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「批判するなら対案を出せ」って正当な主張なの?/たのしい教育の見方考え方

 私たちのRIDEは〈批判ではなく新しい方法を提案する組織〉です。その方向性はとてもうまくいっていると思います。

 ところで、いろいろな議論をみると『批判するなら対案を出せ』という声を聞くことがあります。最近のweb上の記事で『対案なき批判は妨害である』というタイトルを目にしました。

 たのしい教育研究所(RIDE)が批判でなく対案を出す組織だからといって、その主張には全く同調できません。

 私たちは対案は持っていなくても、おかしいものはおかしいと感じることがたくさんあります。
 論理的な思考ではなく、私たちの〈感覚〉が教えてくれることです。その感覚は私たちの長い歴史の中でDNAの中に組み込まれたものもあるでしょう、また自分の人生の中で獲得したものもあるでしょう。

「あの人は悪い人だからみんなでやっつけよう」となった時に〈イヤなものはイヤです〉といって何が悪いのでしょう。

 大きな組織であればあるほど、論理の組み立てがしっかりしていますから、個人でその論理を覆して対案を出すというのはとても難しいのです。
 ましてや〈国〉となると、それを覆すのはほぼ無理だというほど論理構築がしっかりしています。
 実際、数々の戦争は、全体の意識をそこに向けてしまうほど、しっかりした理屈や正義があったのです、Aという国にはBという国に攻撃するという正義があり、Bという国にはAという国を攻撃する理屈が。

〈対案がなければ反対するな〉というのは、力ある者たちや組織が反対する者たちを屈服させる主張でもあるのです。

 そもそも、ある主張を出してきた人たちに対して、その論理をこちらも考えて、別な選択肢をあげなければいけないなんて変ではありませんか。

 私は武道家であるのですけど、その私がたとえば〈全ての子どもたちに武道を通して健全な精神と肉体を養い、イジメをゆるさない子ども達の育成に取り組もう〉という主張をしたとします。
 それを聞いた皆さんは、対案をひっしに探さなくてはいけないのでしょうか?
「そんなの変だ」とか「そんなのおかしい」だけでいいじゃないですか。

「そういったってイヤなものはイヤです」と言える権利が保証されてこそ、世の中はよくなっていくのだと思うのですけど、どうでしょうか。

 第一「対案がなければ・・・」という主張をすると、多くの場合、子どもたちは教師や大人に反対できなくなってしまいます。
 私たちも子どもの頃、大人・教師の説得に対して、言葉でそれをくつがえせないけれど、変だとかイヤだと思ったことがあるのではないかな。

 たのしい教育はたのしさという感覚を大事にする教育です。

 それは人間の発想や行動の根本(ねもと)にあるものだと考えているからです。

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