板倉聖宣「知的好奇心について」/他人の喜びを自分の喜びに できることを発見したら やめられなくなる

 新しくメルマガを購読し始めたAさんから「発想法の〈好奇心論〉がとてもよかったです」という便りが届きました。嬉しいことです。
 このサイトでも少し紹介しましょう。

メルマガの発想法の章は、こういう説明から始まっています。

(前半部略)
 そこでこの章では、私が30年以上板倉聖宣の文章を編集してきた経験を活かし、板倉先生本人から直接頂いた本や大会などで入手してきた講演記録などを中心に〈大胆に校正して〉お届けしています。〈板倉聖宣本人はこう語りたかった〉という内容になっているはずですし、すでに同じテーマの別資料を読んでいた読者の方からも「この編集はとてもわかりやすい」と好評を得ています。

 また、これまで執筆してきた板倉聖宣について私のガリ本などを板倉先生自身が高く評価して下さっていて「原子論者の人生論」の執筆取材の時「自分 (板倉)の書いたり語ったりしたものなら、仮説関係の他の人ができるだけ傷つかない様に配慮してもらえば紹介してもらってかまわない」と許可をもらっています。※ここで取り上げるものは古い原資料からの電子化が多く出典をたどる事ができないものも有りますのでご了承ください

 

いっきゅう筆
 今回の板倉聖宣の話は心理学的な話で、私が何度も読み返した中の一つです。もともと私は心理学系でしたから、ここでテーマになっている〈知的好奇心〉については数々の本や論文を読んで来たのですけど、板倉先生の知的好奇心論はとても新鮮でした。
 RIDEがうまくいっているのは、板倉聖宣が語っている様に、私いっきゅうが優等生ではなかったということ、そして〈他人の喜びを自分の喜びにできる人たちがRIDEに集まっているから〉です。
 おとどけします。

 

たのしい教育の発想法
「他人の喜びを自分の喜びにできることを発見したら、やめられなくなる」 板倉聖宣 1991-08京都

板倉聖宣
 私が〈授業書〉を作るときは一週間でパーっとやる、他のものを投げ出してそれに集中するんです。
 やってあと体を壊すのも気にしない、くたびれたら一週間休めばいいんです。
 それができるかできないかで大いに違う。
 私なんかよりはるかに秀才の同年輩の科学者なんか見てると、そういうことができないんですね、そこが決定的に私と違っちゃう。
 私はもともと科学の歴史が専門ですから、その分野でも結構いい仕事をしたと思うんですが、私は仮説実験授業が始まったとたんに他の仕事を全部捨てて取り組んだんです。
「俺はいいことをやったなぁ。こういうことは他の優等生にはなかなかできないから、やっぱり俺は優等生ではないなぁ」と思います。
 ほとんどの人には、他のものは捨てるなんでできない。

 

 この前〈学術会議の何とか委員〉というのを除名になったんです(笑)。その学術会議何とか委員っていうのは、すごく名誉な職らしくて、それにへばりついているという人もいるらしいんですけど、私から見れば仮説実験授業のずっと大発見だと思うから除名されても気にならない。

 自分の活動について〈かなり確かだ〉という確信・予想があって、その確信・予想が当たって、多くの人たちの喜びを実感できると、やめられなくなるんです。

 実は私たちの仮説実験授業というのもそうなんです。

 仮説実験授業の本を読んだりして「ああ、これは楽しそうだな、自分がこういうことを勉強したら楽しいだろうな、うれしいだろうな」と思っている段階では病みつきになれません。私の本をかなり系統的に読んでもならないでしょう。ところが授業をやって〈子どもたちの喜びがわかる〉、その周りの〈お父さん、お母さんの喜びがわかる〉、そうなるとうれしくてやめられなくなるんです。

 最近よく〈知的好奇心〉がテーマになっていますね。
 その時「自分の知的好奇心が高まる、満足することが大事なんだと」という話になりがちです。けれど私は知的好奇心について、今までの心理学者たちが書いたものには反対なんです。
 ほとんどの心理学者は「知的好奇心っていうものは個人的なものだ」という前提で書いているのですけど、それは間違っています。
 個人だけだったら、分かったってつまんないことはたくさんあるんです。
 私が他の人たちより多くの仕事ができたとすれば、それは学生時代から私の研究した成果を聞いて、すごく喜んでくれた人たちがいたからです、私以上に喜んでくえれる人がいたからです。
 1人や2人じゃなくて、1人10人いや100人、1000人、いやl万人10万人といる。将来を見れば1億とか2億とかいることを感じることができます。

 サイトではここまで

 

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たのしい海岸散歩/海岸を歩く楽しみの一つ〈タネをみつける〉

 先日、海岸を歩いているとこういうものを見つけました、何でしょう?

 海岸に打ち上げられた〈タネ/種子〉です。

 何の種子か?

 アダン(タコノキ科タコノキ属)の種子です。

 アダンについてはこれまでいくつか書いてきました、沖縄で馴染みの植物です、たとえば→https://tanokyo.com/archives/15332

 海岸を歩くと、実はいろいろなタネを見ることができます。

 海水で発芽できる植物はほとんどないので、海岸に打ち上げられる1000個のうちに運よく発芽できる環境に身を置くことができるのは1個あるかないかでしょう。

 見慣れている人には簡単でも、馴染みのない人たち、子ども達は大抵、名前を特定(同定どうていという)することは難しいと思います。
 そういう場合は〈漂着種子〉というキーワードで検索してみてください。

 たくさんのサイト(記事)がみつかります、今現在googleで92万件です。

 沖縄の漂着種子を調べたい時には〈沖縄 漂着種子〉という様に2つのキーワードを打ち込んでください。

 さてアダン(タコの木)のタネに戻りましょう。

 このブラシの様になった部分を見ると、男の子の頭にも見えてしまうのですけど、実用的に利用できるんですよ・・・

これはかなりパサバサになってしまっていますけど、墨をしっかりふくませれば筆がわりになります。

 実際、まだ柔らかい状態のものなら商品化されています。500円くらいです。

 こうやって筆の先にしている人もいます。

 身近な海を歩くだけで、たのしい発見がいっぱいです。
 寒くなりましたけど、厚着して出てみませんか。

 わたしが教師をしていた頃は、一年を通して子ども達と何度も海岸に出ていました。今でもその頃の子ども達から「先生、海散歩、とってもたのしかった」という便りが届くほどです。

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たのしいメールマガジン最新号から〈うっかりさん〉向けの役立つ実験/カピカピのスティックのり

 最新のたのしい教育メールマガジンで紹介したミニ実験を紹介しましょう、メルマガの読者の皆さんから高評価でしたから、きっとこのサイトの読者の皆さんにも役立つと思います、うっかり置きっ放しにしてカピカピになった〈スティックのり〉の実験です。あわせて他のメニューもご覧ください。

 発想法の「他人の喜びを自分の喜びにできることを発見したらやめられなくなる」はまさにRIDE(ライド)の活動そのものを示した言葉です。

 映画「US」もおすすめです、怖いですけど。

〈スティックのり〉の実験成功
 授業の章に書くほどではないのですけど伝えたい発見があります。
 RIDEでは〈ステッックのり〉をよく使います。合格WSの解法ノートも切り張りノリ付けしますし、教材づくりでの切りはりもあります。

 このスティックのりって、何時間か空気にさらしていると縮んでカピカピになります、すると硬くなってノリとして利用することができません。

 これを元に戻せないかなと思って実験してみました。写真はありませんが、硬くなって太さが2/3くらいになってしまったスティックのりです。

 カピカピになるというのは〈スティックのり〉の中の〈水/H2O〉が空気中に飛んで行ってしまうからです。
 それなら水につけておけばよいではないか、と何となく考えていたのですけど、なかなか確かめようという状況が整いませんでした。

 そもそもそんな単純なことでは戻らないかもしれません。
 何しろノリの中心部からも〈水/H2O〉が逃げてしまっているので単純に水につけてもどうにもならない、ということになるかもしれませんし、プラスチックの様に硬くなったのりは、そんなことでも戻らないかもしれません。〈湯〉とか〈薬剤〉にということでやっと戻るということも考えられます。
 しかに何しろ大切なのは「予想チャレンジ」です、まずは、水につけて様子をみましょう。

 

1.カピカピのスティックのりを本体から上に出し、水を入れたフィルムケースに入れてみました。

 

2.何時間かして取り出してみると・・・
 戻りすぎるほど元の状態に戻っていました。もう少し早めに取り出した方がよかったな。

 それにしてもあまりにも簡単に使える様になりました。

 空気に触れていくうちに膨らみすぎた部分からH2Oがまたとんでいきさらに使いやすくなりました。

 私のような〈うっかりさん〉でない人たちには無用な知識かもしれませんけど、子ども達の中には私の様に同じような失敗をする人たちもいると思います、この方法、ぜひ広めてください。

 

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たのしい確率の話③/宝くじに当たる確率と交通事故にあう確率

 前回の「宝くじで1等が当たる確率より年間に交通事故で死亡する確率の方が、約300倍高い」という話のどこが基本的に間違っているのか、という話に、いろいろな返事がきています、うれしいことです。
 何がどう間違っているか、謎解きをしましょう。

 宝くじに当たる確率は確かに低いので、それを誇張したいためにこういう比較を出しているのでしょう。しかし基本的な間違いがあります。

 前回紹介したサイトでは、この二つを比較していますね。他のサイトでも実際こういう数字で比較しているものをいっぱい目にすると思います。

a.宝くじを1枚買って一等が当たる確率は、0.0000001(=0.00001%)

b.日本の人口は1億2675万5千人です(総務省統計局ホームページより)。年間の死者数を日本の人口で割ると、交通事故の年間死者数日本の人口=3,694126,755,000=0.00002914=0.002914%

C.従って宝くじの1等に当たるのは交通死亡事故の1/300というほど低い

というわけですね。

ところがよく見てください、宝くじ(a)は〈1枚買った時の確率〉、交通事故死(b)は〈一年間〉ですよ。
 まずこれが決定的な間違いです。

 多くの人はほぼ毎日(365日)、家から出て道路を利用しているはずです。会社の中で働いている人も行きと帰りの二回は道路に出ている。これを宝くじ的にみれば〈宝くじを1日に二回買っている〉という考え方もできます。
 ドライバーとして仕事をしている人は、毎日何時間もずっと車を走らせているわけですから、1日何枚も宝くじを買い続けているという言い方もできる。
 しかも交通事故の統計(b)は一年間のうちに交通事故で死亡している人の数ですよ、いったい何回、危険な道路に出て行ったことかわからないくらい多い。
 もしも比較するとしたら最低でも300日(回)危険な行為(道路に出た)をしたということで、それをかけなくてはいけないことになるはずです。
 もろちん私が見落としている大きな変数が存在している可能性もあります。

 逆にみると、宝くじを一年間毎日買い続けて1等に当たる確率を出して比較すれば、いくらか本当の数(比較に耐えうる数)に近づくことになります。これも宝くじを何十枚も買う人と、10枚のみの人などいろいろあります。一枚だけ買うという人はあまりいないでしょうから、毎日10枚くらい買い続けるとすると、(a)の数を300×10=3000倍くらいして、やや比較してよいかもしれない数に近づいていく。

 それでも〈宝くじの1等に当たる確率は交通死亡事故に会う確率の何百分の1だ〉という様な確からしい数でいえるわけがないのです。

「違うものを比較することはできない」といっているわけではありません。
 たとえばサイコロで偶数が出る確率とコインの表が出る確率は同じだということができます。
・サイコロで偶数が出る確率  3/6=1/2
・コインの表が出る確率 1/2

ところが〈d.サイコロで偶数が出る確率〉と〈e.コインをなげてカラスに当たる確率〉とを強引に計算して、cがdの確率より◯◯倍高いという様に数字で表現することはとても難しいのです。そもそもコインを投げてカラスに当たる確率の計算自体、何を分母にすればよいのか深く考えていかなくてはいけません。
 難しいとはいえ、条件が統一できれば計算は不可能ではありません。

〈フェルミ推計〉といって、一見すると推計できない様なものでも「これはこうだと想定して、次にこうだとすると・・・」という様にしておおよその数字にしていくおもしろい考え方があります。そうやって条件が近くなる様にすり合わせていくことで「だいたいこうだといえるかもしれない」という説明は可能になるでしょう。
 それでも不完全な想定ですから、数字としてはっきり◯倍という様な計算ではありません。

 少しやってみましょう。
 ジャンボ宝くじでいえば1等は1000万枚に一枚ですから一枚買ってそれが1等である確率は〈1/1000万〉です。
 1日の交通死者数は10名くらいいます、悲しいことです。日本人の人口は1億2000万人くらいですから、1日の中で交通死亡事故にあう確率は〈10/1億2千万〉=〈1/1200万〉、宝くじで1等と交通死亡事故とはほとんど同じくらいの数に見えてきます。※ただし1日の交通事故と、1枚の宝くじを比較することはできないということは頭に置いていてくださいね

 話を戻しましょう。
 何が根本的な間違いなのか、それははじめに指摘した様に
「宝くじは1枚買った時、交通死亡事故は一年間」という、条件が途方もなく違うもの、そもそも統計的な比較が成り立つのかも不明なものを計算して〈宝くじに当たる確率は低いですよ〉といっていることです。
 私は宝くじに夢を見るタイプではありませんけど、だからといって、宝くじの当たる確率を必要以上に低くしてはいけません。強引に比較しても、交通事故で死ぬ確率より高いはずです。
 このサイトを読んで〈宝くじ協会〉がRIDEを応援してくれるとよいな ´ー`)

 確率的な見方考え方は、人生のいろいろな問題を考える時の突破口になります。
 確率の見方・考え方は確実に〈たのしい教育プラン〉になると思っています。チャンスがあれば手掛けようと思っています。
 もちろんその時には、教科書的なものではなく、人生の問題を解いてみたくなる様なものにしたいと考えています。

 今回の3つの話で興味を持った方は、ぜひ自分でもいろいろ学んでくださいね。

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