平和とは何か?|平和な社会を築く方法

 近しい仲間に、時折り冗談の様に「地球の平和のために日夜がんばっています!」と話すことがあります。

 まるでウルトラマンの様なセリフに、笑ってしまう人が多いのですけど、ある部分では本気で言っています。

平和とは何か?
いろいろな考えがあるでしょう。
私はそれを〈人々が自分の可能性を生き生きと伸ばしていける社会〉だと思っています。

 人間はそれぞれの可能性を伸ばしていきたい生き物です。
 それを抑制されている状況では、表面的に平穏に見えていても、人々の中には不安や不満が増大していき、決して平和だとは思えません。
 ですから平和な社会は、何事も起こらない社会ではなく、人々の笑顔がどんどん生まれていく社会だと思います。

 〈たのしい教育〉が普及していくことで、本質的な力を持った人たちが増えていく。
そしてその人たちが自分の可能性を生き生きと伸ばし、社会をより良くしていく。
つまり人々の笑顔が増え、平和な社会に向かっていきます。

 実際、この社会を平和に民主的にしてきたのは、誰から「これを研究しなさい」「あれを学んでおきなさい」という様にして勉強した人たちではなく、「これを研究するのがたのしくてならない」「やめろといわれてもやめられない」という人たちです。「誰彼に言われて」ということではなく、自分自身の深い興味関心やる気でのめり込んでいった人たちです。

「たのしい教育」というのは、そういう人たちを育てる教育ですから、ますますこの社会を住みよいところにしてくれる人たちが増えていくことになります。
 ですから冗談まじりに語る「世界の平和のために」という表現も嘘ではないのです。

 ところで、「たのしい教育」に興味を持ち、それを実践する人たちは深く実感することになりますが、「たのしい教育」は〈押し付け〉や〈強制〉によっては成り立ちません。

 こちらの思いや考えを〈力〉によって成り立たせることが〈押し付け〉や〈強制〉です。相手がイヤだといっても、〈力〉という方法で従わせる構図です。

 押し付けや強制をした途端に、その内容に迫る本質的な授業、つまり「たのしい教育」から遠ざかってしまいます。

「強制されてもたのしい」という人はいるかもしれませんが、多くの人たちは、強制された途端に本質的にたのしむ事から離れていきます。不思議なことだと思う人もいるかもしれませんが、それはいろいろな教師が体験する実験結果です。

 教育の中で、押し付けや強制がエスカレートすると「体罰」という形で表れます。

「たのしい教育」を志す人たちは、必然的に体罰と逆の〈内発的な興味関心〉に基づくベクトルに向かいます。

「どうすれば〈授業が嫌だという子どもたち〉が振り向いてくれるか」「どうすれば感動してくれるか」が勝負だからです。

 そういうことをみても「たのしい教育」は平和な社会を築く礎になるという気がするのですが、どうでしょうか?

 自分の思い考えを力によって押し付ける行為は「体罰」という形で表れると書きましたが、それはさらにエスカレートすることもあります。

「たのしい教育研究所」からほんの30分ほども離れていない、沖縄県うるま市で、とても悲しい事件が起こりました。

 テレビやニュースをほとんど見ない私も、数週間前から行方不明になっている女性がいるという事は聞いていました。

「何かの事情で家出をしていて、どこかで元気に暮らしていたらいいのだけど」

そう思っていましたが、今朝の新聞で、それが悲惨な結果になっていたことを知りました。

しかしその事件の悲しみや怒りの中にあっても「強いものが弱いものに力で自分の思い・考えを押し付ける構図」をしっかり見据えなくてはいけません。

実は人類が犯す最も大きな悲劇といってよい「戦争」も、同じ構図なのです。

「押し付けや強制で成り立つ社会ではなく、いろいろな人たちが、自分自身で意義を感じ、自らの可能性を伸ばして生き生きと暮らす社会がよい」

きっと多くの人たちがそれに賛成してくれることでしょう。

もしもそれに賛成してくれるとしたら、ごく日常の私たちの周りの人たちとの関係の中に押し付けや強制がはびこっていないのか、意識する必要があると思います。

押し付け・強制とは、相手が納得しないこと、イヤがっていることを力で従わせることです。そしてそれによって逆の作用が起こります。

 その構図の中で育っていった人は、〈自分が強くなり、力を利用できる立場になれば弱いものたちを従わせることができる〉という恐ろしい感覚を身につけていくことにもなるのです。もちろん反面教師ということもありますから、そういう中でも、周りの人たちの笑顔の方向にすすんでいく人たちもいます。しかし、周りで起こる犯罪を見ていると、力の構図の中にいる人たちが少なくないことに驚きます。

 伝えなければいけないことが大切なものであればあるほど、それは押し付けや強制ではなく、相手が深く納得してくれる様に伝えることができるはずです。

 ですから私たちには、そういう平和な社会を築くためにできる大きなことがあるのです。

 ただし「たのしい教育」をはじめとして、人間の長い歴史の中で、やっとそのベクトルに向かったばかりですから、私たち自身が〈押し付けや強制によらない方法〉を、私たちが学んでいく必要があります。

「たのしい教育研究所」の活動は、その方法をいろいろな人たちに伝えることです。

「たのしい教育」が広まっていくことで、子どもたちもきっと、「大切なことは感動や共感を持って相手に伝えることができる」ということを学びとってくれると思います。その中で、力や押し付けによらず、共感や感動による伝え方ができる人たちが増えていくに違いありません。そして、自分の笑顔と同じ様に、周りの人たちの笑顔も大切なのだということを実感として身につけていくのだと思います。

平和で住みよい社会を築く方法、その答えの一つは「たのしい教育」であると思っています。

人間は本質的に、周りの人たちの悲しみを見ることは苦しく、周りの人たちの笑顔によって自分も嬉しくなる生き物です。

たくさんの人たちの笑顔が広がる社会に向かっていかなくてはいけません。こういう悲しい事件がどんどん減っていく社会を目指さなくてはいけません。

 政治からとても遠いところに身を置く私ですが、今回の悲しさを胸に、ますます「たのしい教育」に力を注がなくてはと思う一日となりました。

たのしい教育研究所 代表 喜友名 一 2016年5月20日(金)11:111日一回の「いいね」クリックで〈たのしい教育〉を広げませんか-〈人気ブログ〉いいねクリック⬅︎ジャンプ先のページでもワンクリックお願いします

自由研究:炭酸が強いほど酸性度(ph値)が強いのか? その1

自由研究として利用できる題材を紹介します。

科学的な見方考え方のたのしいさも味わってもらえたらと思います。

はじまりは、月に一度オープンする「たのしい教育Cafe」でのかるい実験からはじまりました。
お読みください。

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「大日本炭酸倶楽部」という組織があります。

たのしい教育研究所所長の私きゆなが主宰しています。

「炭酸」を呑んで「あれは美味しい」とか「A社の炭酸よりB社の炭酸の刺激が強いよね」という様に、情報交換している単純な組織です。

自由研究 大日本炭酸倶楽部

定例会も総会も年会費もありませんから、かなり怪しい組織といえばそうですけど、けっこう盛り上がっています。
基本的には味のついている炭酸ではなく、H2O(水)とCO2(二酸化炭素)のみの炭酸を対象としています。
大の大人がこんな単純なことを議論できるのかというので不思議に思う方たちもいますけど、けっこう真剣に語り盛り上がります。
数年前、A小学校に勤務している時に立ち上げてしばらくは2名でたのしくやっていたのですけど、もう今は20名近くになりました。

さて、今年の春の「たのしい教育Cafe」で10分くらい時間のゆとりが出たので、わたしが
「実は大日本炭酸倶楽部というのがあってですね。会長の私が今おおすすめの炭酸があるんですよ。これが強くて気に入りです。炭酸もかなりの強さです。味をしてみませんか」
といって届いたばかりのVOXという商品を紹介しました。

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才能診断|たのしく生きる知恵と工夫

才能について書いてみたいと思います。

たのしい教育研究所の活動は授業・講演やワークショップ、カウンセリングなど広くいろいろな方達を対象に実施しています。

人数や対象が限定されている場合には「申し訳ありません」という様にお断りすることがありますが、可能な限り参加したいという意思を最優先させていただいています。

才能診断

ところが「一緒にやりませんか」という様にこちらのスタッフとして関わっていただこうという時には、そうではありません。

受益の側としては「誰でも」ですが、これを提供する側「たのしい教育研究所」のスタッフは、広く誰でもというわけにはいかないのです。
95%以上の高い満足度を維持できているのは、そこのところをいい加減にするわけにはいかないのです。

ですから私の方から「一緒に○○をやってみませんか」と語りかけることはほとんどありません。

それでも「授業やってみませんか」「うちのメンバーに加わりませんか」と声をかけ、若いセンスある人たちが増えてきています。
ありがたいことに、声をかけて断られたことはほとんどありません。

わたしが声をかける時に、その人のどういう才能を見ているかというと・・・

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板倉聖宣の発想「つまらないことを勉強しない人の素晴らしさ」

「たのしい教育メールマガジン」が、今週も好評です。

仮説実験授業研究会代表の板倉聖宣(日本科学史学会会長)が語ったことを「たのしい教育の発想法」の章に掲載しています。

タイトルが「つまらないことを勉強しない人の素晴らしさ」です。

たのしい教育の発想法「板倉聖宣聖宣」

 

今回は、その章を補完する形で私の考えを加えたいと思います。

優等生は、先生や大人達から言われたことを大切にして、何でもがんばって取り組みます。逆に言えば、そうやってがんばっている人たちを優等生と呼ぶのです。

そして「教育者」は、その優等生だった人が多いのです。

ですから、今の教育を強く支えて来た人たちは、優等生だということができます。

「いわゆる〈悪ガキ〉的なタイプだった」という人たちは、先生や大人たちのいうことをそのまま素直に受け入れなかった人たちです。

先生から「これを勉強します」というように言われても「つまらないことは勉強しないよ」と考える人たちです。

では、そういう人たちは教育を支えていないのか?

実は、教育の水準を上げるのは、そういう「つまらないことは勉強しないよ」という子ども達でもあるのです。

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