たのしい教育メールマガジンに掲載した〈たのしい教育の発想法〉からお届けします。仮説実験授業研究会の初代会長 板倉聖宣が30年くらい前に語った内容で、今も色褪せない力強い言葉です。
板倉聖宣
私自身はたのしくないことは一切しないし、たのしい以外のことはしません。
できるなら全ての人が「たのしくないことはしなくてもいいような社会であってほしい」と思っています。
たのしくないのに「たのしいと思え」といわれても困りますね。むしろ、たのしくないことは「たのしくない!」とはっきりいえることが大切でしょ。
学校では我慢しなきゃならないこともたくさん起きますね。もし子どもたちが〈我慢〉しなくなったら一番困るのは誰か?
先生たちでしょう。
たのしくない授業をやって、子ども達が我慢できなくなって校内暴力が起こったりすると、先生たちはすごく困りますね。
だから子どもたちに「頼むよ、我慢してよ」っていったりする(笑)。ところが先生たちが「たのしい授業をやることに決めた」といって心を入れかえて、すぐにたのしい授業ができるのか?
できるなら楽チンですね。
でも、そうはいきません。
たのしい授業をやるためには、たのしい授業の内容が必要です。
子どもたちがどういうことに耳を傾け、どういう問題を設定すればたのしくなるか、そういうことがわかっていないといけません。
ところが今まで教育界はサボってきたから教材がないでしょう。
教材がなかったら仕方ない、子どもたちに我慢してもらうしかないんです。
たのしい教育研究所は、たのしい教育をしたいと考えた先生たちが、無理せず、あまりお金もかけずに授業できる様なプログラムをたくさん準備しています。
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