「カール・セーガンと板倉聖宣」なかなかいいことを書いていた

県外の方たちからも時々、たのしい教育研究所の教材のオーダーが入ります、今回は「たのし保健プラン〈薬と毒〉」と「板倉聖宣と語る原子論者の人生論」です。

「原子論者の人生論」は研究会のメンバー向けに出したガリ本ですけど、とても好評でした。最初に出した「板倉聖宣哲学入門」がすぐに在庫切れになったので、原子論者の方は少し多めに作ってあって、在庫が残っています。

 それを探してパラパラめくると、何と私がカール・セーガンについて板倉先生に質問しているところがあってびっくりしました。もう20年くらい前の本なのに、問題意識はずっと持っていたのだと嬉しくなりました。

 こういう下りです、端折って紹介します。

 板倉先生、カール・セーガンという科学者をご存知ですか?

板倉

 まあ、名前は知っているっていうくらいかな。

 NASAの宇宙探査とかにも協力している科学者で、私が大好きな原子論者(神やスピリチャルなことに惑わされない本物の科学者)の一人です。セーガンさんが「宗教と科学は手を携えていかなくてはいけない」という趣旨の話をしていて、どうも腑に落ちないんです。

 板倉先生はその言葉に何か感じることがありませんか?

板倉

 アメリカってキリスト教信者がほとんどでしょう。だからねぇ、そういう人たちに科学のことも学んでよ、っていいたかったんじゃないのかな。

 だってさ、そういう人たちに「宗教なんてやめちまえ」なんていってもラチがあかないでしょう。

 宗教と科学が手を携えていくうちに結局科学が勝っちゃうっていうことなんだろう、ワハハ!

 自分でまとめた本でありながら、今頃やっと板倉先生の言葉が骨の髄に染み込んできています。

「原子論者の人生論」はまだお分けする分、見つかりそうです、送料込み2000円でお届けします。興味ある方はお問い合わせください。

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特別スーパーヴィジョン:心を澄ます技法(野田俊作先生から学んだこと)

 「特別スーパーヴィジョン:心を澄ます技法(野田俊作先生から学んだこと)/12月26日午前」はすぐに想定人数に達し、現在はキャンセル待ちの受付となっています。もしかすると近くの広い会場に移して少しだけ枠を広げて開催する可能性もあります、受講したい方は要件を記入して事務局(こちら)にお問い合わせください。

 野田先生はカウンセリングの名人であり瞑想の実践家でした。パーリ語で書かれた原始仏教の経典を読んで独自に研究をすすめていたので、原子論者の私が違和感を強くすることはありませんでした。

 野田先生から直接学んだことと、たのしい教育の研究実践の成果を融合させたものが〈心を澄ます技法〉です。
 技法とはいえ〈理論〉の部分もしっかり伝えたいと思います。
 理論の無い実践では、自分で課題・限界を突破する力が身についていかないからです。

 特別SVの骨格は既に出来上がって、限られた時間をどう充実させるかの構成に入っています。

 構成しながら、私の好きな吉田兼好のことが頭に浮かんで来ました、教科書やテストでよく出る「徒然草」の著者です。

 彼が冒頭記した「つれづれなるままに、ひぐらし、心に浮かびゆく よしなしごとを そこはかとなく かきつくれば・・・」という言葉は〈心を澄ます技法〉、瞑想の本質に近いものがあります。彼は〈書き綴った〉のですけど、心を澄ます技法・瞑想は心に綴っていくだけです。

 これまではカウンセラーの弟子や、必要とする一部の人たちへ伝えようという思いが大きかったのですけど、SVを構成していくうちに、もっと広く、先生や親、忙しく生きるたくさんの人たちに伝えてもよいと思うようになりました。今後の展開が、自分自身たのしみです。

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たのしい教育とセネカの発想②

 前回セネカの〈人生の短さについて〉という本について紹介しました。セネカは原子論者のエピクロスの発想を否定しなかったという意味でも注目に値するのですけど、それはまたいずれ書くとして、私が大好きなカール・セーガンが名著「コスモス」の中で彼の言葉を引用しています。

 長期にわたる勤勉な研究の結果、いま隠されているものごとに光のあたるときがくるだろう。

 天の研究に、たとえ全生涯をささげたとしても、あれほど広大なものの研究には、一個人の生涯だけでは十分ではない。
 長い時代を経たのち、そのなぞは解かれるのである。
 私たちが、きわめて簡単なことさえ知らなかったことを、私たちの子孫は驚きの目でみるだろう、そんな日がきっとくるに違いない。
 私たちのことが人びとの記憶から消え去ってしまうような、はるかな将来の人たちが、さらに多く の発見をすることだろう。

私たちの宇宙には、いつの時代にも何か研究するものが残っている。自然はその秘密を一度には明かさないものである」

 セネカ『自然の問題』第七巻

 

 たのしさをもとにいろいろな研究が進み、将来の人々がこの2020年前後の私たちの状況をみて「こんなことも分からなかったのか」と驚くことでしょう。

 それは世の中が思考的に豊かになっていくことですから、何ら悔やむことではありません。

 何しろその過程がたのしいのです。

 セネカという人物は類稀なる才能で、時の皇帝の家庭教師、側近としても重宝されました。その皇帝の名前がネロ、知っているかもしれません〈暴君〉として歴史に名を残している人物です。彼はその暴君の謀略に巻き込まれて悲しい最後を遂げるのですけど、彼が残した言葉は2000年以上経った今も古びることがありません。そして〈たのしい教育〉にとっても示唆に富むものです。

 興味のある方は、ぜひ彼の語ったことに触れてみて欲しいです。

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ピュリファイ(Purify)/心を澄ます技法〈瞑想という名前を使わない瞑想〉/野田俊作先生から学んだ技法に

以前書いた

野田俊作先生から学んだ〈瞑想〉のトレーニングコースの準備中

 についての問い合わせや希望のたよりがいくつも届いています。

 やっと準備が整い〈たの研〉冬の講座として12月26日(日曜日)に実施することになりました。

 メルマガに書いた文章からピックアップして紹介します。

 私いっきゅうのカウンセリングのスタートは亡き野田俊作先生から教えていただいた「アドラー心理学カウンセリング」です。
 それまで大学や教員研修の中で数々学んできたロジャーズ派の非指示的カウンセリングやフロイトの精神分析をベースにした子ども理解などには全く満足できず、伊良波さんに紹介された本を頼りに著者の野田先生にコンタクトを取り大阪に何度も足を運びました。
 幸い沖縄には私と同じ様にアドラー心理学を学んでいたSさんがいて〈アドラー心理学に基づいた親子関係ワークショップ〉を主催してくれていて、大阪で沖縄でという様に学ぶ時間と密度が増えていきました。
 その結果として完成したのが「PEALカウンセリング」です。
 今はPEALカウンセラーも出てきて独自にカウンセリングしてくれる様になりました。
 瞑想には本来、宗教もスピリチャルも関係ない
 これまで殆ど書いてこなかったのですけど、大阪ではカウンセリングと並行して野田俊作先生から瞑想のトレーニングを何度も受けてきました。
 野田先生に「きゆなさん、本気でカウンセリングがうまくなりたければ瞑想のコースも並行してとるといいよ。自分の生き方だけでなく、クライエントさんに落ち着いてもらうレッスンとしても大切な技法になるから」と言われたことと、私が長く武道を続けていたことがきっかけです。
 武道では修行の前と後、目を閉じて自分の心と向き合う時間を必ずとります。瞑想はそれとの整合性が高いのです。
 カウンセラーは試験に合格して免状をいただきました。瞑想には免状はありません、けれど野田先生と二人で食事と杯を交わしながらから直接「瞑想のコースを開催する時の注意」ということで具体的に話をしてもらったことがあります。瞑想についても目をかけていただいたのでしょう。

 ところが、巷では〈瞑想〉に宗教やスピリチャル的なものをくっつけて伝える人たちが殆どです。霊的なものなど信じない原子論者の私は、それがイヤで、これまでほとんど瞑想について周りの人たちに伝えたことがありません。さわりを呼吸法として合格SVで軽く伝えているくらいです。
 また〈たのしさ〉を突破口にして「予想・実験」によっていろいろな課題や困難を解決していく〈たの研〉には瞑想の必要性はあまり多くないと思っているからです。

 

瞑想の有用性
 とはいえこれだけ複雑に絡み合った社会や多様多彩で濃さの異なる価値観を持ち合わせたたくさんの人間同士が付き合っていく中で、瞑想的なものが必要ないかというとさにあらず、大切なものだと思えます。
 私自身も大切な判断をする時には瞑想的に心をしずめる時間をとります。
 カウンセラーの弟子もできましたから、その人たちにも野田先生が私に残してくれたものを伝えなくてはと考える様になりました。
瞑想という言葉を使わない瞑想
 そうやって考えているうちに〈瞑想〉という言葉をつかわず、その時の心の状態を表現する〈心を清ます〉という言葉を使えば良いというアイディアが湧きました。
清んだ状態・澄んだ状態を英語で〈Pure〉といいます、その動詞が〈Purify〉です。しばらくは「Purify=心を澄ます技法」として伝えていこうと思います。
 ただしそれは武道と同じで、いくら文章を読んでも身につきません。野田先生から学んだそのままを実技として伝えていく必要があります。
 この章で書けるのはそもそもピュリファイ(Purify)の技術でどうして憂鬱な状況や大きな決断を前にして冷静さを欠いている時、落ち着きを取り戻せるのか、ということです。

 

瞑想は本来スピリチャルも宗教も関係ない

 瞑想的な話になりますから、なにやら怪しい話に見えてくるかもしれません、しかし原子論者の私が科学的実験的に思考をすすめてきたものです、安心して読み進めていけば、そこには宗教などは一切関係ないことに気づくでしょう。敬愛するノア・ハラリがこういう趣旨のことを語っています。
「宗教が瞑想を使うから瞑想は宗教的と一体だと思う人がいるかもしれないが、宗教は本によって考えを広めるから本は宗教と一体だという人はいないでしょう。瞑想は宗教と一体ではないのです」

ここまでにしておきましょう。

 Purifyはたのしい瞑想技法です、興味のある方はお問い合わせください。
 私いっきゅうのスーパーバイズ一回分の費用で3時間半の実技コースを受講できます。

『Purify/心を澄ます技法-憂鬱な時、不安な時、大切な決心の時-

指導:いっきゅう先生(喜友名 一 )

日時:2021年12月26日(日)09:00~12:30

場所:たのしい教育研究 第3ラボ
 ※プログラム構成によっては少し広いところに移す可能性もあります
参加費:10,000円(会員は8000円)
 少ない人数で実視します、想定人数に達し次第〆切ますが、何か特別な事情がある場合には、その旨お知らせください。

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