たのしい教育メールマガジン〈最新号〉に書いた「山本正次」先生の話への反響がいくつも届いています。
山本先生が
学級崩壊についての集まりにいくと「こういう事実がある」「こういう実態がある」という様にどんどん話が進んで、授業についての話に進まない。「それは授業以前の問題だ」ということになるのだが
と語った内容です。
このサイトを読んでくださっている方の多くは山本正次先生のことを知らないと思うので、メルマガの〈発想法の章〉を少し切り取って紹介しましょう。
いっきゅう
教師時代の頃から苦手だったのが職員室とかで出る「全くあの子は…」とか「あの保護者はどうも…」という様な話でした。
時には「このクラスは…」「この学校は…」といって全体にレッテルをはる様な話が聞こえることがあります、大抵、クラスがうまくいかい授業がうまくいかない時に出る言葉です。
そういう話はまとめていえば「授業以前の問題があるから私の授業はうまくいかないのだ」ということになると思います、「私はちゃんと授業したいのにクラスが乱れているから」という様に。
極力そういう渦に巻き込まれない様にしていたのは、どっちに転んでも、つまり〈そうだ〉ということになっても〈そうではない〉ということになっても苦しいことがわかっていたからです。
ところで何度か書いたことがあるのですけど、沖縄に来ていただきたかった人物に山本正次先生がいます。たのしい授業で国語といえば山本正次先生と言われるほどの方でした。
その頃すでに高齢だったので、沖縄まで来ていただくにはどうしたらよいかと伊良波さんが考えてくれている矢先に帰らぬ人となりました、残念なことです。
山本先生の本はたくさんあるのですけど『優等生教師からの脱却をめざして 子どもに向かって歩く』は、おそらく最も売れたと思います。
さて山本先生が今から20年以上前にこういう話をしてくれています。以前、大阪から来てくれたT先生がくれ資料です、紹介しましょう。
山本正次
学級崩壊という言葉が行き交うようになりまして、今ボクの一番に言いたいことは、学級崩壊の現状を語り合うような催しに行ってみましても、あまり授業のことを問題にされないということです。
というよりも〈それは授業以前の問題〉と切られてしまうんですね。
「こういう事実がある」「こういうことがある」「こういうことがある」と次々行きます。
ところが『たのしい授業』の1月号に、東京の高島茂登子さんという女の若い先生が「リターンマッチは楽しい授業で」という題で自分のことを書いてなさる。
自分がこうやっていくらやってもだめで、もう鬱陶しくなったり、学校に行くのがいやになったりしてね、教師が。
それで、どうしようかと自分自身が考えているときに本屋で『たのしい授業』というあの本を見つける、それではっと気がついたというんです。
そうしてこうこうこういうふうに道が開けていったというんですね。
ボクは非常に典型的な例だと思うんです。
ある意味でいうと普通の先生が、普通にまじめにやっていてぶつかる問題、それをどんな風にして乗り越えていったかということが書いてあるんです。
最後はやっぱり授業なんですよ。
問題は授業なんですよ。
もちろん 特殊な事例で学級崩壊していることもあるでしょう。そういう場合でも、この言葉は無視できないと思うのですけど、どうでしょうか。
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