今回は図形の問題を掲載します。
挑戦してみましょう。
解答編
知恵を使うたのしさを伝える
たのしい教育研究所です
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ここまで。
今回は図形の問題を掲載します。
挑戦してみましょう。
解答編
知恵を使うたのしさを伝える
たのしい教育研究所です
学び方コースは中学受験レベルの実力を身に着けたいという子ども達が集まってきてくれました。
しかし、そこで取り上げている内容は、はるかにそれを超えています。
・三角形の内角の和が180度である、という驚き
・連立方程式がいろいろな問題を解くキーになること
・アインシュタインが考えたこと、そして有名な E=MC^2
などなど。
そういう内容であっても、いや、そういう内容だからこそ、子ども達が「休みたくない」と感じてくれている様です。
休憩時間にも、みんなで頭を鍛え合うゲームを続けているところからも、それがわかります。
教科をかえる時の気持ちの切り替えに使おうと思っているゲームの一つを紹介します。
みなさんも一緒に挑戦してみませんか?
制限時間は4分です!
もんだい
各頂点に数字の入った三角形があります。
途中の◯の中に、1〜9までの残りの数字(825以外)を当てはめて、それぞれの辺の数字の「和」が同じに生るようにしてください。
解答を載せるとついつい目に入ったりすることがありますし、この問題は、解答できた人には、それが答えだとわかりますから、あえて載せないこととします。
応援団向けのメールマガジンには、こういう内容もいろいろ載っています。
興味のある方はお申し込みください。
このサイトのトップページ左ラインに案内のコーナーがあります。
たのしい教育が教育の未来を開く
全力投球の「たのしい教育研究所」です
今週末の学び方コースは、子ども達と保護者の方たちの許可をもらって1時間長めに開催します。
いろいろな問題を解いてみようと準備しているのですけど、その一つを紹介します。
みなさんも一緒に考えてみませんか。
問題
地面から1m上の位置にぐるりと地球とを取り巻いてヒモを結ぼうと思います。地面にぐるりと巻いたヒモよりどれくらい長いヒモが必要でしょう?
誇張して表現すると下の図になります ⇒ rが1mです。
計算する前に感覚的に、どれくらい長いヒモが必要か
予想してみしましょう。
予想 〔 〕mくらい長いヒモが必要
では計算してみましょう。
※地球の直径は約1万3000km ⇒ 13000000mです。
円周の出し方は
直径 ✕ 3.14です。
3.14というのは四捨五入すると「3」ですから、「3」で計算してみましょうか。
地球の地面にぐるりとヒモを巻くとどれ位のヒモが必要か?
13000000✕3=39000000m … (A)
では、地上から1m浮いた位置にヒモを巻くとどれ位の長さになるか?
直径で考えますから、両端に1mずつ長くなります。
すると直径は13000002mです。
計算しましょう。
13000002✕3=39000006m …(B)
先ほどの(A)との差は
39000006m−39000000m=6m
なんと、たった6mの差しかありません。
地球に巻くヒモに6m足せばいいというのは、わたし的にはびっくりしました。
ちなみに直径がいくら、ということに関係なく「その円周より1m長い円周」というと、6m長いヒモが必要だということになります。つまり、火星の周りであっても、水星の周りであっても、地上1mの距離にぐるりとヒモを巻くと、ということなら6m長いヒモが必要だということになります。
このところも、おもしろいですよね。
賢くたのしい学力向上は
たのしい教育研究所にお任せください
ちなみに、3.14で計算すると 6.28mです。
某年某月 ある団体から『会議の進め方』ということで話てほしいという要望があり、そこで語った内容です。
※
提案する内容についての反論が出た時、会議の執行部やリーダー側が
「単に反対するのですなく、これが変だというのなら代案を出してください!」
「批判するなら対案をだしてください」
と反論する場面があります。
「それはそうだ、批判には責任をもたなくてはいけないのだから」
「たしかにそう言いたくなる場面もあるな」
と感じる人たちもたくさんいると思います。
あるいは議論が加熱してしまうと、ついつい過激な発言になり、まるでケンカのように、
「それらな対案を出せ」とか
「じゃあ、あなたがやってみなさい」という様な発言が交わされることもあります。
そして大抵は、そう言われた側が黙ってしまうことが多いようです。
その議論の進め方について、少し考えてみましょう。
私は授業のプロフェッショナルです。
私の授業を受けた人、あるいは授業入門講座に参加した人たちから「その授業は変だ!」とか「おかしいぞ」という言葉を投げかけられたことはありませんが、もしもそう言われたらどうするか?
「この授業が変だというのなら代案を出してください」とか
「では代わりにあなたがやってみてください」とは一切言いません。
そう考えたこともありません。
わたしのカウンセリングが、もしもクライエントさんから批判されることがあった時、
「ではあなたがカウンセリングしてみなさい」
なんて言える訳がありません。
わたしは映画が大好きです。
週に1本は映画館に行くのが平均的なペースですし、ほぼ毎日DVD1本くらいは観ているので、普通の人に比べて、かなりの量の作品を観ています。
これだけ観ていると、途中で映画館を立ってしまう作品もありますし、途中で止めてしまうDVDがいくつもあります。
途中で飽きられて席を立つ観客に対して、それを作った映画監督が
「つまらないというなら自分で映画を作ってみなさい」
と言えるでしょうか?
わたしはできた映画について批判することができますが、映画をつくることはおそらくできません。
映画をつくることができない人間は、それを批判してはいけないのでしょうか?
何かおかしくありませんか?
そういう映画監督が、世の中に受け入れられていくことがあるでしょうか?
画期的だという鳴り物入りで「炊飯器」を作った家電メーカーが、予想に反して、ほとんど売れなかった。
それを買ってくれないお客さんに
「じゃあ、あなたが炊飯器を作ってみせてください」
というでしょうか?
そんな議論は聞いたことがありません。
また、そういう論理の展開をすすめる企業が生き残っていくとは思えないのですが、どうでしょうか。
なのに、私たちの議論の中で、「ではあなたが対案をだしなさい」という様な議論が交わされることが少なくありません。
会議は別物なのでしょうか?
身近な例で、クラスの会議の場面で考えてみましょう。
たとえば
「遠足に行く場所を決めよう」という議題で、提案役の執行部が、
「○○ビーチにいきましょう」
と提案したとします。
クラスの大半がその提案に対して「この時期、ビーチは暑すぎるから勘弁してくれ」と答えた。
すると執行部が「そんなに反対するなら対案をだしてください」と反論する。
それはいいのではないか、と考える人もいるかもしれまれせん。
しかしこうは考えられないでしょうか。
「みんなで議論しながら決めましょう」
という会議なら、執行部側の提案が却下されたにしても、会議をリードする側は
「じゃあキミたちがいいアイディアをだしてみなさいよ」
という様な議論をするのではなく、みんなの意見を丁寧に集約しながら、よりよい形で丁寧にすすめていく力を持ちたいものです。
それが会議をすすめるものの役割であり、責任であるという見方はできないでしょうか。
それから執行部やリーダーは、提案に対する反論が大きかった場合を想定して、対案を準備しておく、選択肢を準備しておく、という力が必要だと思います。
場合によっては、時間を置いて再提案、ということであったり、クラスのアンケートで選択肢をだして全体の投票で決定する、という流れであったりするかもしれません。それが提案するものの役割ではないでしょうか。
そして、間違いなく、そういうリーダーが増えていくことが、より成熟した社会をつくっていくことになると思うのですが、どうでしょうか。
そうではなく、自分たちの意見に反対する人たちをどう抑え込もうかということに力を注ぐ人たちが増えていくことは、やはり民主的に成熟した世の中から遠い世界に進むのではないかと思います。
より豊かな、よりたのしい社会のために、実力ある人たちが育つことはとても重要なことだと思えてなりません。
より力のある人たちを育てる活動に
全力を注ぐ「たのしい教育研究所」です
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