毎週水曜日は〈たのしい教育メールマガジン〉の今回は今週のメルマガから少し紹介させていただきます。
たのしい教育の発想・思想・哲学の章の一部です。
板倉聖宣
私たちが子どもの時代には先生に権威があって刃向かえませんでした。それで、私なんか先生に刃向かった友だちを〈偉いなぁ〉と思っていました。
私は刃向かえなかったからです。
ところが学校の先生の権威が低下してきまして、社会的にもいろんな意味でも低下してきて、子どもたちがけっこう反抗する様になりました。
そのうちに〈反抗すること自身がおもしろくなる〉ということも起こる様になって、なかなか学校の先生も大変だと思っています。
そういう中で、全ての子どもたちに自分の教科の勉強に熱心になってもらう、たのしく勉強してもらう、そうするにはどうしたらいいのでしょう。
たとえば〈自然科学の教育〉ということを考えた時に「程度が高く難しいからそういうことは勉強できないんだ」といわれます。
昔は中学校には試験を受けて入りました。試験を受けてできたんだから、中学校に入るのはある種のエリートでした。
「今は力のない子まで全部中学校に来るからいけないんだ」というような考え方があったりします。建前的にはそんなことは言わないけれども、実際にはそう思っている方がいます。
だから「力のない子どもたちの段階まで程度を下げなきゃいけない」というふうに考える。しかしいくら程度を下げても試験の成績が悪いというような形になります。
私は〈それは考え違いではないか〉と思っています。今、多くの子どもたちが〈学校がおもしろくない〉と思っているのは、〈分からない〉ということが一つにありますが、それだけではないと私は思っています。
「分かる気がしない、分かろうという気がしないからだ」「分かっても仕方がない」と思っているからだと思うのです。
だから、その子どもたちに〈分かっても仕方がないこと〉じゃなくて、「分かってもいいなぁ、分かりたいなぁ」と思うような内容を教えることが現在の教育の改革の一番のテーマではないかと思うのです。
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