学生時代、同じ学部、同じ専攻で学んでいたM先生が久しぶりに〈たのcafe〉に来てくれて、これまでの自分の教師人生とたのしい教育について話をしてくれました。
なかなか聞けない話は、意外性も重なってたのしいひとときでした。
M先生がそこで紹介してくれた中に、教師になって三、四年くらいの頃の私が語っていたという言葉が入っていました。
それは
「自分がいくら教材研究しても仮説実験授業の授業書には勝てないんだよ」
という言葉でした。
なるほど、そういうことを深く考えていたんだなと、忘れていた感覚を呼び覚ましてもらいました。
その時私が想定していたのは仮説実験授業の授業書の中で、師の板倉聖宣が作ってくれたものたちです。「空気と水」「ものとその重さ」「日本歴史入門」「花と実」など、授業にかければかけるほど、その到達度の高さにほれぼれしてしまいます。
武道家の私は、すぐにどちらがより高みにいるかを悟ることができました。
自分でこういう授業を構築する時間と体力は途方も無く大きく、それをかけたからこれだけのものができるわけではない、おそらくできない。
それよりも、その授業書に惚れて、子ども達と一緒にたのしんだ方がずっとよい。
そう考えていたのです。
たのしい教育研究所(RIDE)を立ち上げて、いろいろなところで1時間、2時間授業することが多くなりました。
仮説実験授業の授業書を味わってもらうのは、とても少ない時間です。
そこでは自分でたのしい授業のプログラムをつくって実施しています。
その限られた時間で、不特定多数の人たちにたのしんでもらう、という時、わたしのたのしい教育プログラムは、かなり高いところまで到達していると思います。
教師なりたての頃から、私も随分成長してきたようです。
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