自由研究の講座でも、その姿を見ることができたのですけど、何か問われて困っている時に、先生がそっと「〈何となく〉ということてもかまわないんだよ」と伝えてあげると、子どもたちはホッとした表情をしてくれます。子どもだけではありません、大人、そして受講している先生たちもホッとした表情になります。
「そういうことを伝えると、みんな〈なんとなく〉としか言わなくなるのではないかな?」
と考える人がいるかもしれません。
もしそうなるとしたら、それは「問いかけ」が悪いので、子ども達が悪いのではありません。
「考えてみたくなる様な問いかけ」をしていれば、子ども達は、次第に自分の考えを積極的に発表してくれる様になります。これは私だけのデータではなく、たのしい教育派の教師が確かめて来た実験事実です。
次第に子どもたちは安心して授業に参加して、そのうち、少しずつ自分の考えを出してくれる様になります。
もしも〈子どもをもっと賢く育てたい〉という方がいたら、自分自身の「問いかけ方」を工夫していくことをお勧めします。
ところで「なんとなく」をめぐって、たのしい教育の泰斗である板倉聖宣がこういう話をしています。仮説実験授業という独自の授業方法の流れを説明した中の一部分です。
理由の発表
予想、分布去に人数のもれがないことを確かめたら,こんどは,どうしてその予想をたてたのか,その理由を発表してもらいます。
発表する順序は,普通は,少数派からいわせた方がいいと考えています。しかし,クラスの雰同気とか,それまでの歴史とかによっては,多数派からいわせた方がいいかも
しれません。まあ臨機応変でかまいません。
誰から何をいってもかまいません。このときは指名して発言をもとめたものだけじゃなしに,誰に指名しでもよいと私は考えています。
ただし教師の手前勝手な考えで発言させる以上,子どもが何をいってもよいという権利が保障されるべきです。
「どれがよいかわからないから,僕はね,テンノカミサマノイウトオリ,デハナイ,モウイチドキイテミヨウとやったら,これになった」といってもかまわないのです。まあ,そんなことまでやる子どもはあまりいませんけれども,「 なんとなく」というふうにいう子どもはたくさんいます。この「なんとなく」というのも,ちゃんとした理由です。無理に予想を選べというんですから,「なんとなく」といってもかまわないわけです。
「なんとなくなんでいわないで,そのなんとなくをちょっと分解して考えたたら?」といってもかまいませんが,お説教しない方がいいですね。
「仮説実験授業のABC」仮説社 より
普段の親子の会話や授業の中でも意識しているとよい発想法だと思います。
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