================
1989仮説実験授業研究会代表 板倉聖宣 沖縄ファースト講演
「人生を豊かにするために たのしく学ぶ(4)」
会場 沖縄市 レストラン サザンパレス
文責 たのしい教育研究所 喜友名 一
================
役立たない知識を出世のために学ぶ
それ以上になると何をやっているのかというと、一つは「出世のためです」。
例えば東大法学部を出て大蔵官僚(おおくらかんりょう)になる。主計官(しゅけいかん)あるいは税務所長(ぜいむしょちょう)になる。
国会予算を審査(しんさ)するなんていうとどういうことになるか。ある主計官は遺伝子(いでんし)研究費を審査したりコンピュータの予算を審査したりなんかするものだから、もうこれは、まんべんなく知ってなきゃならない。ですから、大蔵省の役人はまんべんなくしってなきゃならないのです。とすると、東大法学部ではまんべんなくしってなきゃならない、そういう事です。出世するためにはまんべんなく知ってなきゃならない人がいるんです。
不思議に思うかもしれませんが、日本の教育っていうのは、だいたいが東大法学部を見本としているところがあります。東大法学部をみんなが目指すという事を考えてできているところがあります。「あらゆることを薄く、浅く知っている」ということです。そんなに浅いわけではありませんが、そんなに深くでもありません。それがモデルです。
だけど東大法学部に入る人間なんて毎年何百人かでしょう。京大法学部もなんとか法学部もいれてもそんなにたくさんいるわけじゃないですね。
昔は義務教育は小学校三年生か四年生まででした。ですから<読み書きそろばん>で卒業できた。
それでもその時、つまり明治のはじめの時代の小学校三年生か四年生の教科書を皆さんに見せたら、きっとびっくりしますよ。なにせ小学校三年生、四年生で卒業して社会に出るわけですから、ほんとうにびっくりするような内容がある。何が必要になるかというと例えば<役場に届け出る書類を読み書きできる能力>を扱うのです。
結婚したときの「婚姻証明書」を書いて提出する学力がある。家族が死亡したときの「死亡通知」を書いて届け出る能力があるのです。
「私の実父、どこのだれ邊ベエは、何月何日、どのような理由により死去いたしました。ここにおいてご通知いたします」というようなものを書いた教科書があって、それをまねして自分で書けるようになるわけです。小学校三年生か四年生でですよ。
みなさんが、もしそれを見たら、おそらく読むことが出来ないとおもいます。それを小学校三年か四年でやるわけですね。官制教育だから、どうしてもそういう事を考えてやっている。すごく役立つ事を、明治の始めには実感をこめてやっていた。
今はそういうことはなくなっちゃたですね。
私、あきれたんですけれど、大学の頃、買ったばかりの自転車を盗まれまして警察署にいったんです。そしたら警察署の人が何といったかというと「そういうことなら代書屋へいって書いてもらいなさい」というのです。めんどうくさいですね、向こうは。それから代書屋を儲(もう)けさせたいんのでしょう。
私は「何でだよ、それくらいの学力は俺有るよ」って思うわけです。それで「俺が書く」って言ったんです。そしたら「その書式が無い」っていうわけです(笑)。で、また「代書屋へいけ」っていうわけです。それで押し問答になりましてね・・・まぁ結局、自分で書いて出したんですけれども(笑)。
つまり今やそういう事は、みんな便利になってしまいまして、昔は小学校三年生か四年生かでやっていたようなことも、お金さえだせば自分でやらなくたっていいようになっている。
人生を豊かに生きるために学ぶ
もう一つの理由は何か、それは出世とかなんとかではなく、「人生をより豊かに生きるために学ぶ」という事です。
「より豊かに生きる」ためにはいろんなことがありますよね・・・例えば音楽がたのしめるといい、絵がたのしめるといい、科学がたのしめるといい、文学がたのしめるといい。いろんなたのしみ方が出来れば豊かですね。
私は自然科学の教育がもともと専門ですから「科学が分かってより豊かに生きるためにはどうしたらいいか」という事を考えるのです。
今のような教育をつづければいいのか・・・おそらくダメですね。
大体「科学なんていう本はこんりんざい見たくない!」という思いを固く決意させるために学校教育はあるような感じがしています(会場大笑)。
もしも勉強しなかったなら、何にも教えてくれなかったなら「もしかするとオレ科学の才能があるかもしれないぞ」と思ったかも知れないのに、小学校、中学校、高等学校、人によっては大学までとことん、そういう事を教えてくれたばっかりに、「こんりんざい科学の勉強はしたくない」ということを決意してしまう・・・
こういうことは科学ぐらいだと思っていたんですが、ある時、国立音楽大学の先生にあって話をすると、入学して来る学生のほとんど一人残らず音楽が嫌いだというんです。「えー」っと思いましたね。音楽の世界くらいは、好きだからはいってくると思っていたんです。科学は嫌いでも勉強させられちゃうけど、音楽は基本教科にもなっていないから、そういじめられないだろうと思っていたんですけれど、そうじゃないんだそうです。
音楽大学に入ってきた子どもたちは、高等学校の頃どういう様子かというと「いろんな勉強しているんだけど自分で何をやっていいのか分からない」という人が多いのだそうです。
自分は子どもの時から親にいじめられて音楽をさせられた・・・音楽は大嫌いで、親に反抗して、イヤだイヤだと思いながらやっていたんだけど、自分には<他の人よりできるもの>というものは音楽しかない。だから音楽学部に入った、というんです。
その国立の先生がいうには「例外的な者が一人いたよ」っていうんですね。この人は、他の事を勉強していたんだけども、高等学校の二年生の頃に「音楽が面白い」って気がついたというんです。高等学校の二年の頃ですから、もちろんピアノは引けないし、他の楽器も駄目だし、だけども「音楽がやりたい」っていうわけですよ。あわてて高等学校の二年からピアノの練習やったらしい。本人はたのしいんですね。たのしいんだけど能力はないんです(笑)。この人が何とかがんばって、一年浪人してはいってきたらしいんです。「これはめずらしい男だ」というわけで、ぼくにはなしてくれたわけです。
こういう人は、子どもたちに「音楽のたのしさを教えよう」という発想になるんです。はじめからたのしいんだとして受け入れてきたわけですから、たのしく教えようというわけです。
ところが普通の音楽大学の卒業生は「音楽はたのしくないものだ」「あれはたのしくなくてもやって、なんだか反抗しているうちにも身に付いていっちゃうものなんだ(会場大笑い)」と考える。だからそうやって、自分たちの教え子にも教えようとなる。これは大変なことです。
「先生が悪い」っていう話があるんですけど、しかし先生の監督っていうのは不十分ですから、まだいいんです。「音楽」の監督は家庭でお母さんがやっているんですから、これはきびしいんですね。本当に、とことこ嫌いになるまでやるわけですから(会場大笑)。
つづく