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必然的にたのしさを求めるのが教育

 国立政策研究所の板倉聖宣が1968年2月 大阪箕面市での講演の中でこういうことを語っています。

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例えば, ある人たちは
「子どもたちがかしごくなればよろしい。 その ためには, 勉強がつまんなくてもかしこくなればよろしい」と考えます。
  「もともと勉強というのはつまらないものであるから, それでも耐え忍んで勉強させなければいけない」 とこういうふうにも言い ます。
 また, ある人は
 「そうではない。 たのしく勉強しなければ, 勉強 というのは身につかないものだ。 身につけさせるためにも勉強というのはたのくしなければいけない」 と言います。

  おそらく すべての人が 一致するのは
 「子どもたちがかしこくなる。 知識が増え, いろいろな 判断力がつくようになる」
ということだと思います。


「勉強というものは楽しいものだ, いろいろな知識を身につけたりしてかしこ
くなるということは楽しいことだ」 ということを身につけることが,社会に出て自分自身で学びとる底力を作る。だとすれば, 「 たのしく勉強する」 ということがひとつの目的ではないか。

「教育の目的としてのたのしさ 1992年秋 四條畷小学校研究会資料」より

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 たのしい教育研究所が目指すのは、子ども達がたのしく賢くなる教育です。

 子ども達が無味乾燥に学ぶのではなく、嫌だというイメージの中で学ぶのではなく、その魅力を感じつつ学ぶ。
 それでなくては、生きた力・課題を突破する力は身につかないと考えているからです。
ごく一部、試験に勝ち残る人には意味があっても、教育は広くたくさんの子ども達の豊かさ・幸せを相手にしているのです。
 必然的に、一人ひとりの子ども達の喜び、学ぶ過程そのものがたのしさである教育を目指さなくてはいけません。

 幸い沖縄にも、それに賛同する人たちがゆっくりと増えてきています。
 ますます元気に取り組む、たのしい教育研究所です。

 たのしい教育、楽しい授業、本気の教員採用試験突破に全力投球の「たのしい教育研究所」です。