板倉聖宣 科学と科学教育の源流/科学史の魅力

 仮説実験授業研究会代表・日本科学史学会会長の板倉聖宣先生から、三十年以上に渡って多くのことを深く学ばせて頂きました。板倉先生が沖縄に来てくださった時にはつきっ切りでしたから、いろいろな質問をすることができましたし、その質問への答えだけでなく、それから広がるたくさんのお話を板倉先生から聞かせていただきました。
 そういう語らいの中のテーマの大きな1つが『科学史』です。
 科学史というと「科学には興味があっても、科学史なんて興味がない」
「科学が苦手な上に歴史なんてもっと苦手な私には無理」
という方がたくさんいます。
 しかし、科学に限らず「歴史」から、生きた人間のエピソードや大衆の動きをたくさん読み取ることができます。もちろん、予想をもって問いかけてみて始めて、それらを読み取ることができるのです。

 板倉先生のお話しや、いろいろな著書の中から「科学の歴史をたどる事によって、科学そのものを活き活きとイメージし、生活に結びついたもの、あるいは自分の思想や哲学、発想法にまで影響するものとして受け取ることができる様になること」を感動を伴って学びとり、それがたのしい教育研究所の活動の中にも脈づいています。

 さて2000年の1月、今も一緒に活動している大切な仲間の一人 いらは さんと一緒に仮説実験授業研究会の冬の大会に出かけていきました。
 そして大会の全大会で「これまで沖縄では仮説実験授業の全国大会は開催されてなかったけれど、ぜひ沖縄で研究大会を開催させてほしい」とアピールしました。夏の大会はそうやってアピールする習いでしたが、冬の大会にそういう伝統はなく、沖縄が初めて立候補型の開催地決定方式をとらせてもらった大会でもあります。もちろんたくさんの方達からの拍手喝采で了承され、21世紀の幕開けの年に沖縄県で仮説実験授業研会冬の沖縄大会が実施されました。

  わたしが編集したガリ本は、その時に出したものが始めてでした。
 その事については、いつか書かせていただきたいと思います。

 さて、2000年の大会でも板倉先生からたくさんのお話を聞かせていただきました。

 わたしが〈ガリレオと教会の対立〉のことについて質問した時、
「きゆなさん、まだ一般の本屋さんには並んでいませんけどね、今度、わたしの科学史の話を一冊にまとめた本ができたんですよ」と紹介してくれた本があります。
「科学と科学教育の源流」仮説社 です。
 奥付には「2000年1月15日初版発行」とあります。
 

  その時に、板倉先生がサインしてくださったものが、わたしの宝物の一つです。
 さっそくその本の中身の話にも花が咲きました。

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 本の「はしがき」の部分を書き取ってみましょう。

科学とその教育活動は切りはなしては考えられない

 ふつうの科学史の本には、何か新しいことを発見した「大科学者」ばかりが登場して、科学教育が話題として取り上げられることはほとんどありません。しかし、科学とその教育とは、もともと不可分のものとして登場したものでした。
何か新しいことを発見した人は、その発見をほかのみんなに聞いてほしいと思うものです。「その知識がすぐに儲けの種になる」というような場合には、何か新発見をしても、「その知識を一人占めしてほかの人びとに知らせたくない」ということもあるかもしれません。しかし、基礎的な科学の研究の場合には、そういうことはあまりありません。「儲けの種になる」ということもないのに、その発見の社会的な意義に気がつかなかったり、認めなかったりして、その知識を他人に知らせようともしない人がいないではありませんが、そういう知識の探究は〈単なる趣味〉であって、「社会の知的財産を増やしていく」という本来の「科学の研究」とは言えません。科学のもっとも当たり前な活動では、「何かを発見したらそのことをみんなに伝えて、その発見の意義を認めてもらって、その上にさらに新しい知識を加えてもらう」ということが基本になっているのです。
 そこで、科学研究というのは、そのような意味での「知らせる活動」、一種の教育活動と不可分に結びついているのです。
 芸術でもスポーツでも、教育活動がしばしば話題になるでしょうが、「科学というのは、その研究活動の性格そのものからして、教育活動と不可分に結びついている」ということは、とくに注目すべきことだと思うのですが、どうでしょうか。
 もっとも、最近では「科学者」という専門職業が確立しているので、何か発見しても、ふつうは専門学会で報告するだけで、その「知らせる対象」は仲間の専門科学者たちだけに限られてしまっています。それでも、社会的に「重大な発見」ということになると、学会発表を経ずに、いきなり新聞などに発表されることがあります。このことを見ても、研究活動には普及教育活動が不可分に結びついていることがわかるでしょう。
 科学が誕生してまもない頃には、科学者という専門職業人はほとんどいませんでした。そこで、そのころは、大部分の科学者はその発見をじかに一般人に知らせました。だから、その「新発見を知らせる活動」は、「いまよりもずっと啓蒙的・教育的であった」と言えるでしょう。また、確かな科学知識が比較的少なかった時代には、新しい確かな知識を得たいと思ったら、そのことを発見した人に直接会うなどして、その発見を知らなければなりませんでした。そういう意味でも、発見と教育とは不可分だったのです。
 さて、本書が扱うのは、科学とその普及・教育とが、そういう意味で不可分に結びついていた時代における「科学とその教育の活動の姿」です。私は長い間、それをできるだけ活き活きと描きだしたいと願いながらも、「そんなことは出来っこない」
と、なかばあきらめていました。しかし、最近になってよい研究資料に恵まれて、かなり満足な研究が出来て、その結果をみなさんにお知らせできることを喜んでいます。さいわいなことに、科学史の研究はまだあまり専門分科されていません。そこで、「新しい研究成果を科学史の専門家でもない人びとに直接に伝えて吟味してもらえる」という、初期の科学者たちが体験していたのと同じような状況も残っています。そんなことで、私はこの仕事をことのほか楽しくできました。
 読んでいただければすぐにわかると思いますが、この本は「学界でふだん言われていることを私がうまくまとめて書いた」というようなものではありません。私自身がこれを書くまでほとんど知らなかったことを、たくさんの資料を調べではじめてやっと浮かび上がらせることができたことが話の中心になっているのです。そこで、この本を読むと、「科学も科学教育も、多くの人びとが想像できないほど楽しい活動であった」ということがわかっていただけるのではないか、と思っています。
「そうすれば、いまではほとんど〈押しつけ教育〉と化してしまった科学教育を改革する手だても発見できるのではないか」と思っています。

 これまで何度読んだかわからないほど、読んでいるのですけど、何度読んでも新鮮な発見があります。

 いろいろな方達に手にして欲しい一冊です。

 メールマガジンを購読してくださっている方達には、少し詳しく内容を紹介させていただこうと思っています。興味のある方はご注文ください。

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ビジュアルでわかる 細胞の世界 東京書籍/たのしい顕微鏡の世界

「たの式顕微鏡」の開発の時に入手した資料がいくつもあります。レーウェンフック(レーベンフック)のことが少しでも書かれているものは手に入れることにしました。ものづくり教材のためにも重要な資料になりますが、『科学者』を目指す子ども達へのキャリア教育教材・たのしいグッジョブ教材としても利用できます。  最近おちついて、その資料の一つを見ていると、レーウェンフックにふれた部分以外にも興味深いページがたくさんありました。

 東京書籍『ビジュアルでわかる 細胞の世界」ジャック・チャロナー/著 フィル・ダッシュ/監修 石崎泰樹/日本語版監修 です。
今年の夏、出版されたばかりです。

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SBN:978-4-487-80971-4
本体価格3,900円
発売年月:2016-08-29

 少し中を紹介しましょう。

レーウェンフックの単式顕微鏡の紹介や、彼が観察して描いたスケッチが載っています。

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これは蚊がヒトの血を吸っているシーンです。
こんなにパンパンにお腹がふくれるまで吸うのですね。
蚊はいくつかの病原菌を感染させるので、いろいろな研究がすすめられています。 しかしまた、痛くない注射器の開発にも蚊の針が応用されています。

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これはなんだと思いますか?
予想してみてください。

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  まるで「納豆」は、これを真似て作られたのではないかと思えてしまうくらい似ていますが、これは『脂肪細胞』の写真です。
大豆の様に見えている部分に油をたくわえています。太るということは、この細胞が巨大化する、ということです。

興味のある人は図書館などでぜひ手にとってみてください。
おすすめします。

ビジュアルでわかる細胞の世界

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沖縄県 教育 笑顔 賢さがテーマです。

たのしい論文読解で寺田寅彦の「流言蜚語」

 感動と共に文章を読んでいった経験こそが読解の力を高めます。無味乾燥な文章をいくら読んでも生きた力にはなりません。たのしい教育研究所の論文特訓は、独自の教材を利用してすすめていますが、今回の特訓では、寺田寅彦の「流言蜚語」を取り上げました。私が学生時代に強く影響をうけた文章の一つで、科学的な見方・考え方の重要性を語った名文です。昔の言葉でもあるので、読むづらいところもありますが、この中身の重要を何度か味わううちに、その違和感もなくなっていくと思います。ぜひ、繰り返して読んでみてください。

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 著作権も切れていて青空文庫で公開されていますから、ここに掲げたいと思います。

 

流言蜚語

寺田寅彦

 長い管の中へ、水素と酸素とを適当な割合に混合したものを入れておく、そうしてその管の一端に近いところで、小さな電気の火花を瓦斯ガスの中で飛ばせる、するとその火花のところで始まった燃焼が、次へ次へと伝播して行く、伝播の速度が急激に増加し、遂にいわゆる爆発の波となって、驚くべき速度で進行して行く。これはよく知られた事である。
 ところが水素の混合の割合があまり少な過ぎるか、あるいは多過ぎると、たとえ火花を飛ばせても燃焼が起らない。尤も火花のすぐそばでは、火花のために化学作用が起るが、そういう作用が、四方へ伝播しないで、そこ限りですんでしまう。
 流言蜚語の伝播の状況には、前記の燃焼の伝播の状況と、形式の上から見て幾分か類似した点がある。
 最初の火花に相当する流言の「源」がなければ、流言蜚語は成立しない事は勿論であるが、もしもそれを次へ次へと受け次ぎ取り次ぐべき媒質が存在しなければ「伝播」は起らない。従っていわゆる流言が流言として成立し得ないで、その場限りに立ち消えになってしまう事も明白である。
 それで、もし、ある機会に、東京市中に、ある流言蜚語の現象が行われたとすれば、その責任の少なくも半分は市民自身が負わなければならない。事によるとその九割以上も負わなければならないかもしれない。何とならば、ある特別な機会には、流言の源となり得べき小さな火花が、故意にも偶然にも到る処に発生するという事は、ほとんど必然な、不可抗的な自然現象であるとも考えられるから。そしてそういう場合にもし市民自身が伝播の媒質とならなければ流言は決して有効に成立し得ないのだから。
「今夜の三時に大地震がある」という流言を発したものがあったと仮定する。もしもその町内の親爺株の人の例えば三割でもが、そんな精密な地震予知の不可能だという現在の事実を確実に知っていたなら、そのような流言の卵は孵化らないで腐ってしまうだろう。これに反して、もしそういう流言が、有効に伝播したとしたら、どうだろう。それは、このような明白な事実を確実に知っている人が如何に少数であるかという事を示す証拠と見られても仕方がない。
 大地震、大火事の最中に、暴徒が起って東京中の井戸に毒薬を投じ、主要な建物に爆弾を投じつつあるという流言が放たれたとする。その場合に、市民の大多数が、仮りに次のような事を考えてみたとしたら、どうだろう。
 例えば市中の井戸の一割に毒薬を投ずると仮定する。そうして、その井戸水を一人の人間が一度飲んだ時に、その人を殺すか、ひどい目に逢わせるに充分なだけの濃度にその毒薬を混ずるとする。そうした時に果してどれだけの分量の毒薬を要するだろうか。この問題に的確に答えるためには、勿論まず毒薬の種類を仮定した上で、その極量を推定し、また一人が一日に飲む水の量や、井戸水の平均全量や、市中の井戸の総数や、そういうものの概略な数値を知らなければならない。しかし、いわゆる科学的常識というものからくる漠然とした概念的の推算をしてみただけでも、それが如何に多大な分量を要するだろうかという想像ぐらいはつくだろうと思われる。いずれにしても、暴徒は、地震前からかなり大きな毒薬のストックをもっていたと考えなければならない。そういう事は有り得ない事ではないかもしれないが、少しおかしい事である。
 仮りにそれだけの用意があったと仮定したところで、それからさきがなかなか大変である。何百人、あるいは何千人の暴徒に一々部署を定めて、毒薬を渡して、各方面に派遣しなければならない。これがなかなか時間を要する仕事である。さてそれが出来たとする。そうして一人一人に授けられた缶を背負って出掛けた上で、自分の受持方面の井戸の在所を捜して歩かなければならない。井戸を見付けて、それから人の見ない機会をねらって、いよいよ投下する。しかし有効にやるためにはおおよその井戸水の分量を見積ってその上で投入の分量を加減しなければならない。そうして、それを投入した上で、よく溶解し混和するようにかき交ぜなければならない。考えてみるとこれはなかなか大変な仕事である。
 こんな事を考えてみれば、毒薬の流言を、全然信じないとまでは行かなくとも、少なくも銘々の自宅の井戸についての恐ろしさはいくらか減じはしないだろうか。
 爆弾の話にしても同様である。市中の目ぼしい建物に片ッぱしから投げ込んであるくために必要な爆弾の数量や人手を考えてみたら、少なくも山の手の貧しい屋敷町の人々の軒並に破裂しでもするような過度の恐慌を惹き起さなくてもすむ事である。
 尤も、非常な天災などの場合にそんな気楽な胸算用などをやる余裕があるものではないといわれるかもしれない。それはそうかもしれない。そうだとすれば、それはその市民に、本当の意味での活きた科学的常識が欠乏しているという事を示すものではあるまいか。
 科学的常識というのは、何も、天王星の距離を暗記していたり、ヴィタミンの色々な種類を心得ていたりするだけではないだろうと思う。もう少し手近なところに活きて働くべき、判断の標準になるべきものでなければなるまいと思う。
 勿論、常識の判断はあてにはならない事が多い。科学的常識は猶更である。しかし適当な科学的常識は、事に臨んで吾々に「科学的な省察の機会と余裕」を与える。そういう省察の行われるところにはいわゆる流言蜚語のごときものは著しくその熱度と伝播能力を弱められなければならない。たとえ省察の結果が誤っていて、そのために流言が実現されるような事があっても、少なくも文化的市民としての甚だしい恥辱を曝さらす事なくて済みはしないかと思われるのである。

(大正十三年九月『東京日日新聞』)

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たのしい教育研究所の元気さの根本/たのしい教育メールマガジンから

 たのしい教育研究所は四年前の設立以来、着実に成長を続けています。その成長の根本にあるものについて、今週のメールマガジンに書いてみしまた。前書きの部分をお届けします。

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たのしい教育研究所のきょうこの頃から〈ひと粒〉

 

 おかげさまで、全国のいろいろなところで「たのしい教育研究所」に注目してくれる方達が出てきてくれました。そうやつて、応援団に入ってくれる方達が各地に広がっています。

 そうやって直接研究所を訪ねて来てくれる方達もいます。

 これまで「東京」から来てくれた方が研究所を訪ねた最北端記録でしたが、今週、東北 宮城県から来てくれた方がそれを更新してくれました。

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 おいしいお菓子も持って来てくれて、いろいろお話しをすることができました。

 わたし(喜友名)が50歳で早期退職してこの研究所を設立したことを聞いて「そうですか、今のわたしの年齢で退職したのですね…」と驚いていました。

 もう一人、沖縄の仮説実験授業の重要人物I先生も久しぶりに研究所を訪ねて来てくれました。I先生は沖縄県内の学校で管理職についています。。

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 これからのこともはじめとして、かなり深い話をすすめることができました。いつか「たのしい教育の歴史」を刻む意味でも、そのテーマで対談をしてみたいと思っています。

 

 四国に住んでいるMさんからは、実がぎっしり詰まった元気な「柿」が届きました。その数100個以上です。

 これはすでに半分以上、いろいろな方に分けた後の写真です。

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 二日後には研究所に来てくれたいろいろな方達にお分けして、残りは数個になりました。明日、訪ねてきてくれる方達に剥いて分けて食べようと思います。

 

 それから先日のハロウィンの日には、S先生がおいしいクッキーを届けてくれました。

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 先日は「活動の足しにしてください!」とまとまった額を寄付金として渡してくれた方もいました。

 

 他にも、たのしい教育研究所にはたくさんの方達が、たのしい教育を展開するための活動に力を注ぎに来てくれています。

 

 わずか一週間でも、たくさんの方達が研究所を元気にしにやってきてくれる、こういう日々が、たのしい教育研究所を成長させる大きな力、まさに元気の源です。

 

 今日も元気なたのしい教育研究所です。

 

 今週もたのしく綴りました。

 心を込めてお届けします。

                きゆな

 

 今週号のメルマガの内容は、このサイトでも少し紹介した「正義と民主主義としてのイジメ」全文と、新作の「シャトル・キャッチ」の作り方と楽しみ方を詳しく紹介した章、映画「SULLY ハドソン川の奇跡」の紹介など、いつものように読み応えたっぷりです。

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たのしさ 元気 沖縄県 教育 笑顔 がテーマです。

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