗り出す前は科学史の専門家で、亡くなる時も日本科学史学会の会長をしていました。そして沖縄の〈たのしい教育研究所(RIDE)〉を強く応援してくださった大切な人物であり、実質的にたのしい教育の哲学や方法の多くは板倉聖宣に源をたどることができます。次号のメルマガ用に綴り始めている部分を少し紹介しましょう。
数年前の仮説実験授業研究会ニュース(2021-07)に、私いっきゅうが仮説実験授業研究会の中で注目している重弘忠晴さんが「仮説実験授業研究会50年史」として綴った一節があります。庄司和晃さんというのは、仮説実験授業の黎明期に活躍した重要な人物です。少し読みにくい部分が出て来ますけど、お付き合いください。
庄司和晃
私事にわたって恐縮だが,当時,この授業の発想者である板倉聖宣氏とさんざん議論した。科学とは何か・科学を教えることの意味は何なのか・目的は? 内容は? 等々についてである。その頃,私は「支配理論に立脚した理科教育観」というものを理論と実践の双方について,ひととおり組みあげていた時であったから,勢いも乗っていた。しかし,議論では(板倉先生に)ぴしゃぴしやっとやっつけられることもしばしばで,何としても言い勝てない。
だが,どうしてもコレゾ・コレナンダ・コレコソというものがわからない。
頭ではサモアランとわかりはするものの,何としても腹底にひびくものがない。トドノツマリはどうなんだ,という一点がどうしてもつかみきれないのだ。
そうしたあげくに,また,科学って何なのだ・科学教育とは何か,ということをむしかえしていくしまつであった。が,今でもあざやかに思いだす。
1963 年11 月23 日,明星学閣の研究会に参加した帰途,板倉氏と一緒に上廻昭氏宅に泊った。翌朝,ふたたび同じようなことで議論しはじめた。その折に,である。板倉氏は,次のように言った。
科学教育デハ、自分ガスパラシクナッタトイウコトダ。
ソシテソレガ認メラレルヨウナモノデナケレパナラナイ。科学ノ教育デノ、自然ヲ見ル目・自分ノ〈力〉がスパラシクナッタトイウコトデアル。
相手(科学者)・対象(自然)ノスパラシサヲ認メノレコトデハナイ。
これが,ぴーんとひびいてきた。
自身の体が一挙に組織がえされたような思いであった。他人様からみれば単なる一私事であるのかも知れぬ。が,私にとっては棘をぬいたような感じであった。
私たちが提唱しているたのしい教育は、もちろん子どもも教師も〈たのしい〉と体感してくれる教育です。そしてその中で子ども達は〈自分自身の素晴らしさを発見〉し、教師は〈教育する自分の素晴らしさ〉を体感してくれる教育です。
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