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ここまで。

アメリカフウロがいっぱい・・・いつアメリカからやってきたのでしょう?

 久しぶりに第一研究所の周りを散策してみると、アメリカフウロがいっぱいありました。

 このとんがったところと、その下の方についている丸いタネ゛ピョンと飛んでいきます。

 去年の5月10日に買いたした〈アメリカフウロのタネ飛ばし〉が好評です。飛ばし方もありますから、ぜひごらんください。

アメリカフウロのとっても楽しい〈タネ飛ばし〉-動画つき-

 そのときに調べて不思議に感じていたことがあります。

 アメリカフウロというからにはアメリカから来たものに違いありません。調べてみると確かにそうです、図鑑には〈北アメリカ原産〉と書かれています。

 沖縄だけでなく、日本全国に広がって、道端で普通に見られる植物の一つです。もちろん人間が植えたり、タネを撒いていったわけではありません。しかし、日本にもともとあったイブキフウロなどよりずっと多く見られる様になりました。

 これがイブキフウロ。

イブキフウロ 伊吹風露

これはヒメフウロ。

 

ヒメフウロ

ヒメフウロのしべ

これがアメリカフウロ。

 

アメリカフウロ

花の広がり、厚み、葉の形状、シベの様子など、いろいろな違いがあります。

 日本にもともとあったフウロ草たちより、ずっと広域に生育して、圧倒的な数になったのがアメリカフウロです。

 では、アメリカフウロがこれだけ全国各地に広がるまでに、どのくらいの時間(年月)がかかったのでしょう。
 みなさんはどう思いますか?

 今の所まだ研究途中ですけど、まず予想してみてください。

アメリカフウロが日本にやってきたのは、いつごろのことでしょう。日本に持ち込まれてからどのくらいたつと、日本全国に広がるくらい増えていくのでしょうか?
予想してみてください。

 ア.10年くらい前

 イ.50年くらい前

 ウ.100年くらい前

 エ.200年くらいまえ

 オ.その他

 

 これまで調べた限りでは
「戦後、アメリカから牧草(動物に与えるための植物)が運び込まれたとき、その中にアメリカフウロやタネが混ざっていて広がっていった」
ということです。

 とすると終戦後、つまり1945年以降のことになります。

 アメリカフウロは最近有名になったわけではなく、野草の植物図鑑なら大抵のっています。15年ほど前に執筆された〈伊波善勇〉先生の「石川市の植物」にももちろん載っています。つまり遅くとも50年くらいではすでに全国に広がった植物だと言えるのではないかと考えています。

 世界的な植物学者である牧野富太郎(まきの とみたろう、1862年5月22日~1957年1月18日)の本に〈イブキフウロ〉が紹介されています。しかし私が調べた限りでは〈アメリカフウロ〉については言及されていません。
 牧野富太郎は、終戦後12年生きていました。
 これは10年そこらでは、牧野の目にとまるほどの広がりはなかったのだろうという尺度の一つになるのではないかと考えています。

牧野富太郎

牧野富太郎

 いつか時間ができたら、大学の図書館にこもって、調べてみたいことの一つです。この〈いいねライン〉をクリックすることで〈たのしい教育研究所〉を応援することができます !

 

 

 

たのしい絵画ワークショップ〈おいしそうなバナナ〉

 今週は〈たのしい絵画ワークショップ〉が開催されました。

 たのしい芸術担当 小禄さんの丁寧な指導の中で、2時間の心地よい時間が流れていきました。

 

 その中でいくつかの作品が誕生しました。

 その一つがバナナ。

 傍で眺めていると、絵の方が美味しそうで、香りまで漂ってくる感じがしました。

 

 描いたのはNさん。

 絵を学ぶのは初めてです、といっていたNさんもすでに受講三回目。毎回みずみずしい作品が生まれています。

 

 コーヒーにぴったりの差し入れもありました。

 これです。

 今度の絵画の題材によいかもしれません。

 ただし、学校で子どもたちに描いてもらうのは難しいですね、がまんできないから。

 読者のみなさんの中から「日曜日に開催してもらえないか」という要望も届いています。いつか小禄さんの時間が調整できたら、スペシャルで日曜日コースを開くことができるかもしれません。気を長くしてお待ちください。この〈いいねライン〉をクリックすることで〈たのしい教育研究所〉を応援することができます !

オリヴァー・ジェファーズ 作・絵〈あっ、ひっかかった〉 どこでも大人気!

 絵本〈あっ、ひっかかった〉オリヴァー・ジェファーズ作・絵 が沖縄市のいろいろなところで人気を博しています。たのしい教育研究所の若手のホープ I先生が以前、たのしい教育CafeでI先生が紹介してくれた作品です。

 

 たのCafeに参加した先生たちにも大人気だったのですけど、今月の沖縄市出前授業で取り上げたところ、子ども達がもりあがったり大爆笑したり・・・

 中を少し紹介しましょう。

 

 はじまりは、フロイドくんの〈たこ〉が木にひっかかったところからはじまります。

 それを何とかとろうとするフロイドくん! ページごとの言葉がカギなのであえて英語版の絵本で紹介しますね。

入手先 ➡︎ あっ、ひっかかった (児童書)

 数々の絵本を読んできたわたし、いっきゅうですけど、この発想にはやられました。
 オススメの秀作です。

 もしかして頭がかたくなったかな、と思うことがあったら、ぜひこの本を手にしてみるとよいと思います。

 そしてできれば家で、あるいは学校で子ども達に読んでみてください。静かに聞いている子も、きっと心の中で盛り上がっていると思います。

 たのしい教育Cafeでは毎回、たのしい絵本の読み語りがあります。
 おいしい珈琲を味わいながら、聴きにきませんか。次回は六月に広めの会場で開催する予定です。この〈いいねライン〉をクリックすることで〈たのしい教育研究所〉を応援することができます !

 

たのしい教育の哲学〈100m競争で負けても1000m競争で立派な成績をあげればよいのです〉板倉聖宣1968

 週一のメールマガジンで掲載している〈楽しい教育の哲学・思想・発想法〉が好評です。メルマガのラストに位置する章なのですけど、「真っ先に読んでいます」「次回もたのしみです」というメールがたくさん届いています。

 メルマガ自体、わたしがたのしみで綴っていて、その中でもこの章は、これまでなんども読み返して来た文章や、長年考えてきたことをまとめているので、書いている私自身が最も認識を深める構成になっています。

 今回は板倉聖宣が50年ほど前に、小学校六年生からの手紙に返信した内容を綴っています。手紙の中に出て来る言葉をタイトルにして〈100m競争で負けても1000m競争で立派な成績をあげればよいのです〉としました。

 いろいろな中学へ受験していく子ども達へ向けて、あたたかい文章が続いています。板倉聖宣は、かつて中学受験に失敗したという辛い経験をしています。
 そういう過去も含めて、たのしく学んでいくことの大切さが折り込まれた手紙です。

 ほんのすこしだけ紹介します。

 小学校6年生でもう受験勉強するなんて大変ですね。

 受験勉強でも何でも、たのしく勉強できるように工夫して勉強してくださいね。

 たのしく勉強したことなら、よく身について、いつまでも覚えていられるけれど、いやいや勉強したことはすぐに忘れてしまって無駄になりますからね。

 たのしい教育メールマガジンは、たのしい教育の〈実践方法〉から〈発想法〉までを学ぶことができる画期的な内容です。興味のある方は、お申し込みください。
 毎週金曜日、PDF版でお届けしています。この〈いいねライン〉をクリックすることで〈たのしい教育研究所〉を応援することができます !