「たのしい教育Cafe4月」その⑤「短所を長所に変えたいやき」

今月の「たのしい教育Cafe」の内容を紹介しています。
その5回目。
今回は、みんなでカルタゲームでたのしんだ
「短所を長所に変えたいやき」というゲームを紹介させてください。

こういう箱に入っています。スクリーンショット 2015-04-22 19.05.46    短所を長所に変えたいやき リニューアル版

開けると、中にたい焼き型のカードがついています。
下が「変えたいやき」上が「なりたいやき」です。

「変えたいやき」は「短所」です。
自分のこういうところ変えたいなぁ、というので「変えたいやき」
「なりたいやき」は「長所」です。
こんな風になりたいなぁ、というので「なりたいやき」。
といっても、「なりたいやき」の裏が「変えたいやき」になっているので、実は上も下も同じカードなのです。

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幾つかのたのしみ方ができるのですけど、一つは、読み手が「変えたいやき(短所)」のカードを読み、みんなで、その短所を長所に変えるとどういう言葉になるかを予想して「なりたいやき」のカードをとるのです。

たとえば、読み手が「暑苦しい」と読む

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その読札を聞いたみんなは、「暑苦しい」を「何かよい言い方、長所と読み取れる言い方はないかな」と考えて、カードを探すのです。

暑苦しい⇨情熱的 ということで、情熱的のカードを取った人が勝ち!

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読札「未熟」

スクリーンショット 2015-04-22 19.06.13取り札「可能性を秘めている」

スクリーンショット 2015-04-22 19.06.19ということで、このゲームをしていると、短所を長所に読み取るレッスンにもなるのです。

「ん〜、この言い換えは苦しいね」というのもあるのですけど、たのしみながらゲームが可能です。

仮説社のサイトで入手可能です。
http://kasetusha.cart.fc2.com/

Amazonでも

研究所 花だより

春の訪れとともに、研究所にも花が増えてきています。
まず2日前の玄関。

コンロンカ。

azimuth:0.000000||elevation:0.000000||horizon:0.000000 それから今日は、赤と白のアマリリスとマーガレットです。IMG_9219
たのしい教育活動に全力投球のたのしい教育研究所です。

「寛容の精神」をもって臨む!

前回紹介した「学級経営実践編/子どものケンカをどうするか」に続いて、今回は「寛容の精神」について書かせていただきます。
実はこの二つは、セットとも言える内容です。

これも、私が手放せない月刊誌「たのしい授業(仮説社)」に掲載された言葉です。
2015年四月号、つまり今現在の最新の号に載っています。

スクリーンショット 2015-04-21 8.58.53たのしい授業 2015年 04 月号 [雑誌]

お互いが「これが絶対である」と主張する正義によって悲惨なことが起こるのだし、「寛容の精神」をもってそれに臨むことによって一触即発の状況を回避するしかないのだ、と私は読み取っています。

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「フリーメイソン」といういかにも怪しげな言葉もありますけど、板倉聖宣の研究によれば、それは怪しい組織などではなく、キリスト教からの圧力から逃れて自由な研究を進めるための組織であった。それゆえに当然、秘密にしていたのだし、それがいかにも怪しげな組織だと思われたのだろう、ということです。

そのフリーメイソンの研究も魅力的ですけど、この「続刊の言葉」は、正義を主張しあい混乱の度を増す今の状況を、いかに私たちが切り抜けていけばよいのか、という道標を示してくれていると思います。

また、カウンセリングや学級経営で、対立から闘いが生まれる状況を回避する哲学、というものもつかめると思います。

ぜひ、いろいろな方に読んでいただきたいです。

学級経営実践編/子どものケンカをどうするか

学校では、子ども達のケンカは必然といって良いほど起こります。
「一年間、子ども達のケンカは全く起こりませんでした」というのは、よほど異様な感じがするくらいです。

けんか
そして、その子どもたちのケンカの収め方を巡って、その後も混乱することが多々有ります。保護者の方達が納得せずに学校まで来る、ということになり、困って、たのしい教育研究所に相談が来ることもあります。今回は、そのことについて書かせていただきます。

 私が教師をしていた頃から、拠り所としていた本に

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「月刊 たのしい授業(仮説社)」
があります。

 その中で、板倉聖宣(現 板倉研究室長/当時 国立教育政策研究所室長)が、中東戦争から、子ども達のケンカの収め方に言及しているのに驚いたことがあります。

 子どもたちがケンカをした時に
 子ども達には、双方のゆずれない正義というものがあって、そういうことになったのにもかかわらず、
「どういう理由があろうとも、とにかくケンカはいけないのだ」
と納めることがある。
 それは結局、子どもたちの力より大きな権力の行使、つまり、教室では教師が絶対君主なのだから従え、という形でで収めているのだ。
という内容は、とてもインパクトがありしまた。
その部分を少しお読みください。
そして全体をぜひ、自分自身で読んでいただきたいと思っています。
仮説社刊「 板倉聖宣 近現代史の考え方」に収録されています。
http://kasetusha.cart.fc2.com/ca20/316/p-r-s/
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わたしがカウンセリングの現場でかかわらせてもらっている相談の多くは、相手への、相手からの、あるいは自分が自分自身への価値観(正義感)の一方的な押し付けによって起こっているとも言えます。その意味でも、板倉聖宣のこの言葉を、一度じっくり味わっていただけたらと思っています。
 たのしい教育・実践で役立つカウンセリングの普及に全力投球のたのしい教育研究所です。