ブルーナーと板倉聖宣はとても近い関係にある、ということが前から意識していることの一つです。
教員採用試験問題に「ブルーナー」はとてもよく出題されます。
板倉聖宣も出題されることがあります。
先ごろ、教員採用試験を受験する先生たちへのワークショップを開催した時のこと、「ブルーナー」について掘り下げて調べてみると、やはり仮説実験授業との関わりも見えてきました。
ブルーナーは教育史によくでる人物ですからすでに故人かと思っている人もおおいかもしれません。しかしまだご存命です。
第一次世界大戦の翌年、1915年生まれですから、現在100歳です。
すばらしい。
アメリカの education.com をみると「1915-」とあります。つまり「まだご存命だ!」ということです。英語のサイトですが少しのせてみましょう。※飛ばしていただいてもかまいません
http://www.education.com/reference/article/bruner-jerome-seymour-1915-/
ブルーナーは
「学習者に科学上の発見と同様の思考をたどらせることにより、科学上の概念を、学習者に自ら発見させることで、知識を獲得させる」という考えを元にした《発見学習》を提唱した人物です。
板倉聖宣の「仮説実験授業のABC」にはこうあります。
「 仮説実験授業とは(中略)、科学上の最も基本的な概念や原理・原則を教えるということを意図した授業である」2004年版 p23
仮説実験授業が生み出した最も大切な財産である「授業書」はまさに「科学上の発見と同様の思考」をたどりながら展開されていきます。
私が数年前に「板倉聖宣哲学入門」を書いたとき、板倉がスプートニク・ショック後のアメリカの「科学の現代化運動」にかなり触発され、それが仮説実験授業の提唱にも大きく影響を与えていた事に触れようか迷いつつ、紙面の関係で割愛しました。
たとえば 板倉聖宣著「科学と仮説」1971季節社 251pにはこうあります。
すぐにPSSCがたいへん意欲的であることに注目し、その基本的な考え方に賛意を表すようになった…(中略)…私は「物理教育を革命する教科書−アメリカのPSSC運動」という表題でおおいにPSSCを支持する論文を作った
ここでブルーナーと板倉聖宣の接点が生じます。
なぜか?
ブルーナーこそ板倉が賛意を表し、支持する論文を作ったと語る「PSSC運動」の中核にいた人物です。たとえば滋賀大学の鈴木真理子が、こう簡潔にまとめています。
「1957年のソ連によるスプートニック発射のニュースはアメリカ社会に衝撃を与える。このような中、心理学者 ブルーナーの著した「教育の過程」(Bruner,1960)がアメリカの教育に転換をもたらす。
「教育の過程」は、1959 年に全米科学アカデミーによって召集されたウッズホール会議の内容を、議長であったブルーナーが認知論の視点でまとめたものである。
これより以降、ブルーナーはPSSC物理を始めとする教育カリキュラムの改編や普及に貢献する。1956年から着手されたPSSC物理の作業は、一流の科学者と学校教師等による高等学校物理カリキュラムの再編成であった。カリキュラムにおいて教科の学問性が周辺的に扱われていた当時、PSSCは物理学者のように物理を学ぶカリキュラムとして登場する。このような動きは、他の自然科学分野や数学分野に波及した。
板倉聖宣は、アメリカの教育に転換をもたらしたブルーナーと、PSSC物理のテキストに大きく触発され、仮説実験授業を提唱する事になったという仮説を本格的にたどりたい。
今のところ時間がみつからずにまとめることができなのですけど、来年、時間の整理整頓がついてきたら、ぜひまとめようと思っています。
まずはブルーナーの「教育の過程」を入手して読むところからはじめようと思います。
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いっきゅう筆