アウトドアワーク絶好調/梅の花が・・・

 沖縄の本格的な夏は過ぎ、気持ち良い季節になりました。
 アウトドアワークも進んでいます。
 働く場所を自由に選んで過ごす、というのは私いっきゅうの人生の醍醐味の一つです。

 メールマガジンを海岸で綴っていたら「かけあし~」とか「前倣え(まえならえ)」というけっこうハッキリした声が聞こえてきました。近くに学校はないのにな。
 海に向かって誰か叫んでいるのかと思うくらいの大きさで聞こえてくるので、怪しい人だと困るなと、立ち上がってその人物を探してみましたが見つかりません。

 そのうち、砂浜向こうの市営グラウンドから聞こえてくることがわかって、木々の隙間から見えてくる子ども達の動きをみていました。

 運動会の練習の声がうるさいのだという人もいる様ですけど、その何百倍もの人が、運動会の練習の掛け声に元気づけられていると思います。
 子どもたちの声も秋の風の中ですがすがしく響いています。
 

 翌日のアウトドア・ワークは、研究所のメンバーで〈梅見祭り〉をする場所を選びました。
 PTAでの親子授業の流れのストーリー構成が、どうもスムーズにいかず、頭を冷やそうと、立ち上がって周りをみわたすと、梅の花が咲いていました。
 

 この梅のひと花で、まわりがパッと明るく見えてしまうのですから、人の心というのは不思議なものですね。

 沖縄で梅の花は1月初旬に花を開きます。
 時期外れの花を〈狂い咲き〉という失礼な呼び方をする人がいます。

 しかし、すべての植物が種類ごと開斉に花を開かせるわけではありません。
 1日2日ずれたり一週間ずれたり1ヶ月ずれたり・・・
 中にはこうやって数ヶ月はなれて咲く花もあるのです。

 そういう花をみつけるのもたのしいものです。

 私は大好きだった遠藤純夫先生の言葉に倣って
「とても早咲きの梅の花」と呼ぶことにしました。

 そういう花を見つけるのもたのしいものですよ。

 梅の花の様に、新しいアイディアが湧き、直近の授業はその時うかんだストーリー構成で実験することにしました。

 毎日たのしく、たのしい教育をすすめています。

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板倉聖宣の発想の仕方/自由がよいのか統制がよいのか? 後半

 板倉聖宣の発想法にはいくつかの型が見られることを、随分前に「板倉聖宣の発想法」としてガリ本にまとめたことがあります。

板倉聖宣の発想の仕方には
◯原子論をもとにすること
◯仮説・実験が決定的であること
◯ヒューマニズムからスタートすること
という〈原理・原則〉的なものと、発想を進めていく時の型の一つに

☆ AといえばB BといえばA

という流れで考えをすすめていく型です。

思考の過程として「A」→「しかしB」→「だがしかしA」
を繰り返すわけです。

 前回の〈自由がよいのか統制が良いのか〉も、この型で流れています。
 わたしの言葉で流れを整理するとこうです。

 みんな自由がよいと考えるでしょう、しかし自由というのは〈わがまま〉のことなんだよね。わがままを言いすぎると困るわけ。
 すると〈統制〉ということも考えなくてはいけない、〈統制〉というのはつまり〈調和〉のことでもあるんです。

 つまり、どちらにも良い面と欠点とがあって、どちらをとったらよいのか、ということについて、簡単には決まらないということです。

 だから〈調和〉がいいんだということになるかもしれないけれど、でも〈わがまま〉というのはいいすぎては困るのであって、〈自由〉の素晴らしさを否定してもらってはいけないと思う。

 この思考の過程に優柔不断的なものを感じるかもしれません。
 しかし、何が正しいのかを考えていくときに、はじめから〈これが正しいに決まっている〉という考え方の方が不合理なのです。

 ある物事について、こうかもしれない、ああかもしれない、という場合に、どちらにも正しい様に思える部分があることをはっきり認識しながらすすめること、そうやって実験的に確かめていく中で、よりよいものを見つけていく、それが今回の板倉聖宣の発想の型です。

 子どもが欲しいというものを買ってあげたほうがよいのか、それともがまんさせるべきか。

 Aという仕事を選ぶべきかBという仕事を選ぶべきか。

 人生には、そういう命題がたくさんあります。

 発想のヒントになれば幸いです。

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板倉聖宣の発想の仕方/自由がよいのか統制がよいのか? 前編

 板倉聖宣の発想法について最新のメールマガジンの〈たのしい教育の発想法〉から少し紹介しましょう。

 毎週メルマガをとてもたのしみにしてくださっている方が多いのですけど、一見むずかしい雰囲気の漂う発想法の章も人気が高く、人間は哲学的にものを見ることに魅力を感じていて、納得できる様に伝えることができれば、それが好きになっていくのだと実感しています。
 時には私の様に仮説実験授業を学んで来た方たちから
「もう今はいない板倉先生の〈ものの見方考え方〉を丁寧に伝えてくれていることがありがたいです」という内容のメールも届きます、うれしいことです。
 板倉聖宣の弟子を名乗る私が、今でもその発想法を生き生きと学び続けていて、それはいろいろな方たちの〈ものの見方考え方〉にも寄与するものになっているのでしょう。

 板倉聖宣が元気な頃も、そして倒れて入院(入所)し時も何度もお会いしてきました。その影響は私の中にドシンと横たわっています。
 これは亡くなってすぐ後に、奥様の玲子さんからお話を伺い、写させてもらった遺骨遺影です。師の板倉聖宣はこういう飾ったポーズをすることはほとんどなかったので、これを選んだのかもしれません。

 

 最新号で紹介したのは〈1992年仮説実験授業研究会委員会〉の中で語った内容です。
 親や先生が、そして組織の中にいる人たちが意識していた方がよいことを伝えてくれています。またこの短いフレーズ中には板倉聖宣の考え方の特徴が表れています。

 今回は前編として、その語った内容を味わってみましょう。

  メルマガで紹介した一部です、読んでみてください。

板倉聖宣

〈自由と統制〉というと、みんな自由がいいと言うけれども、言葉を換えると「自由」というのは〈わがまま〉で、「統制」というのは〈調和〉です。
 わがままと調和とどちらがいいかというと「調和の方がいいな」という感じがするでしょう、そのことについて考えてみたいのです。
 自由と統制のどちらの側面が強く現れるかによって、違う展開になります。

 調和つまり統制をとろうとすると、それが束縛になって現れる。自由をとろうとすると〈過度のわがまま〉になってしまう。
 仮説実験授業研究会は今までは、わがままと自由が同じでよかったんです。
 他人との関係は気にしなくてもいい平和な時代でした。
 わがままが同時に自由だった。

 ところが組織が大きくなると〈そうだよね、自由がいいよね〉といって、わがままをいいすぎても困るよね、ということになります。
 でもそれは「言いすぎては困る」ということであって、わがままというのはやっぱりいいんです。

 だからといって「わがままが100%いいんだ」といってもらっては困る。

 子どもに限らず「こうしてはダメ、こうしなさいああしなさい」と言われるより「自由にしていいよ」といわれた方が心地よいものです。〈全く初めての場所、状況〉に置かれた時などは「こうしてください」という様な指示がありがたかったりします、が、それはまた別な時に。

 家庭でも学校でも、この〈自由と統制〉についての見方・考え方をしていると、一方的な押し付けを避けることができる様になると思います。

 自由がよい時も、自由が困る時もある。

 学校にはたくさんの決まりごとが多く、学校にきたらこうしなさい、掃除の時はこうしなさい、給食はこうしなさいという様なものが、きっと先生たちも把握できないくらいたくさんあります、私自身が「え、そういう決まりあったの?」と思う場面がなんどもありましたから。

 社会が進んだ今、人間は自分の人生を豊かにたのしく過ごしていくことが究極の目的だといってよいのだと思っています。その時、周りの人たちの笑顔・たのしさも必須条件です。

 この〈自由と統制〉に対する見方・考え方は、自分の人生そして周りの人たちの人生にとって大切なものであると思います。

 一度読んだだけだと「じゃあどうすればよいのか」と感じる人がいるかもしれません。
 しかし「簡単にこうだと言い切ることはできないのだよ」という見方・考え方が自分の中にあるか無いかだけで、ずいぶん違うものになると思います。

 前半は以上

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たのしい教育で広がる笑顔と賢さ/たのしい教育がやめられない/実験は必ず自分でやらなければいけないのか?

 RIDE( ライド:たのしい教育研究所 )の活動は第二期に入り、私いっきゅうはいろいろなところを飛び回ってどんどん授業をしていくことは少なくなりました。

たのしい教育研究所

たのしい教育研究所

 身体は一つしかありませんし1日は24時間しかないので、先生たちをじっくり丁寧に育てていく活動やいろいろな学校でのスーパーバイズ、カウンセリング、RIDE企画講座、出前児童館ほかに本気で打ち込んでいると〈外部依頼の講演や授業〉等をこれまでの様にこなすのは不可能だからです。

 それでもとても熱心な依頼や波及効果の大きいものなどについて、時期的なものとの兼ね合いで無理をしてでもお受けすることがあります。私いっきゅう個人の意向ではなくRIDE( ライド:たのしい教育研究所 )のカリキュラム編成委員会のメンバーが公正に調整しているものです、ご了解ください。
 依頼してもなかなか授業にたどりつけない、という皆さんもこのサイトを読んでくださっていると思います。申し訳なく思います、お詫びいたします。

 さて、その依頼の中で実施させていただいた授業について紹介させていただきます。

 総勢150人くらいでたのしんだ授業です。

 私いっきゅうの科学の授業は基本的な構造は同じ、仮説実験授業の授業運営法通りです。
 まず本格的な科学の内容をとりあげます。
 予想を立てる、理由をたずねる、意見を出し合って予想変更が無いか確認してから実験です。

 今回の依頼は、小学校の時間でいえば3時間くらいある長めの時間だったので、私の大好きな〈ロバード・ゴダード〉を本格的に取り上げて授業構成しました。

 これは選択肢をなげかけて予想をたずねているところ。
 これだけ人数がいると正確に人数を数えるのは難しいのでおおよその人数で予想人数を確認します。

 そして〈どうしてそう予想したのか〉をたずねているところです。
 はじめは緊張していても、子どもも大人も自由に自分の考えを語ってくれる様になります。

 実験は私がやることもあれば、

 こうやって各自で確かめることもあります。

 たまに「実験はそれぞれ個人がやらなくてはならない」と考える人がいるのですけど、それは科学の本質から外れた思い込みです。
 予想を立てて物事をたしかめることが科学であり実験です。
 自分でやらなくても確かめられることがたくさんあります。「ああいう格好をしていると蚊にたくさん刺されちゃうよね」と予想していると案の定かゆいかゆいという反応がみられたり、逆にみられなかったり、それがつまり実験結果です。
 自分でその格好をして草むらに入る必要はありません。

 自分の予想を丁寧に確かめながら子ども達も保護者の皆さんも賢く笑顔になっていきました。
 それは授業後の評価感想からはっきりとわかります。

 今回の授業の評価感想もとても高いものがありました。
 何人かの子が似た様な感想を書いてくれました。

いっきゅう先生が「これからみなさんの人生に関わる実験をします」といっていたけれど、吹き矢の実験で、力の効果は〈力の大きさ×時間〉なのだとわかってびっくりしました。
小さな力でも加え続けることでとても大きな効果がでる。本当に人生に関わることを学んだ時間でした。

 私の細かいフレーズまでしっかり受け取っていくれています。

 これだからたのしい教育はやめられません。ますます全力投球する想いを強くした1日でした。

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