「仮説実験授業の評価」/卒論で仮説実験授業をテーマに取り組んでいる大学生からの質問に答えて/おすすめ本「仮説実験授業のABC」

 某日、大学の卒業論文で仮説実験授業をテーマにしているAさんが、たのしい教育研究所を訪ねて来ました。「仮説実験授業の社会的評価」「今日的課題」「授業書と教科単元との関連」など、いろいろな質問をうけていました。

「仮説実験授業に対する評価のまとめ方」についてという質問にを受けた時の話。

 仮説実験授業を受けた子ども達の評価が最も基本的なものになるでしょう。
 もしも仮説実験授業を実施する先生達の側からの評価を取り上げたいという時には、熱心に取り組んでいる先生と、否定的な先生達のどちらをどの程度取り上げればよいか、というのはとても難しいことになります。
 熱心な先生たちは何しろ仮説実験授業が好きなのだから、「仮説実験授業はいい」という評価がいくらでも出て来るでしょう。逆に、仮説実験授業に否定的な先生達の側からは「はじめから否定したくて仮説実験授業を実施した」という立場の人もいるので、それらを評価の対象として良いのかどうかも含めて、「評価」というものはとても難しいのです。

 

 仮説実験授業だけに関わらず、たとえば〈薬が効く・効かない〉〈熱がよく伝わる・伝わりにくい〉という様なことまで、《実験》のみで判断するしかないのです。議論で判断しようとしたり、人数の多さで判断することはできません。それは長い科学の歴史の中から人類がやっと掴み取った真理です。

 仮説実験授業の問題もしかりです。
〈仮説実験授業によって授業が“たのしく”なったか〉
〈“ふりこの等時性”を確かに理解したか〉
〈仮説実験授業の授業書など使わず、“教科書”をそのまま実施した方が良かったのではないか〉
などについても、仮説実験授業を実施する・しないことによる《実験》によってのみ、比較判断できることなのです。

 初めて仮説実験授業を実施すると、子ども達から

「先生、他の授業もこんなふうにやってほしいです」

という評価・感想が出て来ることがあります。そしてそういう趣旨の評価・感想は稀なことではありません。

 かつて〈授業の神様〉と呼ばれ全国でも有名なある人物が仮説実験授業の授業参観をし、その後の授業研究会で
「子ども達が発する明らかに間違った意見や予想などに対して、教師はもっと正しい方向にリードすべきで、それが教師の大切な役割ではないか」
という趣旨の意見を出したことがありました。
 仮説実験授業を創った板倉聖宣は
「教師が、子ども達の意見や予想をリードしていくとどうなるのか、わたし達はすでにそのことに対して実験済みなのです。
 ぜひ今度、斎藤先生がこうあるべきだという流れの先生に来てもらい、私たちの流れで授業する先生と2クラスで平行授業してみて、子どもたちがそれをどう評価するか、また大切な科学的な原理を子どもたちがどれだけ自分のものとしたか、比較実験してみませんか」
 と答え、提案しました。それに対して授業の神様は黙してしまいました。

 そういうように、すでに歴史の中で滅び去っていった批判というものはいくつでもあるでしょう。今日的課題を出していく時に、そういった評価・批判の取り上げ方を正しくみていかなくては、時間の無駄になってしまうでしょう。

 そういったやりとりをしつつ、わたしからも質問。

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「それで、仮説実験授業のABCは何度くらい読みましたか?」

ピクンと動き、一呼吸経て後

「はい、2度ほど」
「それは少ないんじゃないのかな」
「はい、もっと読み込んできます」

 

 書籍「仮説実験授業のABC(仮説社)」には、仮説実験授業に関わる大抵の質問には答えられる様な内容が網羅されています。それらは初歩的なもの、というわけではなく、わたしの様に仮説実験授業を30年以上続けていた人間にとっても大切なことがたくさん含まれています。

 何度も改定されていますが、わたしが何度も読み込んで来たのは1984年改定《第3版》です。
 こういう状態ですから、乱暴に扱ったと思うかもしれませんけど、何百回というくらい開いて読んできたので、ずいぶん丁寧に扱っている方だと思います。

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 内容を書き抜いてみましょう。

仮説実験授業のABC 第四版 もくじ
はしがき
第1話仮説実験授業の授業運営法
「授業書」を使う
 援業書を読むことから授業がはじまる
 予想の選択肢
 予想分布を黒板上に集計
 理由の発表
 討論
 実験一その前に予想変更
 次の問題に
 読み物の役割
 カリキュラムは作らない
 まず一つの授業書だけやってみること
 感想文を書いてもらう(17)

第2話仮説実験授業の発想と理論
 仮説実験授業の原則的な考え方
 「授業」と「学習」
 「予想」と「仮説」
 授業の法則性の追求と「授業書」
 みんなの共有財産としての「授業書」
 仮説実験授業の骨組み
 教育の民主性と「Ox」式
 問題の意図を明確に
 頭のよさは着想の豊かさ
 まちがえ方の教育を
 成功・失敗の基準をきめておく
 近代科学の成立に学ぶ

第3話評価
 一なぜ,何を教育するかの原理論一
1誰が何を評価するのか
 目標があれば評価もある
 教師の目標・子どもの目標一目的職に合わせt二自己評価
2相対評価の根源と効用
 相対評価の根源一ホンネとクテマエ
 強引な相対評価批判の誤り一点数のたし算のできる根拠
 選択があれば競争がおこる一合理的な相対評価もある
 「できる」と思われたいから「できる」一優等生的学習意欲
3教育内容の改変を
「みんながやらなければならないこと」は何か
 実用的価値と哲学的価値
 知らなくてもよいが,知っていると楽しいこと
4絶対評価の基本
 合格と不合格の2段階一目漂がはっきりしていること-
 自分のすばらしさがわかる評価一できないことがわかってから教える
 学びたいものを学ぶ一テストされたいことをテストする
5いろいろな場面での評価
 評価は絶えず行なわれている
 感想文一おたがいに評価しあっている内容を知る
 孤立して孤立しない論理一自信をもって生きるために
 見えない心の動きを見る
 態度や探究心一大切だからこそ評価してはいけない

 

第4話 最近3年間における研究運動の成果
 一たのしい絵の授業や歴史の授業書など一
 仮説実験授業とは何であったのか
 松本キミ子方式の絵の授業の特長
 音楽と体育の授業のことなど
 歴史の授業書の成立
 自然科学関係授業書の新作・改訂
 その他の授業書作成運動の進行
 入門講座,サークル,合宿研究会,仮説会館など

 

第5話どんな授業書があるか
一授業書と実験器具・教材映画・参考文献の案内一
 授業書の作成は力学分野からはじまった
 統一カリキュラムは作らないのが原則
 検定教科書にヒントを求めるのも一便法
 授業書は途中をとばさないで用いること
 A.小学校低学年でもできる授業書
  足はなんぼん?
  背骨のある動勧たち
  にている親子・にてない親子
  空気と水
  かげと光
  砂鉄
  ベッコウあめづくり
  折り染め
  ちぢむプラパンその他
 B.自然界の多様性をとりあげた授業書
  磁石
  電池と回路
  虫めがね
  宇宙への道
  月と太陽と地球
  花と実
  30倍の世界
  お天気しらべ
  土と虫
  まかぬ種子は生えぬ
 C.物性(物質の一般的な性質,つまり原子・分子にもとづく性質)
  に関する授業書
  ものとその重さ
  空気の重さ
  水の表面
  温度と沸とう
  溶解
  結晶
  三態変化
  もしも原子が見えたなら
  いろいろな気体
  燃焼
 D.力学関係の授業書
  ばねと力
  磁石と力
  まさつ力と仕事量
  滑車と仕事量
  てことりんじく
  重心と物体のつりあい
  天びんとさおばかり
  重さと力
  浮力と密度
 E.物理学・化学・生物学・地学関係の授業書
  連さと時間と距離
  ふりこと振動
  力と運動
  慣性の法則と放物運動
  電流
  電流と磁石
  ものとその電気
  熱はどこにたくわえられるか
  電気を通すもの通さないもの
  金属原子の世界への招待
  錬金術入門
  動物の分類と進化
  植物の分類と進化
  地球
  ケプラーまでの天文学史
 F.公害・道徳・社会科学の授業書
  たべものとうんこ
  たべもの飲みもの同の色?
  ゴミドン
  洗剤を洗う
  生頬憐みの令
  禁酒法と民主主義
  日本歴史入門
  お金と社会
  自給率
  ゆうびん番号
 G.算数・数学・国語・外国語などの授業書
  つるかめ算
  量の分数
  かけざん
  広さと面積
  統計と法則
  漢字の素粒子と原子
  漢宇と漢和辞典
  よみ方
  英語のこそあど
 H.体操・迷信・美術・その他の授業書
  小久保式開脚跳び
  コックリさん
  あなたは裁判官、それとも科学者?
  ほんとかな,うそかな
  キミ子方式の絵
  たのレく学びつづけるために

 

自然科学関係授業書系統表

 

実験器具についての解説
 ばね
 フェライト磁石とRE磁石
 気球
 イリュ一ジョンとミラクルボウル
 カラースライド〈花と実〉
 分子槙型発光ダイオード
 水池
 原子の立体周期表

 

教材映画の紹介
 ものとその重さ
 空気の重さ
 溶解
 物質の融点
 物質の構造
 動きまわる粒
 力のおよぼしあい
 力のたし算
 磁石と力
 まさつ力
 機関車の引っぱる力
 滑車と仕事量
 浮力
 空気の圧力
 磁場一電流と磁石
 磁場の桓互作用

 

参考文献の紹介

 

トピックス論文・記事一覧

 

仮説実験授業研究会会則・趣旨説明

 

あとがき

 仮説実験授業のABCを読めば、仮説実験授業に関わることはおおよそわかる、といってよいでしょう。

 大学生のAくんと語りながら発見したことがありました。
 わたしがいつも手にする「仮説実験授業のABC 第3版」のあと、消えた一覧表があります。「仮説実験授業の自然科学関係授業書系統表」です。授業書がどんどん増えてきたので対応しきれなくなったのでしょう。

 今では手に入らない貴重な一覧表になります。
 Aくんだけでなく、仮説実験授業に興味関心のある方達が利用できるかもしれませんから、ここに載せておきましょう。

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板倉聖宣 仮説実験授業研究会代表の「正義と民主主義の問題としてのいじめ」で読解特訓

 私が教師になった頃、板倉聖宣(仮説実験授業研究会代表・日本科学史学会会長)の「正義と民主主義の問題としてのいじめ」という話を読み衝撃を受けました。雑誌「たのしい授業」の1985年3月号に掲載されています。

 さて、研究所には「国語の読解の力を高めたい」という方達がやってきます。読解力を高めるには、感動を伴った上質な文章を読むことが不可欠です。そこでさっそく、その方達向けの読解プリントとして、板倉聖宣のその文章を準備しました。教員採用試験の特訓でも利用しています。
 これです。

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 少し書き抜いてみましょう。

正義と民主主義の問題としてのイジメ
たのしい授業公開編集会議にて
                 板倉聖宣1985年1月26日

イジメというのは昔からあったわけです。
 近年は新聞とかテレビなんかでも社会的な大問題として取り上げられますが、はたしてそれが「雑誌 たのしい授業」でもとりあげるほどの問題であるのかというと、じつは「イジメの根本をはっきりさせないままに、あるいはまるで見当違いな診断をもとに現象だけが大問題扱いされること」が大問題なのです。そういう意味では明らかに「雑誌 たのしい授業」でとりあげてもいい問題だと思います。

 正義のあるところにイジメあり
 イジメる側には必ず何らかの正義感-〈汚い奴をきれいにしてやろう〉とか〈勉強できない奴を向上させてやろう〉とかいうことがあってシゴくと思うんです。それは多かれ少なかれ「自分自身はかつてそのようにシゴかれて向上した」という経験があるからでしょう。たいていの人は「あの時はつらかったけど、あのおかげで現在の自分がある」と思い当たる。だから「たとえ本人がいやがっても、どうしても教えてやらなきゃならないことがある」ということを否定できる人は少ないんです。イジメが発生する根底には、そういうことがあると思います。
 生まれてから一度も叱られたことがない人がいたとしたら、そういう人の対応はちょっと普通と違ったものになるかもしれませんけどね。

 教育というのはたえずシゴキになる危険性があるわけです。

 文章はプリントにして4ページ続きますが

 最近の子ども達がおかしくなったのではない。いじめというものは昔からあった。 《いじめを許さない》という対策は「いかにいじめのサインを早急にキャッチするか」という議論になるが、もっと根本的なことがある。
 教育というのは〈鍛える・高める〉という名の下に、たえず「いじめ」に陥る可能性が潜んでいるのだ。だから
教師の授業そのものが、いじめに陥っていないかを考え、子ども達が喜んで学ぶ、たのしくい授業に転換していくことが、いじめの根本的な解決に結びつくのである。

 というその内容について、迫力をもって伝えてくれています。

 たのしい教育研究所は、その思想・発想を確かな基としています。

 鍛えるとか高めるという様なものとは別な〈異常ないじめ〉というものもあるでしょう。しかし確かに、教育という名のものに、正当に横たわっている「いじめ」があります。「できない奴は運動場10周」という様なものだけでなく、精神的な苦痛を与えることがたくさんあるのです。

 一人一人が自らの知的好奇心を元に学び、家族の人たちに「そろそろ寝たら」と言われるくらい熱心に学習・研究する子ども達・大人達をどんどん増やしていく活動が「たのしい教育研究所」の本領です。

  今回、読解特訓のプリントとして取り上げたのですけど、読んだ先生達にも強く影響を与えた様です。30年前のものとはいえ、まだまだ伝えていかなくてはいけないのだと思っています。そうやっていつか、「学校には〈鍛える・高める〉と称した〈いじめ〉が横たわっていた時代があったんだ」という様に「過去形」として語られる時代をつくらなくてはいけないと思っています。

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沖縄県 教育 笑顔
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板倉聖宣「独自性を出さずに全面的に学ぶことの重要さ」 たのしい教育メールマガジン第226号から

 毎週金曜日はたのしい教育メールマガジンの発行日です。今回は板倉聖宣が2005年に語った「独自性を出さずに全面的に学ぶことの重要さ」について語った内容を第3章でお届けしました。その板倉聖宣の発想法に関する高い評価がさっそく届いています。日本に原子論を唱えた人物がいたのかいなかったのか、という謎解きも含めて、私自身にとっても、とても興味深い内容でした。
 これが最新号の表紙の部分です。

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第2章は先週から引き続き、名作「ちはやふる」の下の句を紹介しました。たのしい古典入門としても、いろいろな方達にすすめています。わたしはすでに4回観ています。上の句・下の句セットで4回ですから、かなりの時間魅入っていることになりますね。

第3章がタイトルにもなっている板倉聖宣(仮説実験授業研究会代表/日本科学史学会会長)の「たのしい授業の発想・思想・哲学」です。

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 江戸時代の科学について語った部分ですから、それを頭に置いて読んでみてください。

 板倉聖宣
 科学史の重要なことは「がんばれば科学が生まれる」という考えを、「そうではない」と否定した上で「自分たちの民族もいろいろ努力した。しかし儚い努力だった」と認めることなんです。

 そういう努力の中で大切なことは「外国から科学を輸入することが大事だ」ということを発見することです。それが決定的です。
 それはつまり、自分の創意工夫を捨てるということです。創意工夫を主張する人はほとんどダメになっちゃう。

 ぼくが注目してる人に佐藤信淵(1767か1769-1850)という人がいます。彼はオランダ語はあんまり読めないんだけど、オランダ語が読める人と親しくして、いろんなことを勉強する。それで少し勉強すると、自分で考え始めるんです。立派でしょ。立派だけどそれがいけないんです(笑)。本当に外国の方が優れていると思ったら、外国の方を全面的に学ぶ、これが一番大事なんです。
「向こうの方が優れているかも知れないけど、オレにはおれの考えがある」というのは民族主義的な偏向なんです。だから「オレはオランダ語を勉強しよう」と決意することが、あの時代では一番まっとうな生き方であって、民族主義を捨てることが重要だったんです。

 そうしないとどうなるかというと、宇田川榕菴(1798-1846)などが「植物の〈花〉は植物の生殖器官である」と書いてある本を見て、佐藤信淵は「それは考えすぎだよ。植物は動けないじゃないか。動物は動ける。だから、生殖器官があって当然だ。だけど、植物は動けないんだから性欲を果たせない。だから植物には性欲はない。植物に生殖器官があるというのは考えすぎというものだ。うんと基本的にそう考えれば、それは自明ではないか」
と、そういうふうに独創的に考えちゃう。

 しかし明治維新の過程で欧米の方が優れていることに気づいて「欧米の方が優れている。よし、全面的に模倣しよう」ということになったのです。そして模倣して、模倣しきれなくなったときに初めてそこで独創が必要になるわけです。創造の意地があって、創造が生まれるんじゃないんです。

つづく

 この文章を読んだ東京の読者の方から
「自分は板倉聖宣の話を直接たくさん聞かせてもらったが、その頃の板倉聖宣の勢いはすごいものがあった」
ということを具体例をあげて書いてくれていました。

 その頃、沖縄に何度も来ていただいています。

 メールマガジンは単発でも読める様になりました。PDF版です。
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たのしい理科「レンズの魅力」の授業の様子/虫めがねはとっても楽しい

 たのしい教育研究所の画像データを整理していると2年前の夏の授業の様子が目にとまりました。地域の子ども会(子供会)に呼ばれて授業してきた時の一コマです。とても盛り上がりました。予想外に3歳くらいの子どもたちも参加していたのですけど、その子どもたちもとても満足してくれていました。

 学校では虫眼鏡(虫めがね)を教材として利用します。しかし危険なこともあるからでしょうか、授業の時に子どもたちに尋ねると、文字の拡大くらいで終わることもあるようです。もったいないことです。

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%e3%83%ac%e3%83%b3%e3%82%ba%e3%81%ae%e9%ad%85%e5%8a%9b 子ども会での授業は小学生対象のワーク中心の授業でしたが、以前、親子一緒の授業で、レンズの実験のあと、こういう画像を見てもらったことがあります。

 いろんな処から「おー」という声が上がりました。
 何をしているシーンだと思いますか?

%e3%83%ac%e3%83%b3%e3%82%b9%e3%82%99%e3%81%ae%e9%ad%85%e5%8a%9b%e3%80%80%e3%83%a9%e3%83%9b%e3%82%99%e3%82%a2%e3%82%b7%e3%82%99%e3%82%a7%e3%81%ae%e5%ae%9f%e9%a8%93lavoisier5 歴史に残る科学者の一人、ラボアジェが、レンズで太陽の光を集めて「ダイヤモンド」を燃やしている実験の様子です。太陽の位置に合わせるために移動式の巨大レンズ装置を作ったのです。レンズは二枚でできていて、大きい方のレンズの直径は1mです。
 「とても大きなレンズ」だと思うかもしれませんが、1mのレンズというのはそんなに大きくないので、その光でダイヤモンドが燃えることに私は驚いてしまいます。
 英語のサイトですが、興味のある方はこちらをクリックしてください。
http://www.robinsonlibrary.com/science/chemistry/biography/lavoisier.htm

  レンズ一つが科学のいろいろな魅力に広がっていきます。そういう感動を伝える授業が「たのしい教育研究所」の活動です。

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