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ここまで。

子ども達の夢と元気と賢さを育てる|たのしい教育活動はますますやめられない

今月某日、ある小学校に呼ばれて親子向けに授業をしてきました。
たのしい教育研究所には、たのしく賢くなる教育プログラムがたくさんあるのですけど、初期に創った「宇宙へ」というプランを実施しました。

保護者の皆さんも子ども達もで200名超というところです。

99%以上の方がが「たのしかった・中身もよくわかった」という高い評価をつけてくれました。一人の方が、感想には「とてもたのしかった」と書いてくれていて、でも評価の◎つけは逆のものだったので、それはあえてマイナス評価と数えての結果です。

たのしい教育研究所のプログラムは、おもしろおかしいものを観てもらって、
「たのしかったですね、じゃあさようなら」
という内容ではありません。

参加してくださった方たちが「たのしく賢くなった」と実感してくれるかどうかが勝負です。

単に驚くような実験というのは、得意なのですけど、それよりも、「感動的にわかるか」が勝負です。
なのでおもしろおかしいものを並べてから「ではさようなら」という気持ちは全くありませんし、そういうことに時間を割くのは私の領域ではありません。

今回の「宇宙へ」というプログラムは、人間たちが空をどのように飛び、どうやって空気のない「宇宙」へ飛び立つことができたのかを、簡単な実験や、動画を通して体感してもらうプログラムです。

ご希望のかたたちはお問い合わせください。

今日の授業の一コマを掲載します。
スクリーンショット 2015-10-31 16.16.26

わたしが体育館で実験しているシーン。
子ども達と保護者の皆さんが一斉に
「お〜」
と大きな声を上げた実験です。
何をしているかは、ご想像にお任せします。
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空を滑空した人たちを想像しながらものづくりをしている様子です。
研究所の「ひらりん」を作っています。スクリーンショット 2015-10-31 16.18.29

沖縄の教育を全国そして世界に発信!
たのしい教育を広める活動がたのしくてならない
「たのしい教育研究所」の面々です

私のゆめ、大きなゆめ 2015.1031加筆

今週号のメールマガジン第176号のまえがきに書いた「私のゆめ、大きなゆめ」という文章が好評で、いろいろなメールが届いています。

その夢の話を語ったのは、仮説実験授業研究会の代表であり、日本科学史学会の会長でもある板倉聖宣です。この研究所を立ち上げた当初から強く応援してくださっている人物です。

板倉聖宣がかつて語った夢の話が、今のたのしい教育研究所の活動ととても重なることが多いのです。会員限定の内部情報も入っているので、そこは除いて、少し書き抜いてみます。

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板倉聖宣が1964年に書いた「私のゆめ、大きなゆめ」というメモのコピーがあります。それは今の私たちの研究所の夢と重なります。

書き写してみます。

 私は大きなゆめを描くのが好きだ。
 けれども、実現できもしないようなゆめはつまらない。
 実現できそうもなくて、しかもできそうなゆめ、そういうぎりぎりの大きなゆめを描く。そして、そのために全力を挙げて奮闘する。こういうことは、たいへんたのしいことだと思う。
 仮説実験授業という一つの新しい教育の実践的試論もそのような大きなゆめから生まれた。
 はじめ、そのゆめは、できそうもなくて、しかもできるかもしれな、ぎりぎりの大きなゆめだった。
 それが実現できた。
 その喜びは一生忘れないだろう。
 それでは、今までに一応実現できたということはどんなことであろうか。
 新しいゆめに向かってつき進むためには、今立っている地盤についての共通の理解が必要とされるだろう。
 第一のゆめは、〈すべての子どもたちが積極的に参加しうる授業の内容と形態をつくりだす〉こと。これからは、一つ一つの教材のすべてについて、それを確保するようなテキストを作成していくことが重要である。
 第二のゆめは、〈一切のおしつけを排除した授業を展開する〉ことであった。

板倉聖宣1964年のメモ『仮説実験授業いま・むかし』より

「たのしい教育研究所」は、応援してくださる皆さんのおかげで沖縄の教育界に着実な一歩を刻むことができたと思っています。

教師をやめようと決心するとき、身近な友人たちにそれを語ると、今でも不思議なのですけど、周りの人たちは
「やっと夢に向けて一歩踏み出すのですね、応援します」
という声がほとんどでした。

長年一緒にたのしい教育のサークルをしていたHIさんは、病床で、私のことを友人達に
「彼は当然のことだよ、一緒に応援しよう」
と語ってくれたといいます。
後で聞いて涙しました。

だからこそ私は一人で
一人の教師が下野して何ができるのか?
公務員生活がしみついた人間が社会の荒波の中で大したことができるわけがない!
夢だけでは仕事はできない!
どうしてそんなに安定した生活を捨てる必要があるのか?
強く問いかけてきました。

が、その結論が今の「たのしい教育研究所」です。

その「たのしい教育研究所」も、いよいよ第二の夢に向かって歩いて行く時期に入ったようです。

個人的には「ものかき」を目指しつつも、この研究所をさらに発展させる次の具体的な目標を定めることにしたいと思っています。大きな一歩のはじまりとしての秋になりそうです。
今週もみなさんの応援を全身に受けてメールマガジンを綴っています。
感謝を込めて、お届けいたします。

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沖縄にとどまらず広く教育の根本から
たのしさを追求する「たのしい教育研究所」です

真理に至る道|飛び安里 研究前段 

前回の「リリエンタールより先に翼を身につけて飛翔した男が沖縄に居たかもしれない」という話の反響が届いています。

リリエンタールの飛翔

airplane10

 

飛び安里の挑戦の一コマ(想像図)

haebaru014

 

どうして「リリエンタールより先に飛んだ」と書かないのか、については、同じ沖縄の方たちからお叱りを受けるのかもしれないという気持ちもしています。

しかし、それは真理を求める人間としての根幹に関わる大切なことでもあるのです。

 

意外に思う人達が多いと思いますが、

「研究は〈事実から出発してはいけない〉」のです。

事実はとてもたくさん転がっています。

太陽が東から登って、西の空に沈むことも私達の目の前に起こる事実です。
しかし実は、太陽が動いているのではありませんでした。

「飛び安里」でいえば、こういうものを創ったというレプリカまであり、石碑にも刻まれ、そういう言い伝えもあるのです。つまり我々の周りに事実がたくさん転がっているのです。
しかし「だから正しい」といってはいけないのです。

何から出発したらよいのか?

「仮説から出発する」のです。

「もしも飛び安里のいい伝えが事実だとしたら?」⇒「こういうことが予想されるはずだ」⇒「その証拠がみつかるだろうか?」というワークで確かめるのです。

あるいは
「それが間違いだというなら、こういうことが予想されるはずだ」ということで反証的な研究もあります。

その手法は自然科学の手法と同じです。

「◯◯と言われている」から正しい、ということで始まる研究は研究とは言えません。

真理はこちらの思いを超えていることが多々あるのです。
また、自分が正しいと考えたから正しいというような証拠をたくさん探してしまうこともあります。

そうやって数々の誤謬、一見正しそうに見えて実は間違っているということが起こるのです。

ですから、真理に至る道は「予想をもって問いかける」ことなのです。

沖縄の教育に全力投球
たのしい教育研究所です

そらの向こうへ 「飛び安里」という先人

今週、某小学校からの依頼で
「親子でわくわくサイエンス」というタイトルで授業してきます。

たくさんの笑顔に会える大切な時間です。

空を自由に飛び、そして宇宙へ向かう人類のチャレンジを取り上げる予定です。

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全体の構成をブラッシュアップしているのですけど、以前から頭にあった先人のことが気になってしかたありません。

リリエンタールが翼を背負って世界ではじめて滑空した時より先に、飛んだ人物が沖縄にいると言われているからです。

これがその1/2スケールの模型です。

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創ったと言われているのは「飛び安里」と呼ばれている人物です

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残念ながら私はそれを正しいと言ってよいのか、研究・考証していません。

もしも事実なら、すでに誰かが揺るぎない証拠を提出しているはずなのだという気もしますし、それが正しいとすると、沖縄のほこりだと思います。

面白いことに、いつか書きたいと思っている人物、ウルトラマンの生みの親「金城哲夫」も同じ地の出身です。

現南風原町津嘉山。
興味深い土地です。

来年こそは時間を創って実地探査したいと思います。

たのしい教育の可能性はいろいろなところに!
沖縄の教育の可能性を探る
「たのしい教育研究所」です