生きている様なグルクンの絵 たのしい絵画教室

 グルクンの絵はたのしい教育研究所の絵画教室の定番の題材です。これはリーダーの小禄先生の作品です。小禄先生はキミコ方式の公認インストラクターでもあり、独自の絵画指導も得意です。


 これは本物のグルクン。

グルクン(たかさご)は、フエダイ科の魚で、沖縄県の県魚に指定されています。旬は夏で、産卵前の初夏(6月頃)が最も美味しいと言われています。
身は白く、肉質はやわらかで、美味な魚です。
                 美ら島物語より

 小禄先生の描いた作品の方が美味しそうですね。

 描いてあとは、みんなで唐揚げにして味わったりするなど、描いて後のたのしみも希望に応じて組んでいます。


 その対象に合わせていろいろな題材で授業が可能です。
 興味のある皆さんはお問い合わせください。 みなさんも〈たのしい教育〉を一緒に広げましょう➡︎ ここをクリックするだけで全国の人気ブログに一票入り、いろんな人が目を通してくれる可能性がたかまります!

正座について考える つづき 沖縄〈正座〉考②

 「正座孝」の続きです。未読の方は1つ戻ってから読みはじめてください。「〈正座〉とは〈ただしく座ること〉で、体育座りの正座、椅子に腰掛けての正座などいろいろな正座があるという様に理解してよいのか」というこだわりからスタートしたお話です。

『週刊現代』2016.11.26に「日本人が知らない「正座」にまつわる驚きの歴史」という記事があって興味深い話が載っています。⇒こちら

 日本人が古来より正座していたかというと、それは大間違い。礼儀作法の上で正座が定着したのは、ほんの100年ほど前のことだったという。

そもそも両膝を折って腰を下ろす座り方は、かつて「かしこまる」と呼ばれ、庶民が貴人の前で平伏する際など限られた場面での姿勢であった。時代劇などで見られる、奉行所のお白洲に呼ばれた町人の姿を想像してもらうといいだろう。

 逆に、今では行儀が悪いイメージの強い「あぐら」は、かつて「安座」と呼ばれ、江戸時代以前には大名の正しい座り方として認められていた。正座のイメージがありがちな茶道においても、千利休は、あぐらをかいて茶を点てていたのである。

 

 明治新政府が、国民に等しく修身教育を施すにあたり、外国文化との対比を強調しようと、日本人としてあるべき正しい座り方として正座を選んだという。

さらにこの同時期に起こった二つの事柄が、正座の普及と関係している。

 一つは、「畳」が誰でも使用できるようになったこと。それまで畳は贅沢品とされ、時として厚みや材質、縁の色や柄で身分を表現するのに使われていた。そのため農民や町人は畳を持つことができず、板張りの床での暮らしでは正座が定着するわけもなかった。

もう一つは、「脚気」の解明である。「江戸患い」と呼ばれるほど当時の人々に大流行したこの病気は、足の末梢神経障害を引き起こす。そのため、江戸時代の人々にとって正座は、まさに拷問に等しい姿勢であったのだ。

明治に入ってようやく、脚気が白米を中心とした食生活によるビタミンB1の欠乏であると解明され、治療・予防法が確立される。こうして人々は安心して正座できるようになったのだそうだ。

 

 宗鐵(てい・むねてつ)『正座と日本人』(講談社)にも「日本人の正座は明治以来のもの」と紹介されています。

 いろいろな資料を紐解いても、日本で広く〈正座〉が広まったのは明治になってからといってよいようです。

 たとえば徳川家康のこの絵、あぐら(安座)ですよね。

 それだけではありません。
 いろいろな有名人の座り方を見ても、正座しているようには見えませんね。

 正座は仏教的なものから来たのではないかという予想もあったのですけど、仏像を見るとけっこう自由な座り方をしています。

 〈正座〉という姿勢は古くから特別な時(征夷大将軍にひれ伏す時や参勤交代の時ひれ伏す姿勢/ウィキペディア)には利用されていたけれど、一般に広まる様になったのは明治期、問題2の答えはウの〈明治になってから〉だといってよいでしょう。

 

 では問題1の「正座は正しく座ることだから、いろいろな正座があってよい」についてはどうでしょう? 学校の椅子に腰掛けたままの姿勢を正座と言ってもよいのでしょうか。
 いろいろな考え方があるかもしれませんが、少なくとも明治期から広まった〈正座〉はこうです。


 空手道や柔道、剣道、弓術など伝統的な武道に残る正座ももちろん同じです。

 ですからこれが一般的だといってよいと思うのですがどうでしょうか。
「沖縄で使われている正座はそうではない」とか、ある団体は椅子に座った状態でも正座と言っているという様ないくつかの事例で「正座にはいろいろある」と言って良いとは私には思えません。

 

 ウィキペディアにこうあります。

沖縄方言では、この座り方を「ひざまんちゅー」と呼び、これをヤマトグチ化して「ひざまづき」と言う。

 また沖縄で「正座」という言葉を使う場合は、椅子や地面に腰を下ろしたままで姿勢を正すことを意味する。

 椅子に座った状態を「正座」と呼ぶのは沖縄県だけの様です。出典が無いので少しだけ疑問も残るのですけど、県外の皆さんで、自分のところでも椅子に座った状態で正座というという方がいたらぜひメールをください!

 ということで問題2の「椅子に座った状態で『正座⇒礼』と掛け声をかけている都道府県は?」 沖縄だけだといってよいようです。

 

問題4「沖縄では正座のことを〈ひざまづき〉と表現する人がいます。わたしは子どもの頃バツとして〈きゆな君うしろにいってひざまづき〉と言われていたものですが、もうそういう表現型は残ってないのかもしれません。
 ところで〈ひざまづく〉とは本来どんな姿勢をいうのでしょう?」

 これは写真を見ていただきましょう。膝(ひざ)を地面につけることを〈ひざまづく/膝まづく〉というのです。

 

 ですからこれも沖縄で違う形で使われてしまった言葉の1つだと言ってよいでしょう。

 どこかで誰かが間違って利用してしまい、それがいつの間にか広まっていったのでしょう。昔はそういうことも起こり得たのでしょう。東京から遠く離れ、海が隔てた場所ですから。

 そこで提案なのですけど、「かつて先生たちも間違って伝えてしまいました」と謝るとよいと思うのです。そのうえで、正座とはこういう姿勢をいうのだ、という様に伝えていくのです。教育委員会が間違ったわけではありませんが、沖縄県全体に広く伝えるには教育委員会からというのがよいかもしれません。
 先生たちだって間違うことがある、ということは子ども達も学んでいてよいことの一つだと思っています。

 では授業の号令はどうするか?

 わたしは理科の時間など「いろんなあいさつの仕方があるということで、理科のときにはこうしてもらえませんか」という様に話して
「姿勢を正してください」⇒「礼」
 とか
「姿勢を正しましょう」⇒「よろしくおねがいします」
という様な号令をお願いしていました。

 もちろん学校によっては号令のかけ方を厳しく統一する校長先生もいて、そういう場合はしたがっていましたが、少なくとも「正座というのはこういうことをいうから覚えていてね」というように伝えていました。

 長くなりましたが〈正座について考える〉はいかがだったでしょうか。よろしければ〈いいねクリック〉をお願いします。みなさんも〈たのしい教育〉を一緒に広げましょう➡︎みなさんも〈たのしい教育〉を一緒に広げましょう➡︎ ここをクリックするだけで全国の人気ブログに一票入り、いろんな人が目を通してくれる可能性がたかまります!

正座考① 沖縄で〈正座〉について考える

「正座」という掛け声について考えてみたいと思います。沖縄限定の話題になるかもしれませんし、そうではないかもしれません。
 これは先日行われた〈大掃除大会〉での一コマ、Aチームが休憩をとりながら語らいあっている場面です。女性に多いのですけど、私にとっては〈休憩に正座?〉という姿にいつも驚くのです。わたしは格技系で修行して来たので正座は修行の前と後くらいにしかしません。あっ、法事とか。

 ところでこの〈正座〉について前々から疑問を感じていることがあります。教師を始めたころからずっとなので、この違和感は人生の半分以上感じて来たことになります。何か?

 正座というのはこういう姿をいうのであって…


 沖縄の学校で授業の号令の時に椅子に腰掛けたまま交わされている

「正座」⇨「礼」

という掛け声は、わたしにとっては〈この姿勢から礼をしましょう〉というように聞こえます。キケンです。

〈正座〉という言葉がはじめに掲げた先生たちの座り方ではなく、椅子に腰掛けた状態でも使われているわけです。

 正しく座ること=正座
 なのでしょうか?

 とすると、ロッキングチェアで正座とか、ブランコでの正座とか、ジェットコースターでの正座という言い方もできることになります。

 言葉にこだわることをたのしむ私は、その解釈は納得いきません。
「ジェットコースターに正座してください」とは言わず「正しく座ってください」というはずなのです。
 大掃除大会で長年の疑問が頭に登ってきたので、これはよいチャンスと〈ウィキペディア〉で調べてみるといろいろおもしろいことが発見できました。

 そのことについてお話する前に、みなさんも幾つか予想してみていただけませんか。

1.正座という姿勢は本来〈正しく座ること〉を意味する言葉であるから背もたれ椅子の正座やベンチの正座などいろいろなバリエーションがあるといってよい

Yes
No

2.椅子に座った状態で『正座⇒礼』と掛け声をかけている都道府県は?

ア.いくつもある(半分くらい)
イ.沖縄県を含めて3−4の県にかぎられる
ウ.沖縄県だけである
エ.その他

3.いつから始まったかを特定するのは困難なので、「正座」という姿勢は日本でいつごろ広まったか?

ア.奈良平安以前(紀元700年より前)
イ.奈良平安~江戸時代(700~1800)
ウ.明治時代
エ.昭和になってから
オ.それ以外

4.沖縄では正座のことを〈ひざまづき〉と表現する人がいます。わたしは子どもの頃バツとして「きゆな君うしろにいってひざまづき」と言われていたものですが、もうそういう表現型は残ってないのかもしれません。
 ところで〈ひざまづく〉とは本来どんな姿勢をいうのでしょう?

ア.正座のことだった
イ.正座とは違っていた
⇒どんな姿勢?

 さて、予想をたてた皆さんは、次の記事をたのしみにお待ちください。待ちきれない、という方は、自分で調べてみるのもよいですね。みなさんも〈たのしい教育〉を一緒に広げましょう➡︎ ここをクリックするだけで全国の人気ブログに一票入り、いろんな人が目を通してくれる可能性がたかまります!

たのしい大掃除/大掃除大会 掃除から生まれる笑顔を体感する

「たのしい掃除入門」という本があるのかと探してみましたが、そういう本はありませんでした。ところが、たのしい教育研究所の掃除はというと、それはそれはたのしいのです。
 夏の忙しさが少しおさまった9月、お掃除担当のA先生の企画で〈大掃除大会〉が企画されました。第一部は早朝〈たのしい教育研究所〉で学んだ先生たちがやってきて床磨きからキッチンの油落とし、教材のホコリをふき取ったり、実験結果の出た研究の素材をかたづけたりetc. 大活躍してくれました。

 これは開始の時の乾杯の場面

 後半は午後の部、研究所のメンバーが集って、今度は教材や資料の整理整頓です。研究所の内部まで知っている人たちでないと担えない仕事です。

これは打ち合わせの様子

  これは玄関横の収納スペースの荷物を外に出し、外から舞い込んだ誇りを歯ブラシで丁寧に掃除してくれているY先生。


 たのしい教育研究所の掃除がたのしいのは、特別たのしくする工夫をしているからだというわけではありません。もちろん集う先生たちが、美味しいものを持って来たりしてくれるので嬉しいのですけど、それは掃除本来のたのしさと深く関わっているわけではありません。

 ベランダの植物コーナーを力技でどんどんキレイにしてくれたS先生。うっそうとしていたスペースがどんどん変わっていきました。


 その後をひきついでみごとに仕上げてくれたM先生。これも力技そして磨き力!

 たのしい教育研究所の掃除がたのしいのは、その掃除が周りの人たちの笑顔に結びつくことがはっきりと感じられるからです。
 もうすぐ始まる合格ワークショップのメンバーもきっと、合格した先輩たちがやってきて、自分たちのために心を込めて掃除してくれたことを知ると感動してくれることでしょう。
 教材の整理整頓で、これから行く学校の子どもたちの授業もグレードアップすることでしょう。探す時間が減るということは、それだけ授業の中身に費やせる時間が増えるということだからです。

 たまりたまったオリジナル教材や資料をどのように整理しようか頭を使いつつ丁寧に作業中の四人の先生たち。


 ほかにもたくさんの人たちが午前・午後とやってきて、みちがえったたのしい教育研究所です。
 その一つ、ウェルカムスペースの後ろをごらんください。
 知らない人は特に何がどうなのかわからないかもしれませんが、この変化は見事です。

 学校では毎日清掃活動が組まれています。
 それを〈たのしい〉〈たのしくない〉で評価されると困る、という先生たちも多いことでしょう。
 もともとの掃除(クリーニング)というものは、健康を維持することと深く結びついたものでした。わたしが関心をもっているヒポクラテスという医者は、その重要性を強く説いた人物です。
 その重要性を十分おさえつつ、もう一つ〈今日の掃除がどういう笑顔を生み出すのか〉ということについて、子どもたちとゆっくり想像してみると、すこしずつ変わってくるのかもしれません。1日1度のこの「いいね」で〈たのしい教育〉を一緒に広げましょう➡︎ いいね=人気ブログ!=ジャンプ先でもサイトをワンクリックするとさらに嬉しく思います!