クイック「スライムもち」づくり|桜の季節の講座の検討会

たのしい教育研究所で 桜の季節の講座 の準備が進んでいます。

今回は、たのしいたべものづくり「クイック すらいむモチ」の準備会です。

担当する先生の作り方とわたし喜友名の作り方との両方を見てもらって、みんなで検討していきました。

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とってもおいしい「スライムもち」が10分程度で出来上がります。
おたのしみ会や学級PTA、家庭科、理科の時間など、いろいろな場面で使える教材です。

ご期待ください。

この原稿を書いている段階で、のこり4席です。

 お申し込みの方は早めにどうぞ!

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たのしい教育研究所です

雪とみぞれ(霙)の違い|質問に答えて

沖縄に雪が降った日、外部から要請された仕事に向う途中、熱いコーヒーが欲しくて、近くのコンビニに車を停めました。

私の上にも降るといいのだけど・・・
外を眺めていましたけど、そう都合よく天気がいうことを聞いてくれるわけはありません。

さてこの冬一番の寒気団が沖縄上空を覆ったここ数日、研修所にもいろいろな方達から
「いっきゅう先生、雪とみぞれってどう違うんですか?」
という質問が届いています。

「雪」は個体です。
「みぞれ(霙)」という場合には
1) 雪と雨が一緒に降っている状態
2) 雪がとけはじめて液体まじりになった状態
の二つの場合に使われています。

気象観測上はどちらも「雪」に分類されます。今回の寒波の様子をweb上にUPされた動画などからみると、あきらかに1) の状態に見えます。

上空で雪が降っても、暖かい地上では 2)の状態、つまり「雪がとけはじめた」ように見える場合も多いと思います。
車に落ちた雪はすぐにとけますから、ふわふわの雪にはみえないと思いますし、それに雨粒がぶつかってすぐに液体まじりになってしまいます。

しかしそれも、高い位置では明らかに「雪」の状態でしょう。

たとえば今回、少しだけ地上から高い位置、ラグナガーデンホテルの上階から見た動画では、横に流れていく雪の状態が見えていますね。

私の祖父が「若い頃に沖縄でも雪を見た」と言っていました。
もう聞くことはできませんが、祖父はこのラグナの映像のような雪ではなく、きっと、ひらひら舞い落ちる一面の「雪」を見たと私は思っています。

沖縄にも雨交じりではない雪がふってくれれば、その答えを知ることにもなります。

 ちなみに「あられ(霰)」は5mm未満の氷の粒(つぶ)、「ひょう(雹)」は5mm以上の氷の粒をいいます。
わたしはアラスカでキャンプしているときに、何度も「ひょう」に出会いました。

  機会があれば書きたいと思います。

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クイックスケッチをたのしもう!

たのしい教育研究所の「たのしい絵画インストラクター」の小禄さんの指導で、数名でビスケットを描いてみました。

1月31日の桜の季節の講座に向けての準備会の一コマです。

クイックスケッチ2 小禄さんが指導してくれる通り描いていたら5分くらいで描けました!

クイックスケッチ

きっと参加者の皆さんにもたのしんでいただけると思います。

自分で描いてたのしむだけではなく、それを子ども達や周りの人たちに指導できるようになっていただきたいと思っています。

それにしても寒い日です!

生活をたのしく豊かにする
絵画や音楽も
たのしい教育研究所のテーマです!

「みんなに支持されてこその科学」|今週のメールマガジンから

日本科学史学会の会長で仮説実験授業研究会の代表 板倉聖宣が還暦の講演会で語った言葉を今週のメールマガジンに掲載しました。

今回は、その一部を抜き出してみます。

短い言葉ですけど、私がなんども読み返している文章の一つです。

 私は「科学とはみんなが理解でき、みんなに受け入れられるようなものでなければならないし、またそのような科学でなければ、本当の意味での〈真理〉に到達することはできない」と考えていました。

私はこれまでずっとそういう思いで学問をやってまいりました。

それなら「真理」というものを知るためにはどうしたらいいのでしょうか。

真理は、押し付けでは絶対に成立しません。
押し付ければ押し付けるほど、それは真理ではなくなります。
真理は多数決で決まるものではなく、そして少数決で決まるものでももちろんありません
真理は最終的な「実験」によってのみ決まるのです。

ですから、初期の段階の予想ではなかなか正しいことは分からないけれども、それを実験で確かめることを繰り返す中で、だんだんと正しい予想が立てられるようになるのです。

真理とはそのような過程を経ることによって初めて明らかにされていくものです。

だから、その途中の段階であわてて真理を決め付けるようなことがあってはならないのです。

「分からないことは分からないと認識しつつ、仮説・実験的に勉強し続けることが重要なのだ」
私が主張してきたのはそういうことです。
真理というものはしばしば少数派の人たちが発見することがあるものです。ですから、少数派の人たちに対して寛容な学問的環境でなければ科学の進歩は望めません。
そしてそれは、社会という枠組の中でも全く同じことが言えるのです。

 

 社会的な真理もまた多数決で決まるのではなく、往々にして少数派の人々によって見出されることがあります。ですから、少数派の人々に対して寛容な社会でなければ、いつまでたっても真理は見い出せず、従って新しい時代を切り開くこともできません。
それなら、少数派が大事にされればそれだけでいいかというとそうではありません。
重要なことは、その少数派の人たちが発見した真理だって、やがては多数派の人々の支持を得られるようなものでなければ真理とは言えないということです。
私が「科学はみんなのものである」というのはそういうことです。

出典は仮説実験授業研究会発行
「大衆の御用学者として生きる」からです。
前後の脈絡を整える意味で最小限にきゆなが手を入れました。

  たのしい教育研究所がすすめている科学教育はつまり
「みんなが支持してみれる科学教育」です

 たのしく賢く、たのかしプロジェクト推進中の「たのしい教育研究所」です

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