〈自由研究について〉子ども達へ贈った言葉+α 大人の皆さんへ(前半)

   自由研究の講座に参加してくれた子ども達へメッセージを贈ったところ、いろいろな反響が届いています。中には「もっといろいろな人たちに読んでほしいと思いました」という声もありました、ここに掲載することにします。
 加えて〈すでに大人になった皆さんへ〉という内容も書き足しました。
 参加者に届けた手紙は読み仮名をつけてありますが、このサイトではついていません。子ども達に読んであげる時にはゆっくり丁寧に読んであげていただければ幸いです。

RIDE(たのしい教育研究所)の「たのしい自由研究」の講座を受けてくれた皆さんへ 

 先日は「たのしい自由研究」の講座に来てくれてありがとうございます。
 みなさんから「とてもたのしかったです」「もっとこういう勉強をしたいです」「次も必ず参加したです」という様なうれしい感想を読んで、講師・スタッフ全員でとても喜んでいます。
 その感謝をこめて、自由研究についてもう少しお話しさせてください。

 今回みなさんが参加してくれた講座のテーマである〈自由研究〉の「研究」とはなんでしょう?

〈いろいろ調べることが研究だ〉とかん違いしている人がたくさんいます。しかし、そうではありません。

 講座の中でも皆さんにたくさん予想してもらいましけど、〈研究〉というのは〈予想を立てて確かめていくこと〉です。

 そういう研究は、将来、科学者になる様な人にしか役立たないのでしょうか?

 いいえ、そうではありません。

 研究は、ごく普通のわたし達の暮らしの中で、とても役立つものなのです。
 そして、研究はわたし達の生活をたのしく豊かにしてくれます。

 たとえば、たのしい教育研究所には、ウェルカム(いらっしゃいませ)担当のア~ルという子ネコがいます。大きな道でバスにひかれそうになっているところを保護されて、一ヶ月くらい前に研究所にやってきました。〈アルキメデス〉という立派な名前があるのですけど、普段はみんなア~ルと呼んでいます。


 研究所にくる人たちが仲良くしてくれて、ア~ルといろいろあそんでくれるのですけど、あるとき仲間たちと、こういう研究をしてみました。

 ネコは〈犬ほどではないけれど鼻がとてもよい〉という話があります。
 本当でしょうか?
 研究所のメンバーで予想を立てて実験をしてみました。

 研究所のメンバーが講座などで外に仕事に出た時、たべものを、いつもの場所とあわせて4ヶ所においてみたのです。
 ア~ルは育ちざかりで、たくさん食べますから、一回でペロリと食べてしまうくらいの量を分けて4ヶ所においてみたのです。
 メンバーがもどるまで2時間くらいあります。
 ア~ルは分けておいた食べ物をみつけて食べてしまうのでしょう?

 それぞれ別な部屋に分けておくことにしましたが、どの部屋も自由に出入りできますし、中身はア~ルの大好きなカンヅメのお肉を使いましたから、普通のタイプのたべ物よりずっとにおいがするはずです。部屋は違っているとはいっても、ほんの3~4mもくらいしか離れていませんから、鼻が良いならカンタンに見つけることができるはずです。

 研究所のメンバーの予想は
  ☆全部みつけて食べている
  ☆三ヶ所みつけて食べ、一ヶ所はみつけきれずに残している
の二つに分かれました。

 みなさんはどう思いますか?

 予想がどうなっているかワクワクしながら研究所にもどると・・・
 なんといつもの一ヶ所だけ食べて、残り3つは食べていませんでした。

 鼻がきくだろうからカンタンに見つけて食べているだろうという予想はみんな外れてしまいました。

 もちろんこの実験一回だけで、ネコの鼻の良し悪しをきめることはできません。
 ・食べ物のにおいがしなかった
 ・ア~ルの鼻がわるかった
 ・ア~ルは頭がよくて、いつも決められたところのほかにはないと思い込んでいた
そのほか、いろいろな理由が考えられますからね。

 ア~ルの鼻がわるいというのは、まちがっているうと思います。
 ア〜ルとさんぽしていると、草や土のにおいをかいで、そのにおいの強い方へとどんどん進んでいきますから。

 こういうものは研究にはならないとおもうかもしれません。しかし、一回の研究ではわからなくても、いろいろな実験をしていくことで、ネコの行動のしかたや、鼻のよさなどがはっきりとわかってきたりするものです。そしてそれはア~ルにとっても、ア~ルとつきあっている私たちにとっても、たのしく豊かな生活の一歩です。

 実はそういう研究は、身近なものだけではなく、これまで治せなかった病気を治したり、これまでできなかった道具を作ったりすることができる様になるのです。

 みなさんが身近なことで、いろいろ予想を立てて実験し、研究をすすめていくことは、みなさんの身近な暮らしも豊かにしていきますし、研究をすることが普通にできる様になると、将来大きな発見・発明をする様にもなるでしょう。

 ところで今回の自由研究の講座でとりあげたものは、どれも科学のとても大切なものをとりあげています。

☆ 太陽系の正しいイメージモデル
☆ 空気が粒であることを〈空気てっぽう〉でたしかめる
☆ 遠くはなれたささやき声でも、その音を集めることによってハッキリ聞こえる
☆ 研究にやく立つ本の話
☆ 化学の基礎:身近なものをくみ合わせることによって個体と液体の中間の物をつくることができる
☆ まわりの人たちと仲良くなることは研究にとってもたいせつなこと 

 ほか

 みなさんがそれをたのしんで、さらに自分でも研究を深めていって欲しいと思っています。
 実は、話したいのはここからです。
 みなさんとたのしんだ内容は「自由研究」です。

 「研究」は〈自由〉ではなく「やらされる研究」というものがあるのです。
 〈キミはこれを研究しなさい〉〈あなたはあれを研究しなさい〉という様に命令されてやる研究です。
 そういう研究は、まだ練習の段階かならしかたありませんけど、ずっとそういう研究ばかりやっていると、あまり大きな成果は期待できません。
 何しろ、自分がやりたいと思っているわけではなく、仕事の一つとしてやらされていたり、成功したら給料が上がるという様なほうびをあたられてやっていることが多いからです。

 人間の歴史を見ても、とても大きな成果をあげた人は「これをやりなさい」と命令されてやったのではありません。
 自分自身が「こういう研究をしたい」と考えて、どんどんその研究をすすめていった人たちが、大きな発見や発明をしているのです。
 そういう人たちは、何しろ熱意がちがいます。
 周りの人に「やめろよ」と止められても、自分のやりたい研究を進めて行きました。
 時には、困ることもおこって、研究を中断することがあったかもしれません。しかし状況がよくなったら、また研究をはじめていきました。

 科学のもっとも基本である「原子」も、そうやって研究していった科学者が発見したのです。
 太陽が地球を回っているのではなく、地球が太陽を回っていることも、そういう人たちが発見しました。
 大きいものと小さなものを落としてもほとんど同時に落ちることも、自由に研究していった人が発見したのです。
 つまり自由研究こそが、本物の研究なのです。

 今回の研究所の授業をうけたみなさんが、いつか自分で「これを研究したい」というものが見つけることができたら、それはすばらしいことです。
 自由に研究するたのしさは、みなさんの生活をたのしく豊かにしてくれることでしょう。

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笑いについて考える/馬は笑うか?

  私いっきゅうはよく笑う方で、たとえば映画を観ながら笑いを抑えられなくて、周りの人に迷惑になっていないか心配するほどです。
 そういえばRIDE( ライド:たのしい教育研究所 )に来る先生たちもとてもよく笑います。たのしい教育が大好きだという人たちは、子ども様な感性をたくさんもっているので、自然にそうなるのでしょう。

 おかしい・おもしろいという感情が顔や身体全体に現れるのが〈笑い〉です。
 それは恐怖や満足というものよりずっと新しいものに違いありません。

 いつから人間たちが笑う様になったのでしょう?
 笑うのは人間だけなのでしょうか、他の動物たちは笑うのでしょうか?

 そういうことを調べていくと、きっといろいろなことが分かってくると思います。興味のある人はぜひ研究してみませんか。

「馬は笑う」という話がありますけど、わたしは信じていません。
 表情が笑っている様に見えているからといって〈笑っている〉とはいえません。


 笑いというのは〈普通のことと比べて想定外だ、奇想天外だ〉〈予想していたことととても違う〉という様な一段高いところからものごとを見た意外性から出てくる感覚なのです。
 〈自分のやり方・自分の感覚と違う〉というのではなく〈広く一般の行動や思考様式〉との相違を見ているのです。
 そういう全体的な把握はカンタンではありません。
 「笑い」は〈恐怖〉や〈安心〉、〈怒り〉や〈苦しみ〉という様な感覚よりずっと高い次元の感情だといってよいでしょう。

 ちなみにわたしの信頼している動物学者の話によれば、類人猿、たとえばゴリラは笑うそうです。類人猿の知能は他の動物より高いですから、これについては信じています。

 ところで以前、本を読んでいて大笑いしたことがありました。
 周りにたくさん人がいる場所だったので、しまったと思ったのですけど止められません。
 人生相談的な読み物だったと思うのですけど「どうしたら良いでしょう?」「こういう彼女と付き合っていてよいのでしょうか?」的な相談だったのか、それに対する回答がどうだったのかは覚えていなくて、わずかその中の一行だけが頭にあります。

彼女が「ネコ飼わない? うち、子ネコが生まれたからあげるよ!」というので、特にネコが好きでもなかったのだけどOKしたら、やって来たのは親ネコでした

 私はその時の〈親ネコ〉や〈男の人〉の表情、それからネコを持ってきた天真爛漫な女の人それぞれを勝手にイメージして笑いがとまりませんでした。

 笑いというのは人それぞれだと思いますから、ぜんぜん面白くないという人もいるかもしれません。でも、いろいろなところで笑えることもたのしいと思います。
 みなさんが大笑いした話があれば聞かせてくださいね。

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自由研究講座の質問から:アリスタルコスの地動説/なぜ大胆な発想ができたのか?

 自由研究講座の中の「いっきゅう先生のワクワク宇宙教室」を受講したお母さんから、とても楽しかったです、という言葉に続いて、次のような話がありました。

 古代ギリシャの科学者が「あんなに大きな太陽が、小さな地球を回っているなんておかしい」と考えたという視点に驚きました。

 ところで、そもそもどうして、月の大きさくらいにしか見えない太陽が地球より大きいと分かったのですか?

 

 ここではアリスタルコスの発想法について、さらに研究を深めたい方たち向けの内容として紹介したいとと思います。
 アリスタルコスの考え方をたどると、サイン・コサインなどの三角関数や、三平方の定理などが必要になるので、そこはいつか学んでもらうとして、それでも中学校くらいの勉強の内容で、計算することができることは理解できるのではないかと思います。
 おつき合いください。
 

 アリスタルコスはまず、月と地球の大きさの検討をつけました。
 どうしたか?

 〈月食の時の月〉の様子から検討をつけたのです。
 この図はアリスタルコスの唯一残っている著書「太陽と月の距離と大きさについて」の写本です。※写本=その頃は印刷する技術が無かったので一冊ずつ手書きで写し取っていた

 左が太陽、真ん中が地球、右が月の概略図です。

アリスタルコス「太陽と月の距離と大きさについて」写本 wikipedia

 アリスタルコスは、月食つまり〈月が地球の影の中を通過する様子〉から地球の直径は月の直径のおおよそ3倍であると検討をつけました。

 次に太陽の大きさです。

 この図を見てください。
〈半月〉つまり、地球から見て月の半分が明るい時は〈地球・月・太陽で描く図形〉が「直角三角形」になります。


 直角三角形を描くと〈三角関数〉が簡単に利用できます。
 〈三角関数〉というのは、アリスタルコスより前のユークリッド、ピタゴラスが利用した数学技法です。アリスタルコスはユークリッドの弟子だったという話もあるくらいで、三角関数のアイディアは持っていたにちがいありません。


 アリスタルコスは太陽・地球・月の描く角を〈87°〉だと算出しました。
 すると、太陽との角度θは〈3°〉になります⇨三角形の内角の和は180°だから
 地球から月までの距離を〈1〉だとすると、三角比で 1/a≒0.05(sin5°)だとわかります ※三角関数で算出
するとa≒1/0.05≒20
つまり地球から太陽まで(a)の距離は、地球から月まで(1)の20倍だと計算できます。※今の正確な計算では400倍だとわかっています。アリスタルコスが測定した角度が少し小さかったので、距離に大きな差がでてしまいました。しかし数字は違っていても、何倍も遠くにあることを力技で計算したところがアリスタルコスのすごさです

 実際のフィールドで、月までより20倍のモデルを置いて、月と同じくらいの大きさに見えるには、どれくらい大きくないといけないのか考えたのでしょう。

 20倍遠くても同じ大きさに見えるとすると、大きさも20倍ないといけないことがわかります。
 地球は月の3倍だから、太陽は地球の直径のおおよそ6倍くらいになる。※実際は109倍
 直径が6倍だということは、球の体積で計算すると、重量は300倍も大きいことになる。※現在の科学的なデータで計算すると〈太陽は地球より約33万倍

 アリスタルコスの頃はπの値は定まっていませんでしたし、現在の計算からみると違っているとはいえ、しかし、球の体積はおおよそこうだろう、という様にして「太陽は地球よりはるかに大きい」ことを正しく予測したのです。

 この結果からアリスタルコスはこう考えました。

 300倍の大きのものが、この小さな地球の周りを回るだろうか?
 たとえば小さな子どもと大人の大きさのでも6~7倍くらいの違いだ。
 小さな子どもと大人がヒモでお互いをふり回すとして考えてみると、小さな子が大の大人をふり回すなんてできない。
 大きな大人が、小さな子どもを振り回すのが普通だろう。

 6~7倍ですらそうなのだから、自分より300倍くらい大きなものを回すなんて有りえない。

 地球の周りを巨大な太陽が回っているのではなく、太陽の周りをちっぽけな地球が回っているに違いない。

 アリスタルコスは、そういう思考過程を重ねて地動説をとなえる様になったのです。
 数字的には間違っていましたが、地動説そのものは引き継がれ、ガリレオの金星の観測によって、天動説の間違いと地動説の正しさを証明されました。

 人間が真理を見つけていく過程のダイナミックな歴史を感じませんか。
 今わからなくいても、興味をもっていれば、きっとまたいつかこのことを思い出して、自分でもアリスタルコスのことを調べてみたくなると思います。
 興味関心のあることをどんどん調べて賢くなっていってくださいね。
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意見が違うことはすばらしいこと/板倉聖宣 科学の碑 由来記より

 みんなの意見が同じであればよいのに、と考えたことがあるでしょうか?
 RIDE( ライド:たのしい教育研究所 )の授業では、ほとんどそういうことはなく、いろいろな人たちが違う予想で自分の考えを出し、討論しあいます。
 その討論そのものがたのしい時間になります。
 また討論を経て、実際の姿を調べたり実験したりすることは、さらにたのしい時間になります。
 これが、みんな同じ意見だとしたら、たのしさも欠けるでしょうし、何より「実験してみよう」という意欲も怒らないかもしれません。
 こういう〈意見が違うことの素晴らしさ〉を高らかに掲げたものが板倉聖宣「科学の碑 由来記」です。
 新潟の東陽寺の敷地内にある〈科学の碑〉に掲げられています。
 この写真左下にある石版に記されています。

 

〈科学の碑〉由来記

 

 人類は科学によってはじめて、〈人々の意見が違うことのすばらしさ〉を発見することができました。
 いろいろな人がさまざまな意見をもっていてはじめて、思わぬ真実が発見されてきたのです。
 そこで、科学は民主主義一少数意見の尊重と歩をーにしてきました。
 私たち仮説実験授業研究会を中心とする人々は、1963年以来27年ほどの問、そのような科学をみんなのものとするために、学校や社会の中で努力してきました。
 そして〈たのしい科学の伝統〉を日本の学校や社会の一部によみがえらせることができたと自負しています。
 しかし、日本ではこれまで科学というと、一般の人々には親しみのもてないものと思われてきました。
 そこで私たちは、これまで私たちの仕事の成果を記念し、かつ今後の仕事の発展を期して、〈科学の碑〉を建設することにしました。

 そして、その周りの森には〈科学の森〉にふさわしい施設をととのえ、ともすれば誤解されがちな科学の性格を多くの人々に訴えることにしました。

      1990年5 月4 日設立委員会代表板倉聖宣

 

 違う意見があった時、このことを頭に置いて「違う意見があってよかったね」と考える様な人たちが増えていくと、たのしく賢い場所になると思います。
 それは学校だけでなく、家庭でも会社でも同じことだと考えています。

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