板倉聖宣が1989年8月に仮説会館で語った内容がとても心に残り、メモとして残してあります。
今回はそれを書き起こしてみます。
※文脈を整える意味で最少限度に喜友名が手をいれてあります
この中で板倉聖宣が、真理にはいろいろな真理がある。真理であるがゆえに尊いのではなく、重要な真理であるかどうかが大切なのだ。では、重要な真理とそうでない真理はどうすればわかるのか?
ということをとてもシンプルに語ってくれています。
わたしはいろいろなところで「たのしさが未来を拓く!」というお話をしています。
その原点はここにある、ということもできると思います。
板倉聖宣
ボク自身は仮説実験授業の中で〈最も基本的な事実〉というものを取り上げようと思っています。
それはボクの世界観によっているんだけれども〈ボクの世界観が独り歩きしないでいくようにしたい〉と強く思っています。
そのためには、出てきた結果に対して「真理であるという検証をする」だけでなく「重要な真理であるということを大切にする」ということが大事です。
真理であるかどうかは〈仮説実験〉で決まります。
しかし「それが重要な真理であるかどうか」は〈仮説実験〉では決まりません。
どうやって決まるのか?
それは〈たのしいかどうかだ〉と思うのです。
それを教えられた、それを知った人たちが
「すごくいいことを聞いた。これで世の中の見かたがかわっちゃう気がするよ」というようになるものが重要である。
そうなってはじめて、それは〈重要な真理〉だと言えるのです。
゛教わったときにたのしくなる真理」こそが重要だと思うのです。
〈そんなことはどうでもいい〉というような真理は、真理は真理でも〈苦しい真理〉でしょう。
苦しい真理を研究している学者はたくさんいます。
しかし教えて喜ばれるもの、つまり〈たのしい真理〉が残っていくのです。
たのしさを大切に守り育てる
「たのしい教育研究所」です