たのしい教育教材 バージョンアップ/国語辞典をたのしもうVer2.0/楽しい教育&福祉

 大好評の「国語辞典をたのしもう」がバージョンアップしました。説明に手を入れ、細かい部分もだいぶ新しくしたので、以前から使っている先生たちも新鮮な気持ちで利用できると思います。

 

 

 練習問題も新しくして、イラストなども増やしました。

 著作権に対する問合せもありますし、この授業ではありませんけど、◯◯小学校の◯◯先生が自分で作成のオリジナルと誤解される様な形で研究授業にかけていたという報告が届くことがありますから、今回はしっかり明記しておきました。

 ちなみに、校内研修等で利用したいという相談も来ますが、その場合には全体ではなく一部のみ利用していただいて、授業にかける際には購入をお願いしています。

 ページは少ないのですけど、子ども達と国語の時間に2時間分、たっぷりたのしむことができます。
 小学校3年生から中学生までのどの学年でも、たのしくすすめることができたという報告がたくさん届いています。それ以外の学年、たとえば高校生でも、国語がきらいだ、苦手だという子ども達と授業することができると思います。
 国語教育に熱心な先生から小学校二年生でたのしんだという連絡も来たことがありますが、二年生での実践まだ少数ですから、その際には実験的な試みとして取り上げてくだされば幸いです。

 一度購入すると授業で何度でも利用できます。
 値段は1200円で最終調整中です。近々、決済サイトにアップされる予定です、ご期待ください。
 学校で印刷にかける人たちがほとんどなので、お届けするものは〈モノクロ版〉にしています。自分の子ども一人にやるだけだから、という場合はカラー版でも同じ額でお届けすることができますので、その際には直接ご相談ください。
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「思想的老人たち」/師板倉聖宣の言葉から

 週一回のたのしい教育メールマガジンを綴っています。このサイトにもシェアしたい言葉がありました。〈思想的老人たち〉という言葉です。肉体的な老人ではありません、身体は若くても頭の中が老人になってしまっている人たちの話。

板倉聖宣、沖縄で開催された仮説実験授業研究会全国大会の時の写真 

 

 メルマガの内容からワンフレーズ抜き出してみます。

板倉聖宣

 私は、戦争そして敗戦の中で「実験精神」を体得して、それ以後はその精神で生きようとしてきました。

 ところが一同じような体験を経てきた人たちのあいだでも、私のように何でも実験的に考える人はほとんどいなかったようです。そこで、時代が変化して新しい実験結果が明らかになるにつれて、時代についていけない「思想的老人たち」がたくさん生み出されるようになったのでしょう。

1989年2月5日「ガリ本図書館設立2年記念研究会」での講演から

 いくら若くても、実験的精神でものごとを見ようとしない人たちがいます。残念ながら、学校は決まり決まりで進んでいくところであるといってもよいので、そういう思想的老人が生まれやすいのでしょう。

 では〈決まり〉はいつまでもそのままでしょうか?

 いいえ、若き改革者たちがそれを変えていきます。

 髪の長さも変わりました、学校に行かない子ども達が、既成の学校とは別な選択肢を切り開きました。
 どんな時でも長ズボンは禁止だったのに、体調が悪ければOKになり、今では短いズボンと長ズボンとの中間のズボンがいっぱいです。

 世の中は変わっていくのですし、そうやって変わっていくことが人間が豊かになっていくことともいえるでしょう。
 もちろん、悪巧みが得意な人たちが密かに悪く改革さをすすめることもありますから、私たち一人ひとりが賢くなっていく必要があります、それはまた別なところで書きましょう。

 目の前でいろいろな不具合が起こっていて、若き改革者(肉体年齢は関係ありません)たちがそれを改善しようとしている時、「とにかくこれが正しいに決まっている」という思想的老人の役を自分がしていないだろうか。

 それは一人一人が自分に問いかけていく必要がる大切なことだと思います。

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楽しい福祉&教育=人間関係より優先されるもの/2020合格WSで/最新メルマガから

 最新のメルマガに〈人間関係より優先されるものがあるのだろうか?〉と書いた文章の反響がさっそくいくつも届いています。

合格WS気合いこもる
 RIDE(ライド)で学んで合格していく先生たちは、塾などで学んでいく方たちと実践力だけでなく、ものの見方・考え方もすぐれたものがあります。
 問題の解き方を学ぶだけではなく子ども達に向かうときの構えについても学びます。
 この日「〈子ども達との関係〉よりも優先して教えなければいけないことって何があるの?」
と問いかけてみました。
 教師の仕事は「これをやらなくてはいけない」「あれもやらなくてはいけない」の連続ですから、そういうことをしっかり基本に据えて置かないと、数値目標を追いかける機械的な動きをしてしまうことにもなります。

 という様な話をしていると、ついつい熱がこもっていきます。


 WSの多くの卒業生たちが「合格は嬉しいけれど、きゆな先生の話を毎週聞けなくなることは寂しいです」と言ってくれるのは、こういう話なのでしょう、きっと。

 

 この続きは〈発想法〉の章に書きたいと思います。

 

ということで最終章の〈たのしい教育の発想法〉にこういう続けました。

 始まりの部分を少し紹介しましょう。

たのしい教育の発想法
子ども達との関係より優先させること
いっきゅう2019-11-11

 

 初めの章〈たのしい教育の今日この頃〉に書いた流れです。
 改めて問わせてください。
 教育という営みの中で〈人間関係より優先して教えなくてはいけないこと〉ってどういうものがあるのでしょう。
 そもそも、そういうものがあるのでしょうか。
 立ち止まって考えてみていただけませんか。

 子ども達との人間関係をさしおいても〈かけ算九九〉は教えなくてはいけないのでしょうか。
〈食事の時にしっかり感謝の言葉を伝えること〉は教えなくてはいけないのでしょうか。
〈漢字の書き順〉はその子と関係が悪くなってもいいから、ケンカしてでも教えなくてはいけないのでしょうか・・・

私にはそうは思えません。

 ところが日々のあまりの忙しさの中で、関係よりも教える題材を優先してしまう、たとえば子どものプライドを傷つけていることも忘れて「Cくん、まだ覚えてないの?」と言ったりすることがあります。
 子どものプライドを傷つけたという反省は私の中にもあります。
 そもそも、そういう失敗を認識できない教師が魅力的な授業ができる様になるとは思えません。

 私がカウンセラーをしているからということで言っているのではありません。

 教育というものは人間を人間たらしめる、人間の明るい未来を切り開くものです。教育に力を注がないところに明るい未来は来ないでしょう。
 そういう人間的な営みであるはずの教育の中に非人間的なものが入り込んでしまう怖さがある。それは全ての教師、そして親が知っておく必要のあることです。

 

 それは例えば、この街の美しさを味わってもらうために山頂まで登ろうと計画したのに「とにかく登れ、足を休めるな」となっている様なものです。
 それでも登った子ども達の何人かは「街が美しい」と言ってくれるかもしれません。
 しかし「もうこんな思いをしてまで登りたくない」とか「街が美しいなんて感じるゆとりはない」という子ども達がたくさんでるでしょう。
 いったい何のための山登りなのか・・・

 

そう前置きしておいて、初めの問いの私の答え
「人間関係を差し置いても優先して教えなくてはいけないものがあるか?」

 私は「ある」と思います。

ここまでにしておきましょう

 

 たのしい教育研究所(RIDE)で学び、本務の教師となる先生たちは、単なる問題を解く技法だけでなく、たのしい教育の思想・発想法を身につけてもらいたいと思っています。
 そうでなくては、教育はいつまでもかわらないでしょう。

 

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たのしいモラルジレンマ授業/これからの道徳の骨格となる授業

 数回前に、自分の授業力を高めたいという先生たち向けのワークショップの話をUPしました、教科は〈道徳〉でした。
 数ヶ月前、道徳に関して以前メルマガに書こうと準備していた文章がありますから、掲載しましょう。
 自分の授業力を高めたいという人たちの学びになると思います。RIDEの授業力UPワークに学びに来る人たちはしっかり読んでいてください。

 こども達は哲学的に考えることが大好きですから、低学年のうちは道徳が好きな子どもたちもたくさんいます。きっと〈人生にとって大切なものだ〉という直感があるのでしょう。ところが学年が進んでいくうちに道徳を敬遠する子ども達もめだってきます。

 どうしてか?

 道徳の授業は価値の押し付けになることが多いので、先生の話を素直に受け入れていく才能のある子ども達つまり〈優等生〉には苦ではなくても、「なぜそう言えるの?」「それは変じゃない!」という様に〈先生に合わせるより自分の考えを大切にする子どもたち〉にとっては苦痛になるからです。
 ちなみに私いっきゅうは後者でした。

 学校の授業も進化し、今の道徳の授業は明らかに〈価値の押し付け〉になりがちな授業スタイルからの脱却を志向する様になりました。
 現場の授業がそうなっていないとしたら、それは明らかな勉強不足です。
 その画期的な授業が「モラルジレンマ授業」です、単に〈モラルジレンマ〉ともいいます。

 コールバーグが提唱した道徳の実践的な授業〈モラルジレンマ〉は、いろいろなところで実践される様になりました。
 私の大切な友人であり、沖縄のたのしい教育活動を実質的にスタートさせた人物 伊良波先生が〈教育委員会指定の教育課程研究〉でまとめた「モラルジレンマ授業の研究」を読ませてもらい、その授業を知ったのは20年以上前のことです。
 国語や社会の思想・倫理部分など、実験で勝負できない内容をとりあげた授業の中では、とても進化した形だと直感しました。

 沖縄でモラルジレンマ授業に目をつけて発表したのが伊良波先生ですから、モラルジレンマは、たのしい教育の歴史にしっかりした足跡をつけた授業であるといえるでしょう。

 簡単に説明すると、モラルジレンマ授業というのは〈どれが正しいのかわからない〉つまり〈どちらも正しいと思える〉という選択肢を選ぶ岐路に立たされる構造をもった授業です。

 ところでジレンマ(どちらかに決めかねる状態)に立たされることは珍しくありません。

 わたし達自身、そういう状況に立たされることはたくさんあります。
 たとえば車バカの私いっきゅうの例でいえば、長年連れ添って来た相棒の車が、買い替えた方が全体の費用は抑えられる状況に来ています。しかし長年想いを乗せて走ってきた大切な相棒でもある車と別れて新しい車を手に入れるのかどうかは私にとって大きなのジレンマです。

 そうはいってもエンジニアが「これはもう無理です」と手放さなくてはいけなくなる日は必ず来ます、その時もジレンマに立たされます。
 
 クラシック的なスタイルが好きでエンジン部にもこだわる私は〈スタイルは好きだがパワー不足の車〉と〈後ろから見たスタイルに難ありだけれど、かなりパワーがある車〉、〈総合的によいがもうすこし面白みが欲しい車〉など、いろいろな選択肢があって、いったいどれを選んだらよいかわからなくなります。

 車なんて走れば良いという人も、たとえば服やファッション、余暇の過ごし方など、私にとっては悩まないことが大きなジレンマになる人もいるでしょう。
 人間は日々〈ジレンマ〉に立たされているのかもしれませんし、それが人間を成長させていくのでしょう。

〈予想を立てることが決定的に重要です〉という私がよく口にする言葉も、ジレンマ状況を作り出しているとも言えるでしょう。

 その構造を道徳に組み込んだのがモラルジレンマです。〈モラルつまり道徳的〉なジレンマ状況を設定するわけです。つまり「これが正しい姿です」的な従来の道徳の授業ではなく〈どちらが正しいのかわからない状態〉に立たされる中で活発な授業が展開されます。

 初めてその授業を知った時、わたしもモラルジレンマの授業を作りたくなって、授業プランのヒントをいくつかメモしてありました。
 興味のある方は、これをヒントに自分でも作成してみませんか。
 うまくいったらぜひ、研究所にも連絡をください。

ジレンマ状況の設定

A.クラスのスポーツ大会に出るか、親のいうことを聞いて塾に行くか、つまり友人関係を取るか親子関係をとるか

 

B.先生から「聞かれたことは黙っていたね」と前置きされて、親友のSくんの最近の行動に不審なところはないか尋ねられる。

 万引きの常習犯として疑われているらしい。

 Sくんに限ってそういうことは全くないことを自分は知っているので、きっぱりと「先生の考えていることは間違いです」と答えたが、そのことをSくんにも伝えておきたい。どうすべきか

C.6年最後の大切な野球の大会を迎えた日、自分は微熱がある(37度C)ことを知る。

チームに補欠はいない。

黙って大会に臨むか、休ませてもらうか

 モラルジレンマ授業は、数年後には、ほぼ当たり前の授業になっているでしょう。
 しかし、そういう授業ができる人はかなり少ない状況です。

 教師自身でも悩んでしまう、間違いなく自分が子どもの頃ならどっちを選んだかわからない、という様なモラルジレンマで授業できたら、こども達にとって自分の道徳的な感覚をグンと引き上げる授業になることは間違いないと思います。

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