たのしい教育こそ子どもの自殺の抑止力!

研究所を訪ねて来てくれる方達がいて、時々は長話しになることがあります。

最近、「岩手県の中学二年生の自殺」という悲しい事件を巡って、担任の先生の対応、管理職の方の対応について憤りと哀しさとを持って熱く語った方がいました。

たのしい教育研究所は批判ではなく、提案をする組織です。
その時にわたしが語ったことを、今回、書いてみたいと思います。

はじめに断っておきますが、わたしはその事件の詳細を知らず、テレビに出ていたという管理職の方の言葉も聞いていません。しかしそれは「関係ない」と思ってのことではありません。そういう悲しい事件が起こる、そのたびにますます「たのしい教育」に力を注ぎたいと本気で思っているのです。

これから、学校や学校教育に対する批判はたくさん出てくるでしょう。
担任・管理職・教育委員会等への批判が収まる頃、今度は、いじめた側の責任が強く問われてくるはずです。

わたしは、そういう「責任の追及」とは別に、そういう悲しい事件が確実に減っていく教育に取り組んでいくことが大切だと思っています。

おそらく文部科学省の方達も本気で対策を考えているでしょうから、例えば子ども達のサインを見逃さない、というような取り組みもさらに強化されていくでしょう。しかしわたしがここでいう「悲しい事件が確実に減っていく教育」とは、そのサインをキャッチする事も含んだ形の、もっと大きな取り組みです。

それが「たのしい教育を展開していくこと」です。

「たのしい教育」を〈おもしろおかしいもの〉だと勘違いする人は、幸い、少なくなってきましたが、そういうイメージを持つ人は、今回のタイトル「たのしい教育は自殺の抑止力」という言葉にピンとこないかもしれません。 しかし、これまでのカウンセラーとしての経験、教師としての全経験をもってなお、そう思えるのです。

子ども達がたのしく賢くなる教育に本気で取り組む先生のもとでは、そういう悲しい事件が起こる率はとても少なくなるはずです。 わたしも3〜4年前まで公立小学校、小中学校で教師をしていましたから、子ども達の様子は身にしみてわかっています。
出会った初めの頃、憎まれ口を投げかけてくる子ども達はたくさんいます。 教師とそういう人間関係を続けてきた子ども達が、パッと変わることはないからです。
教師に気持ちを明かさないこども達もいます。 しかし、子ども達が目を輝かせてくれるような授業を続けていくことで、ハッキリと違いが出てきます。
わたしの経験上、遅くとも3ヶ月ではそれが見えてくると思います。

たのしい教育を続けていくことで、子ども達が先生の教育を喜んでくれるようになります。
そして保護者の方達が担任の先生の取り組みに興味を持ち、いろいろなことを話してくれる方達が増えてきます。いろいろと話してくれないまでも、困った時には、教師を信頼してそれを事前に伝えてくれる様になります。

何より教師が、たのしい教育を続ける中で、子ども達と深く結びついていく中で、一見憎たらしそうに見える子ども達も可愛く思えてくるのです。
子ども達が書いてくれる授業の感想や日記の交換がたのしくてならなくなってきます。
興味のある方は、その具体的な方法を少しずつで良いので、ぜひ実技研修などを受けていただけたらと思っています。

たのしい教育を通して、子ども達の明るい未来と賢さを応援する
たのしい教育研究所です。

「たのしい教育研究所」と 沖縄の「学力」

たのしい教育研究所の公式サイトは、予想以上に、いろいろな方たちの興味関心を引き、検索順位が順調に伸びています。
定期的に「検索サービス」で順位を確認しているのですが、随分以前から「たのしい教育」や「楽しい教育」で検索すると、googl、Yahoo検索でトップに立っています。
最近書き始めた「学力問題」について、沖縄と関連させて
「沖縄 学力」
で検索すると、沖縄県教育委員会や新聞社など140万件のサイトがみつかります。
「沖縄 学力最下位」「沖縄 学力 小学校」など、いろいろなジャンルでいろいろな方たちが書いてくれているわけです。

このたのしい教育研究所の公式サイトは、「沖縄 学力」の検索ワードで、驚いたことに5位に上昇していました。

いろいろな方たちに読んでいただいて、とても感謝しています。

 ※※※ 検索サービスの結果 20150712現在 ※※※
スクリーンショット 2015-07-12 22.54.55沖縄の学力問題に全力投球のたのしい教育研究所です

 

おすすめブックレビュー「なつのおとずれ」かがくい ひろし/たのしい読み書きせ、読み語り

たのしい教育Cafeで、読み語りが大好きな Hina先生 が紹介してくれた「なつのおとずれ」。

暑い夏が待ち遠しくなる作品でした。
スクリーンショット 2015-07-11 23.49.33スクリーンショット 2015-07-11 23.48.46スクリーンショット 2015-07-11 23.48.54 でてくる登場人物達がとてもいいのです。

気象予報士のかたつむりさんが「もうすぐ梅雨明けです」と話すと、太陽さんがみんなに「そろそろ皆さんの出番ですよ」とよびかけます。
そうやって、たくさんに素敵なメンバーが集まってくるのです。
メロン
スイカ
セミ
カブトムシ
かきごおり
ソフトクリーム
せんぷうき
かとりせんころうさん まで・・・

梅雨明けから夏までの賑わいを描いた絵本です。

かがくいさん、なかなかの人物。
要注目の作者です。

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かがくい ひろし

1955年東京生まれ。東京学芸大学卒。教諭として学校勤務のかたわら人形劇の活動や紙を使った造形作品を発表。
2005 年、『おもちのきもち』(第27回講談社絵本新人賞受賞作品)で絵本作家としてデビュー。子どもの目線に立ったテーマ選びと、ほのぼのとした画風が人気を 集め、以来『もくもくやかん』(講談社)『おむすびさんのたうえのひ』(PHP研究所)、『だるまさんが』(ブロンズ新社)、『まくらのせんにん さんぽみちの巻』(佼成出版社)など話題作を多数発表。
 http://www.ehonnavi.net/author.asp?n=5231

2009年、生を閉じましたが、かがくいさんの作品は、たくさんの笑顔を生み続けています。

渡辺敏(はやし)という人物/たのしい科学実験の伝統

「たのしい教育研究所」を応援してくださっている方たち向けに毎週、メールマガジンを書いています。

内容は
「今週のたのしい教育研究所の様子」
「たのしい授業の方法」
「映画の話」そして
「たのしい教育の発想法」
の4本立てです。

今週は、たのしい科学実験の元祖ともいうべき渡辺敏(はやし)についてまとめました。

渡辺敏(1847~1930)は幕末から大正にかけて生きた教育者です。
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一つの瓶(ビン)で試すことができる100の実験をまとめて
「一瓶百験(ひとびんひゃっけん)」という本を著しています。

原本はインターネットでも読むことができます。

http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/829985
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彼、渡辺敏 について板倉聖宣(仮説実験授業研究会代表・日本科学史学会会長)が、こう語っています。
 長野県での講演会での内容です。

 昔、ここには渡辺敏(ビン/ハヤシ)という人がいたのですが、みなさんはご存知でしょうか?
 この人は幕末の維新の戦争の時に、今の福島県の二本松の藩土で、その時に命拾いをして、官立の東京師範学校を経て、長野の大町の小寺椴の校長さんをやっていた方です。
 この人のことは講演の内容に多少とも関係がありますので、もう少しお話しますと大町で自由民権運動に参加して、それから《一瓶百験》という一つのビン:フラスコのことです。一つのフラスコで百もの実験をするということを始めて、そして1890年、明治の23年、この年は私ども年配の人聞にとってはきわめて象徴的民主年号で〈教育勅語〉が発布された年です、その年に、日本で始めて全国的な教育研究集会が聞かれました。〈全国教育者大集会〉という名前ですが、いわば文部省としては新しく総選挙が行われたりするので、教員を文部省の筋の方にもっていきたいと思ったのでしょう。文部省関係者が中心になって、今で言えば教研集会のようなものが聞かれました。その時に渡辺敏さんは長野県代表として出席しました。そのー瓶百験を実験しようと思ったのです。
 今でも教研集会などで実験をする人はほとんどいませんね。僕はある時、日本科学教育学会というところで話をした時に実験道具を持って行って、実験をして話したのですが.「ああ、実験道具を持って来て話をしてもいいのか!?」と言う人がいてビックリいたしました。
「科学教育では実験が大事だ!」とさんざん言われてきました。その会でも「実験が大事だ! 大事だ!」と言う人がいるにもかかわらす実験器具を持って来ない。日本人は「実験器具を持って来てもいいよ」と言われないと、持って来られないという、お上の思想に毒されております。
それにもかかわらず渡辺さんは日本最初の教研集会に実験道具を持って行って見せようと張り切っておりました。しかし、そこには宮様が来ることになっています。
「宮様に水がかかったら大変だ」ということで実際には出来ませんでした。
それで、その集会では長野県代表と石川県代表が特に激しい対立をしました。
「何が大きな対立になったか?」と言うと「教育は国家的であるべきか、あるべきでないのか」と言うことについて、石川県代表は「国家的であるべきは当然」と言う論陣を張り、長野県代表は「そうではない。教育は民衆の希望によって徐々に進展すべきものだ」と主張したのです。

石川県は「教師が家庭訪問をして、学校に子どもを出すように運動をすべきだ」と主張したのですが、渡辺敏さんたちは「そんなことはしてはいけない。教師は学校で授業をすればいいので、今多くの人たちが学校に子どもを出さないのは、出せないのだ。経済的に豊かでないからだ。それを無理して出させてはいけない。民衆が豊かになればおのずと学校に子どもたちを出すようになる」という議論を展開したのです。

長野県は江戸時代に小さな藩がたくさん集まった県です。石川県は加賀百万石の大藩でした。
なんでも「国家的に、画ーに考える」という石川県に対して、「バラバラがいいのだ」ということを主張したのが長野県です。これは非常に対照的であります。

 その後、長島県は教育県として有名になりますが、その渡辺さんは信濃教育会の創始者の一人であります。渡辺敏の弟さんを浅岡ー(はじめ)さんと言いますが、長野師範学校の校長として来て、この人が確か初代の信濃教育会の会長であります。

 渡辺さんは長野市の、はじめは長野町でした長野町のあらゆる学校の校長でありました。今では考えられないことですが、長野長の全ての学校の校長と言うことは教育長と同じととであります。実際に教育長と同じ役割を果たしました。自分が「こういう学校があるといい」と思うと勝手に作ってしまう。後で予算処置をさせるということで、今より遥かに自由に振舞って、1930年に亡くなるまで大変ユニークな仕事をしてまいりました。

 この渡辺敏さんの伝記については、「かわりだねの科学者たち(仮説社)という私の本に詳しく書いてありますが、との本の半分ぐらいは渡辺敏さんの話になっております。
私は長野にそういう伝統があるのをうらやましく思います。

 

次回は、実際に渡辺敏が実施した実験をいくつか紹介させていただきます。
おたのしみに。

たのしい教育の普及活動をたのしくすすめる「たのしい教育研究所」です。

 

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