感じる力② 自分の感覚を感じ、大切にしながら工夫していくこと

 前半はいかがだったでしょうか。周りの人たちの感覚を感じる力はとても大切なことで、それを感じることは、難しそうで実はそんなに難しいことではない、ということを書かせてもらいました。続けて〈自分の感覚〉を感じることについて書かせていただきます。

 自分の感覚は簡単に分かると思うかもしれませんが、カウンセリングをしていると、実はそれがなかなか難しいのだということをいくつも経験します。
 大人になるにしたがって〈自分の感覚よりも周りの人たちの感覚に合わせること〉を学びとっていくことが大きいからかもしれません。もう一つ、大人は大抵、仕事をしていますから〈自分の行動にたのしいとかたのしくないというのは関係ない〉という様に考えがちだということもあるでしょう。

 単純な例でいうと、わたしは体温計で自分の熱を測るとことを全くやりません。逆に、少し体調に変化があると体温計でチェックする人もいます。
 熱のあるなし、気分の良し悪しは、寒い暑いと同じ様に自分で感じればよいことで、体温計の数字を見て〈やっぱり熱がある〉〈やっぱり変だ〉という様に、それまで普通に動いていた人が顔色を変えてしまうことがあるから不思議です。

 実は自分の心の感覚もそれと似たところがある様に思えてなりません。

 そうならない様に〈自分の気持ち・感性を大切にしながら生きていく〉ことは、とても大切なことです。

 自分の感覚を大切にするレッスンの仕方があります。

 わたしがカウンセリングの中でたまにクライエントさんにやってもらう方法です。カンタンです。時々立ち止まって〈今のこの瞬間のたのしさ度は上中下でいうとどれくらい?〉と問いかけるのです。初めは朝昼晩くらいの三回くらいから始まって、何か新しいことをしている時にはぜひそれを感じてもらう様にします。慣れてきたら五段階くらいで考えてみるのもよいでしょう。

 そのうちに上中下とかは関係なく、「これたのしい」とか「これは今ひとつだな」という様に自分の感覚を感じとることが普通になってきます。

 つまらないのはつまらない、で良いのです。
〈これが当たり前〉だと感じたら、あまり打つ手はありません。しかし〈つまらない〉と感じたら、人間は不思議と工夫していける生き物です。そうやってゆっくりゆっくりと人生は豊かにたのしくなっていくものだと思います。

〈雨が降るとつまらない〉というのが、ごく普通の人たちの感覚です。

 今はやっているのでしょうか、随分前に〈ピンポンパン〉という番組がありました。その中で〈雨は楽しいな〉という歌があって、こんな感覚のあるのだと驚いたことがありました。
 はっきりとは覚えていませんけど〈雨が降ると花たちが喜ぶ〉とか〈雨靴でジャパジャバとたのしめる〉とかいう様な歌でした。
 こういう感性は素晴らしいと思います。
 映画「となりのトトロ」の中に、落ちてくる雨つぶを傘で受けて、体全体でゾクゾクと喜ぶトトロの様子が描かれていました。私が大好きなシーンです。
 ああいう感性は羨ましい限りです。

 雨のだってたのしさを探すことはできる。
 仕事だって、工夫していく中でたのしさを感じることができる。
 実は、周りの人たちがどういう感覚でいるのかを把握することも、自分の感覚を把握することも、根っこは同じことなのでしょう。
〈自豊かな人生〉を歩む、それには自分の感性を大事にすることが不可欠なことです。 〈いいね!〉 このいいねクリックで〈たのしい教育研究所〉が強くなる!

板倉聖宣とのお別れの式の様子(速報)

 たのしい教育の最大の功労者〈板倉聖宣〉が永眠したことを朝日新聞、毎日新聞が伝えています。しかしなかなか詳しいことがわからず、いろいろな方たちからこのサイトへの問い合わせが来ています。

 今日2018年2月15日は板倉聖宣のお別れの式(いわゆる告別式)でした。研究所から告別式にかけつけたメンバーからその様子が送られてきています。
 お届けします。

 原子論者つまり真の科学者であった板倉聖宣は〈霊〉的なものをイメージさせることをとても嫌っていましたので無神式でとり行われました。

 写真は板倉先生がめずらしくポーズをとっている一枚です。
 科学シリーズの本を作成した時か、NHKの番組に出た時の紹介としての一枚だったかと思います。

 たくさんの花のその下には本や分子模型や仮説実験授業の教材が置かれています。

 たのしい教育研究所からもお花を添えさせていただきました。参列した方たちに板倉聖宣の財産を引き継いでいる組織は〈日本全国〉にあるのだということが少しでも伝わればと思っています。

 お別れの式を終え、一つの区切りとして、ますます沖縄で、たのしく学ぶ笑顔を広げていきたいという想いを強くしています。

 おかげさまで春の講座の人気は高く、すでに定員を突破し、会場と調整して2部屋確保し実験等の場所を分けることで、さらに人数を増やすことができます。 その枠も埋まる可能性がありますので、希望する方は早めにお申し込みください。〈いいね!〉 このいいねクリックで〈たのしい教育研究所〉が強くなる!

 

感じる力① 周りの人たちの感覚を感じる力

 最近は若い先生へのスーパーバイズやカウンセリングの中で何度かに渡って〈感じる力〉というお話しをする機会がありました。今回はそのお話しを書かせていただきます。親にとっても教育に携わるものにとっても、それから普通に生きていく時にも大切なものの一つだと思います。

〈子ども達がどういう状況なのか感じることができる〉
〈聞いている人たちの雰囲気を感じ取ることができる〉
〈語り合っている仲間たちの心を感じ取ることができ〉

という様に、その時点での感性が磨かれてくると、次第に

〈こういう話をすると、子ども達はどう感じるか〉
〈こういうプレゼンテーションをすると盛り上がるかどうか〉
〈今この話を出すと周りの人たちのやる気はどうなるか〉

といったことについて〈予想〉することもできる様になります。

 もちろん完全にできる様にはなりませんが、今より的確性が増してくるのは間違いないでしょう。

 こういう〈感性〉の教育より、漢字の書き取りであったり分数の割り算の計算の仕方の方がずっと楽に教えられるでしょう。それは〈分かる・分からない〉という段階の営みだからです。

 感性の教育が難しいと思うのは、分かる・分からないという段階を超えたところにあるからです。しかし実はその感性は人間がもともと持っている心の奥深くにあるもの、DNAに刻まれている根幹に触れるものですから、難しいのではなく、そこに焦点をあてれば、実は簡単なものかもしれないのです。

 〈たのしい教育研究所〉が提唱している〈たのしさ〉というものは、〈感じる〉ことです。ですから、たのしい教育研究所のとりくみ自体が〈感じる力〉と深く関わったものです。
 子ども達に限らず、先生たちも一般の方達も〈たのしい教育〉を大歓迎してくれますが、それは例えばガリレオが発見したことが〈理解できた・分かった〉から〈たのしい〉ということより、〈ものの見方・考え方〉が広がったからたのしいと感じたり、自分の可能性が広がっていくことでたのしさを感じる人たちがずっと多いのです。
 そして感性は理解よりずっと人間の豊かさ、幸せに結びついていると思います。

 
 感性はテストの点数で測ることができません。親が教師が感じ取っていくものです。
 しかし表面から簡単に判断することができませんし、読みを誤って、失敗してしまう人たちも多いのです。
 たのしい教育研究所では、授業、講座、講演などでは必ず受講者に〈たのしさ度〉評価をしてもらい、本音の部分を自由に書いてもらっています。なかなか見えない内面の世界のことなので、丁寧にそうしていく必要があるのです。

 そういう中で、次第に〈こういう授業を構成すると子ども達がたのしく感じてくれる〉ということがうまく予想できる様にもなってきます。

 教師ならそれをぜひ真似てみると良いと思います。
 親なら子どもに「今日のこれこれたのしかった? 10段階評価でいうと何くらい?」という様に聞いてくるとよいと思います。

 ここまでで前半とします。 〈いいね!〉 このいいねクリックで〈たのしい教育研究所〉が強くなる!

今はいない板倉先生のこと

 2018年2月7日早朝、板倉先生が永眠してから数日経ちました。いろいろな方から問い合わせもありますので、その後のことを書かせていただきます。
 訃報を聞いてからあえて1日置き、奥様の玲子さんに電話を入れてみました。玲子さんはいつものご様子で、板倉先生のことや自分のことをいろいろお話してくださいました。その平常さは、自分が頑張らなくては、という思いであることは間違いないでしょう。

 板倉先生を亡くした直後で、お会いすることは難しいとわかりつつも、直接お会いして玲子さんへの感謝の気持ちなどを含めたたくさんの想いをお伝えできたらと思い、都合をお尋ねしてみました。すると、時間をつくって下さるという返事だったので、仲間たちから預かった玲子さんへのメッセージなども携えて東京に向かいました。そのメッセージの中には、研究所で学びつつも板倉先生と直接会ったことの無い人達からの言葉もたくさん寄せられています。

 玲子さんは、今はもうそこにいない板倉先生の最後の様子をお話ししながら、いつも語り合っていた部屋の中を案内して、いろいろお話ししてくださいました。

 玲子さんの許可をもらいお部屋の写真を撮らせて頂きました。

 板倉先生を見舞いに行き、玲子さんも一緒に長い時間語り合ってきた部屋です。

板倉聖宣 永眠

 窓辺には、お花や鶴やメッセージが書かれた掛物が飾られていました。

板倉聖宣 他界

 入院し、まだ比較的お元気だった頃の板倉先生の写真が飾られています。
 見舞いにいく都度に、次第に細くなっていった板倉先生でしたが、その身体の中に蓄えられた命の炎の最後のエネルギーの一滴までも燃え尽くして、がんばっていったのだと思います。見ていると、これまでお見舞いさせていただいた時のことが数々想い出されてなりません。

板倉聖宣 入院の時の様子

 

 これまでこの部屋に招いて頂いて、板倉先生や玲子さんとたくさんのことをお話しさせてもらいましたが、その時に持参したみやげもそのまま掲げられていました。

今はもう居ない部屋で 板倉聖宣

 玲子さんは喪主としての挨拶文を書いているところで「何を書こうかあれこれ考えております」というお話でしたので、「かつて玲子さんが〈夫 板倉聖宣は革命家なのだと思う〉と話していた言葉がとても印象的でしたよ」と話すと、「そういう話もしていたのですね」と思い出して下さって、二人で「板倉聖宣は《人間の認識》における真の革命家であったのだ」という話になりました。

 玲子さんから板倉先生の数々のエピソードをお聞きし、私は沖縄に板倉先生が来てくださった時のことをお話しし、あっというまに長い時間がすぎていきました。この部屋にいくといつもそうです。

 板倉聖宣はたくさんの財産を手にしました。
 仮説実験授業であり、その研究会であり、授業書がそれです。しかしあまり語られることはありませんが、板倉聖宣が手にした大いなる財産は、その奥様の玲子さんであったことを、ここにはっきりと記しておかなくてはと思っています。
 私がいくと帰る時には必ずその事を板倉先生にお話ししていましたが、毎回のこと、そばにいる玲子さんは、そんなことはありませんと謙遜し、逆に板倉先生自身は、大きく声を上げて賛同して下さっていました。
 師 板倉聖宣が研究のみに没頭することができる状況を作り出した偉大なる人物が玲子さんです。

 板倉聖宣から教えられたことは、沖縄のたのしい教育研究所でたくさんの実りを見ることになると思います。そして、板倉聖宣を支え尽くした偉大なる人物、玲子さんがこれからも長生きしていただける様、応援させていただきたいと思っています。

 告別式は今週の木曜日です。私はすぐにお会いしたく飛び出た関係で、たのしい教育研究所からは別の先生が代表して骨上げの儀式から告別式まで参加してくれます。また後日、この続きの話を書かせていただきたいと思います。