作文・論文入門/相手の心が動かされるのかが勝負です

 たのしい教育研究所の活動の一つに〈論文・作文・文章〉のワークショップがあります。教育関係者だけでなく、いろいろな試験に向けて取り組みたい方もいますし、仕事上いろいろな文章をまとめたり、あいさつものの多い役職についた方達からアドバイスや構成を依頼されることもあります。〈論文ドクター〉というのがたのしい教育研究所の〈いっきゅう先生〉という名称と同じくわたしの肩書きの一つです。

 今回もたくさんの方たちの文章に手を入れています。
 自分が忘れないために記す文章もあるかもしれませんが、相手のいる文章に関しては、まず相手の心に響くことが大切です。
 これまでたくさんの文章を読んで来ました。
 一般的に〈整った文章〉や〈的確な文章〉が良いと感じている方も多いかもしれません。しかし、それは必要ではあっても十分な条件ではありません。
 文章というのは、読む側の心にどう届くのか、ということです。
 その意味でも、正直に思ったことを書けばよい、というのは大きな勘違いだと思っています。そして、そういう特訓の中で、文章が上達していく人たちがどんどん増えています。

 沖縄県の教員採用試験も一次の合否が8月初旬でわかり、二次試験で論文が出題されます。合格を目指す皆さんは、出題された問題のキーを掴むとともに、試験官の心を動かすことのできる文章をねらってください。

 合格して現場で教師になったとき、子どもたちへ書く文章、保護者の皆さんへのお便りを書くときにも、きっと大きな力になるはずです。
特訓を受けたい方も気軽にお問い合わせください。

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チガヤの花ゆれる夏の公園で/植物たちの小さな世界

 小さな世界を私たちに見せてくれた重要人物の一人 レーウェンフックさんは、いろいろなスケッチを残してくれています。これは木の幹を詳しく観察した様子です。

 小さな世界を切り開いたもう一人の重要人物 ロバート・フックさんもオジギソウの観察をしてスケッチを残しています。葉の一枚一枚に記号を書いてあるのがわかるでしょうか。植物とは思えないおもしろい動きをするオジギソウの不思議さを解明しようとしたのでしょう。

 開発中の「小さな世界」でも、植物の様子を観察します。
 近くの公園に行くと、チガヤの綿毛がいっぱいでした。

 その中は花ひらいているものがありました。
 動画でごらんください。
 チガヤはイネ科の植物です。「花」といってもカラフルなものではありません。風媒花といって、風に花粉を運んでもらうタイプなので、虫や鳥たちに目立つ必要がないのです。これが花だとは思えないかもしれませんが、イネ科の花はほぼこういう感じです。

 

 たの式けんび教があれば、こういう小さな花の観察も、とても簡単にたのしめます。きっと授業を受けた子どもたちは、小さな世界の精巧さにおどろくことでしょう。今回の〈りゅうぎんキッズスクール〉の授業は定員に達してキャンセル待ちとなっていますが、要望があれば、いろいろなところに出かけていっての授業も可能です。日程などクリアーしなくてはならないことはたくさんありますが、興味関心のあるみなさんはお問い合わせください➡︎こちら
 たのしく元気に活動をすすめる〈たのしい教育研究所〉です。
 

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主体的・対話的で深い学び(新学習指導要領)/うるま市の教育講演会に参加した方たちからの便り

〈主体的・対話的で深い学び〉という言葉は、来年度から施行される新しい学習指導要領の重要なキーワードです。先日、研究所近隣の市の教育委員会が主催した講演会に、その新学習指導要領の編成に関わった講師がそのことについてお話をしたとのこと。
 多くの教育関係者がそこに参加し、参加した先生たちから「まるで〈たのしい教育研究所〉のことを語っているようでした」というお話が複数届いています。

 今回は新学習指導要領の〈主体的・対話的で深い学び〉と〈たのしい教育〉との関係について書かせて頂きます。

 おかげさまでたくさんの方がこのサイトを見てくれる様になりましたから、中には学校教育などとは縁遠い方もいると思います。「学習指導要領」というものを知らない方も多いかもしれません。
 学習指導要領というのは文科省が示した〈それぞれの学校でカリキュラム(教育課程)を組む時の基準〉です。少し大きめの書店で入手できますし、文科省のwebサイトでも読むことができます→こちら その中では例えば五年生の算数の中で「(4) 立体図形の体積に関わる数学的活動を通して,次の事項を身に付けることができるよう指導する。
ア次のような知識及び技能を身に付けること。
(ア) 体積の単位(立方センチメートル(cm ,立方メートル(m )につ3 3 ) )
いて知ること。何年生では何を取り上げる、という様な具体的なことが列記されています。etc.」

 サイトを見ていただいてもわかる様に、たのしい教育研究所は教科の枠を超えた幅広い内容を対象に授業や講演活動を実施しています。それは芭蕉の俳句がテーマになることもありますし、フロイトの仮説がテーマになることもあります。宇宙飛行士がテーマであったり、ブラックホールがテーマであったりします。科学的な原理原則をとりあげて大学レベルの内容を幼稚園の子どもたちに実施したりすることもあります。学校の中で〈クラス担任〉として受け持ちの子ども達に授業をしているわけではありませんから学習指導要領に縛られる立場ではありません。
 しかし若い先生たちとのワークショップも多い関係で、それを何度も何度も読んでいます。学校現場にいた頃より何百倍も多く学習指導要領を読んでいます。おそらく普通の学校管理職の方たちよりずっと多く読んでいる気がします。
 ですから新学習指導要領の〈主体的・対話的で深い学び〉というキーワードは何度も目にし耳にし語ってもきました。

〈主体的・対話的で深い学び〉は特に難しいことを言っているわけではありません。
〈主体的な学び〉というのは〈自ら進んで学ぶ〉ということです。
〈対話的な学び〉というのは〈話し合いや討論などが交わされる中での学び〉ということです。
〈深い学び〉というのは〈より内容に深く突っ込んで学ぶ〉ということです。

 ところが「〈主体的・対話的で深い学び〉が成り立つ授業を日頃から実施しなくてはならない」となったら、いったいどうしたらよいのでしょう?
 みなさんはどう思いますか?

 わたしが教師を退職して設立した〈たのしい教育研究所〉は、〈自ら学びたくなり、どんどん対話が生まれ、原理や原則など基本となる深い内容を学び取っていく教育〉をいろいろな方たちに広げたくて設立したものである、と言う説明の仕方もあるほど、〈たのしい教育〉と〈主体的・対話的で深い学び〉は結びついています。

 これは先月実施した沖縄県グッジョブフェアでの授業の様子です。
  「キャリア教育という視点からも〈予想チャレンジ〉が大切」というテーマで、構造力学や生命維持など本格的な内容で授業しました。対象は小学生から大人までです。しかし毎回恒例で保育園に通っている子ども達も参加しています。
 個人を特定しにくいように加工した写真ですけど小さな子も大人も混ざっていることがわかると思います。大人から子どもまで全員が真剣に授業に参加しています。大人も真剣に頭を働かせる中で、子どもたちが手をあげて自分の考えを話してくれたりしています。

 

 これはあるテーマでグループワークをしているシーンです。グループのメンバーがそれぞれのいろいろな考えを出し合いながら話し合っています。

小学校中学年の女の子
「Bより、Fが重要ではない?」
(大人-男性)「どうして?」
「Bは重くて移動が大変で、同じことならずっとFを持っていった方がよいと思うから』
(みんな)「ふむふむ」
(大人-女性)「でもねFよりは、やっぱりこっちじゃない、重要なのは」

という様にどんどん真剣な話し合いが進んでいます。

 これは別なチームの様子です。

 元気な男の子が「やっぱりこれでしょう!」とリードし、「でもさぁ」と女の子が対立意見を出しているシーンでした。
 大人も自分の考えを出しながらも、子ども達の勢いに飲まれています。

 どの子も、どの大人も〈やらされ型〉ではなく身を乗り出すかの様な勢いがありました。授業は小学校の時間単位で言えば二時間近くありましたが、わたしが「そろそろ時間が迫ってきたので、目の前の教材を片付けていただいて・・・」と話しても、なかなか終わってくれないほどでした。
 授業をうけた人たちは、こうやって討論・対話をすすめながら〈生命維持〉と〈状況に応じた対処〉という大切な内容を学んでいきました。そして大人も子どもも一様に自分の力を出し切っていました。

〈主体的・対話的で深い学び〉というのは、たとえばそういう授業だと思うのですが、どうでしょうか。

 結局〈たのしさ〉が基本にあってこその主体性なのです。たのしい教育でいう〈たのしさ〉とは〈知的好奇心〉を高揚させるものです。
 自らの知的好奇心が高まる教材があって、周りにも知的好奇心が高まった仲間たちがいると、人間は自然と〈語り合いたくなる〉のです。そうやって、主体的で対話的な授業が生まれるのです。

 〈深い内容〉を成り立たせるものは何か?
 楽しければ深い内容になるのか?
 わたしはそうは考えていません。
 そこでとりあげられているのが枝葉末節な内容、応用が効くようなものではないものは、たとえたのしくても、〈たのしい教育〉の教材とはならないのです。〈たのしければなんでもよい〉というのではないのです。
 そのものの本質に迫るもの、例えば〈かけ算〉なら、単にかけ算のスピードが早くなったという様なことではなく、かけ算のもつ素晴らしさや美しさ、計算処理の画期的スピードアップといった感動を味わえるものを持ってきてこその〈深い学び〉なのです。

 学校の先生たちでも学級レクなどでたのしむことがあるそうなのですけど、〈◯◯◯◯のギャンブラー〉というゲームがあります。たのしい教育研究所では、たとえ〈たのしい〉とはいえ、賭け事・ギャンブルのたのしさを扱うことはありません。子ども達や大人たちがいくらもりあがっても、〈たのしい教育〉で伝える内容ではないと考えています。
 〈深い学び〉は、そういった〈教育内容・教育哲学〉ともつながっています。
 なので〈たのしい教育〉の教材は簡単には出来上がらないのです。今日も朝から遅くまで仲間たちの協力を得て「小さな世界」という授業プランを作成していました。明日もたくさんの仲間たちが集まって、智慧を出し、その予備実験をしてくれることになっています。
 かつてロバート・フックさんやレーウェンフックさんたちが感動した〈小さな世界〉の魅力を子どもたちが目を輝かせて味わってくれる様な教材づくりがどんどん進んでいます。

 その中に出てくる一つの問題です。
 一連の授業の流れの中で、子どもたちは自分の予想が出てきて、どんどん考えをいう様になってくると思っています。

 ライターがつく前に少しだけ光ってとんで見えるのが〈火花〉です。それが物質なのかそうではないのか、という問題です。ちなみにこの問題は科学の根幹に関わる問題の一つでもありました。

 そうやって作っていく教材の中から〈深い学び〉が成りたっていくのです。それは〈たのしい教育・たのしい授業〉を目指して実践してきたたくさんの教育関係者の実験結果であると言ってもよいでしょう。

 さてここからが肝心です。
 これまで書いてきた様に〈新しい学習指導要領〉が推進する内容と〈たのしい教育研究所〉が推進している内容が同じだからということで注目関心が深まるとしたら、それはいわゆる〈ブーム〉としての広がりに終わる危険性をはらんでいます。時期がくれば去ってしまうものとして、たのしい教育を学ぶ人が出てきたとしたら困ったことです。

 学習指導要領の歴史をひもとくと〈問題解決的な授業〉が大切だという時期があったり〈教育の現代化〉が重要だという時期があったり、教育内容に関しても、〈基礎基本の徹底〉という合言葉で進めて来た時期があったりしました。そのいくつかは、ほとんど耳にしなくなっています。
  たのしい教育研究所が提唱する〈たのしい教育〉がいわゆるブームで上がり下がりするものにしていけません。
〈たのしいからこそ賢くなる〉〈たのしいからこそもっと学びたくなる〉〈たのしさこそ未来を開く〉、その言葉は、これからもずっと長く語られ続け、たとえば50年後100年後に、たのしい教育実践がごく普通の授業となった頃、やっと教育の本質となり、表面上ではあえて語られる必要がなくなっていくという形ですすめていきたいというくらいの気持ちです。
 たのしい教育研究所に興味関心を持ってくださる方たちが増えていく中で、たのしい教育が将来的に〈着実に発展〉していくために、この日々の活動を大切にしていこうと思っている今日このごろです。1日1度のこの「いいね」で〈たのしい教育〉を一緒に広げましょう➡︎ いいね=人気ブログ!=ジャンプ先でもサイトをワンクリックすると尚うれし!

 

レーウェンフック、ロバート・フックに続く子ども達を育てる

『小さな世界の』という新しい〈たのしい教育教材〉づくりが進んでいます。〈レンズの構造〉と〈レーウェンフックやロバート・フックが切り開いた世界〉を中心に構成してします。
 きっとこの授業で、小さな世界に感動し、自分でもその世界を研究する子ども達が増えてくるでしょう。

 小さな世界を切り開いたロバート・フックは、生物が〈細胞〉というものでできていることを発見しました。もうひとりレーウェンフックは、たとえば池の水一滴の中にも自分たちの目では観ることができない生物たちがいることを発見しました。その驚きが原動力となって、フックさんたちはさらなる研究をすすめていきました。

 ところが残念なことにその驚きが、教育の中では「池の水にはこういう生物がいます。なんという名前でしょう?」という様な問題の一つに変わってしまっている現実があります。

 〈科学者たちが研究した時の感動をいろいろな人に伝えたい〉それが、たのしい教育研究所の基本です。その感動は、たとえば子ども達に夢と元気と賢さを芽生えさせてくれるからです。
 理念だけでなく、実際に感動する授業を展開することができるのが、たのしい教育研究所です。その活動によって着実に発展しています。

 さて『小さな世界』の開発中、少し手を休めて、近くの公園に散歩に行きました。
 役割を終えたのでしょうかアゲハチョウが芝の上に横たわっていました。 このアゲハチョウに、もう一役割担ってもらって〈鱗粉(りんぷん)の観察〉を取り入れようと思います。

 

 学生時代に感動した小説、三浦綾子の「塩狩峠」はこう始まります。

一粒の麦
地に落ちて死なずば
唯一つにて在らん
もし死なば
多くの果を結ぶべし

 「もし一粒の麦が地に落ちず生きながらえているのなら、それはただ一つの麦にすぎない。しかし自らの生を終え、地に落ちれば、それは多くの実を結ぶものとなる」という意味です。
 今の生粋(混じり気のない状態)の原子論者になる前には、聖書や仏典も読んだことがあるのですけど、この言葉は新約聖書に出て来る言葉です。

 このアゲハチョウも、子ども達の興味関心と元気と賢さという実を結ぶものとして、大切に使わせてもらおうと思っています。もしかすると、今回のたのしい教育研究所の〈小さな世界〉を受講した子ども達の中から、日本の環境を良くしていく人が出て、チョウなど小さな虫たちにとっても住みやすい世界をつくってくれるかもしれません。1日1度のこの「いいね」で〈たのしい教育〉を一緒に広げましょう➡︎ いいね=人気ブログ!=ジャンプ先でもサイトをワンクリックすると尚うれし!