前回、沖縄で見つかる二種類の石灰岩の話をしました。
どちらもサンゴが主成分の石灰岩で、一つは新しい石灰岩(右/琉球石灰岩)、もう一つはとても古い石灰岩(左/古生(代)石灰岩)です。
どちらも沖縄(琉球)で見つかる石灰岩なんだから同じ様に〈琉球石灰岩〉と呼べばいいのに、と思う人がいるかもしれません。でも見た目も、できた年代もかなり違うので、詳しくいう場合には分けているん
ちなみに、i鹿児島県でも右の様な若い白い石灰岩が見られます、それも〈琉球石灰岩〉と呼ぶんですよ。学術的な名前は原子分子レベルで特定されたものが多く、単にその場所にあるからということを超えて名付けられています。
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さて、沖縄の名護の海岸沿いを本部町に向かって走らせると、右手に大きな採石場が見えて来ます。コンクリートの原料を採っている場所で、その山全体が古い時代の石灰岩〈古生石灰岩〉でできています。
古生石灰岩は本部半島でとてもたくさん見つかります。
沖縄本島の中ではほぼ本部半島で見つかるものだといってもいいくらいです。
沖縄市の公式サイトにある資料をご覧ください。赤系が古生石灰岩の見られるところです。
https://www.city.okinawa.okinawa.jp/userfiles/oki065/files/05citynature.pdf
前回見てもらった古生石灰岩は、RIDE(ライド:たのしい教育研究所)の近くの公園にあったものですけど、本部町から運んできてものでしょう。
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ところで学生の頃か教師なりたての頃かハッキリしないのですけど、地質などに興味を持つ前に「とてもおもしろい」と感じた話があります。
本部半島の根元にある名護湾にたくさんのイルカたちがやってきて行き場を失ってしまうということが毎年の様に起こっていました。
それはなぜか?
その先生曰く「本部半島と沖縄島はもともと離れていて、昔々イルカ達はこの海峡を通っていたのではないか」というのです。
「サケ達が生まれた処に戻るルートがインプットされている様に、イルカ達たちも先祖が利用していた通り道を覚えていて、そのルートを通ろうとすると、海がなくなっていて右往左往してしまうのだ」という説です。
その後、そういう話を聞いたことがないので、その先生オリジナルの説だったのかもしれません。
「イルカのこういう現象は耳の中に寄生虫が入ってしまって方向感覚を狂わされてしまうから起こるのだ」ということを本で読んだことがあったのですけど、私は、この説に「ダイナミックでおもしろい」と魅入ってしまいました。
石というのは大地の歴史を刻む宝物です。
本部半島は沖縄島と年代的に遥かに古い石でできています。
人間が文化としてして残した歴史をたどってもせいぜい何千年くらいですけど、若いといわれる琉球石灰岩ですら100万年くらいの歴史があります。本部半島でみられる個性石灰岩は数億年です。
本部半島が独自の歴史をたどって沖縄島とくっついたというのは、十分考えられることでしょう。
そうやって調べてみると、本部半島は沖縄島全体と明らかに地質が異なっていて地質の違うものたちを境界線で表す〈構造線〉がハッキリ引かれていることがわかりました、仏像構造線というへんな名前の構造線で分離しています。そして本部半島と細長い沖縄島を結ぶ白で表されたあたりは、周りにみあたりませんから、本部半島がくっつくときに海底の土壌が寄って来てできたと思えないこともありません。
https://www.jstage.jst.go.jp/article/pedologist/60/1/60_47/_pdf/-char/ja
本部半島がもともとは沖縄島と分かれていたかどうかは、今後じっくりとたのしみにしながら調べていくことにしましょう。
いずれにしても白い石灰岩と黒っぽい石灰岩の二種類の違いが、沖縄島全体の構造のハッキリとした違いを教えてくれるものであるというのは間違いありません。
同じ〈沖縄島〉と呼ばれていても、本部半島は、細長い沖縄島と違う独自の歴史をもった異質な土地であることを、私自身が感動的に学びとることができました。
人間が生まれるずっとずっと前のナゾを、身近な石たちが解いてくれることを、たくさんの子どもたちに伝えてあげたいです。
私自身が疑問を感じているマニアックな専門的な話になっていないか心配しつつ、書いてみました。おもしろい、と感じてくれたら幸いです。
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