偉大なる沖縄の植物の研究者 伊波善勇先生②〈沖縄の牧野富太郎としての〈伊波善勇〉

 伊波善勇先生との想い出はとても濃いものがあります。

 伊波先生は沖縄の植物についての碩学(せきがく)で、県内の離島まで各地を歩き、植物を収集してきました。沖縄の植物学者はたくさんいると思いますが、伊波善勇先生が生涯のテーマとして追いかけていたのが〈植物を線で表す〉ことです。
 これだけカメラが普及した今日であるのにも関わらず、たくさんの時間を必要とする〈植物線画〉を第一としていました。⇨こちら

 植物を同定(この植物の名前が◯◯である、と特定すること)しようと調べはじめると写真では視点がさだまらないことがあります。

 たとえばこの二つの花は名前が違います。

ハルジョオン

ヒメジョオン

 判断がつきにくいときに〈この植物の特徴はここである〉という様にわかりよい形で表現してくれているのが〈植物線画〉です。写真ほど大量の情報は入っていませんが、それだから特徴が分かりやすいということがあるのです。

 少し見てみましょう。

 これは牧野富太郎が描いた植物線画です。
〈牧野 日本植物図鑑 1940年出版〉からです。

これは私が〈沖縄の牧野富太郎〉と呼ぶ伊波善勇先生の植物線画です。〈石川市の植物〉から。

 

 何しろ描いている本人が、その特徴を表現しようと考えて描いているわけですから、植物を道程しようとする時に、とても役立ちます。
 二人が描いた同じ植物を大きくしてみましょう。

 牧野富太郎が描いた〈ヒメジョオン〉です。

ひめじょおん

 漢字中心で古い言い方をしていますから少し訳してみましょう。

ひめじょおん やなぎばひめぎく Erigero  annuus L.

越年性の草本。
北米の原産にして、明治維新前後に渡来し、今は普通、各地に野生状態として成っている。
茎の高さは30-60cm、
直立して〈開出毛〉を有する。

 

 これは沖縄の植物の泰斗 伊波善勇先生が描いたヒメジョオンです。

ヒメジョオン(キク科) Stenactis  annuus(L.)Cass

 北アメリカ原産の帰化植物。
 他県ではごく普通にみられる雑草で、帰化植物の体表的なものである。
 淡緑で柔軟な感じがする。
 5月ごろ茎の上方で分枝し多数の〈頭状花〉をつける。
 つぼみの時から上に向き、白色で径2cmぐらい。
 筒状花は黄色。
 酷似種にハルジョオンがあるが、これは頭状花がつぼみの時下にうなだれている。

 

 伊波先生の本には、ハルジョオンとの違いも記載されています。さすがです。原名が少し違うのは、その後の研究で、細かい違いがわかってきてからだと思います。

 伊波善勇先生は、いろいろな植物を調べて過ごしましたが、聞いてみると「名護の桜まつりの桜は見たことがない」というので、2014年の1月に名護の植物のフィールドワークとして一緒に名護岳に行ってきました。

 その時の一枚です。

 善勇先生は元気に歩きながらも、目についた〈ヒカゲヘゴ〉についての話を聞かせてくれました。

 ヘゴについても、牧野富太郎の線画と比べてみてください。

 これは牧野富太郎の〈牧野 日本植物図鑑〉からのヘゴの線画です。

 

 これは伊波善勇先生の〈へご〉の線画です。

 贔屓目(ひいきめ)かもしれませんが、伊波善勇先生のヘゴの線画がずっとわかりよいと思います。

 伊波センセは「ヒカゲヘゴとヘゴは全然違う。
 ヘゴは珍しい植物で、みんなが「へご」と呼んでいるのは〈ヒカゲヘゴ〉なのだ。ヘゴには触ると痛いトゲがあるんだ」という話など、歩きながらたくさんのことを伝えてくれました。
 

 伊波善勇先生は、牧野富太郎を出発点にして、それを超えていこうと思っていたのでしょう。

 日本中を歩いて調べていった牧野富太郎と違っていたのは、伊波善勇先生があくまでも〈沖縄〉にこだわったということだと思います。教師を勤めてすぐに辞めた牧野富太郎と違って、定年まで高校の教師を勤め上げた伊波善勇先生には、物理的にも時間的にも、全国を飛び回ることはできませんでしたし、沖縄は善勇先生にとってやりがいがあるステージでもあったからでしょう。

 81年の人生を閉じた伊波善勇先生の残してくれたものを大事にし、いろいろ問いかけて、自らその答えを導いていきたいと思っています。

 伊波善勇先生の功績がますます大きく評価されることを心からたのしみにしつつ、またこのサイトでも紹介したいと思います。この〈いいねライン〉をクリックすることで〈たのしい教育研究所〉を応援することができます !

伊波善勇先生 沖縄植物研究界の泰斗①〈伊波善勇と牧野富太郎〉

 わたしが植物のことを、細かく調べたり、同定(目の前の植物が◯◯という植物だとハッキリ特定すること)する時にもっとも拠り所とするのは 伊波善勇先生の〈石川市の植物:石川市教育委員会発行〉です。
 〈石川市〉の植物がタイトルになっていますけど〈沖縄本島全体・離島まで〉をカバーしているとても貴重な本です。※現在、石川市は統合されてなくなりました
 

 著者の伊波善勇先生が逝去して一ヶ月と少し経つ。
 今回は、伊波先生のことについて、書かせていただきます。

 最近〈アメリカフウロ〉のことを調べる為に、時代を遡る必要があって、〈牧野富太郎〉の図鑑を調べています。牧野富太郎は明治~昭和初期に活躍した植物学者で日本の植物学の父と呼ばれています。世界的にも有名な人物です。
〈雑草という植物の名前はありません〉という言葉を耳にした人もいるかもしれません、それはこの牧野富太郎が発した言葉です。

 彼の代表的な著作が「牧野日本植物図鑑」、これです。

 東京の行きつけの本屋さんで見つけたので即入手しました。卓上版(縮小版)で安く出ています。さすが東京の物量は大したものです。

 そうやって牧野富太郎の本を読み始めているうちに、伊波善勇先生の素晴らしさをますます実感しています。

 これが伊波善勇先生です。

 たのしい教育研究所の〈たのしいアウトドア教室-どんぐり・ドングリ編-〉で講師を勤めてくださった時の一枚です。

 善勇先生の作業場にも何度かお邪魔させてもらい、いろいろなお話や、植物を移す時の作業方法を厳しく丁寧に指導していただきました。
 伊波先生が手にしているのは、沖縄海洋博記念財団の依頼で編集した〈沖縄植物図鑑〉と〈恩納村の植物〉です。


 どんぐりの移植の時には
「これくらい掘ればいいだろう、という様な掘り方は素人だ。植物の根がどこに伸びたがっているのか見える様になって、やっと半人前だ。植物の気持ちになりなさい」
という言葉とともに、掘り方を指導していただきました。

 伊波先生の言葉を、一度ゆっくりかきおこそうと思っています。
 逝去から数週間。思いも大きく、文章も長くなりそうです。②として、次回、牧野富太郎の植物画と伊波善勇先生の植物画を具体的に紹介させていただきます。この〈いいねライン〉をクリックすることで〈たのしい教育研究所〉を応援することができます !

五月の沖縄市での公民館出前授業の有力候補は〈走るCDゴマ〉!

 毎回もりあがっている沖縄市の公民館での五月の授業のたのしい会議を持ちました。

 

 まず候補に上ったのは〈走るCDゴマ〉です。

 CDで〈ビュンビュンごま〉を作って、回しながら床に置くと、勢いよく走り出します。

 

ビュンビュン回して床に置く。

その離すタイミングによっては自分に向かって走って来ますからスリリングです。

しだいに、どのタイミングで離せば前に進んでいくかわかるようになると思います。

走らせてビンとビンの間を通したり、だれが遠くまで走らせることができるか競ったり、いろいろな楽しみ方ができると思います。
 今週のメールマガジンに作り方を紹介しています。この〈いいねライン〉をクリックすることで〈たのしい教育研究所〉を応援することができます !

決められた道を言われた通り歩む子ども達ではなく〈自ら道を切り開く子ども〉を育てる《たのしい教育》 板倉聖宣

 毎日いろいろな教材の研究や開発をし、学校の先生達へ授業をし、子ども達との関係についての相談にのり〈1日がせめて36時間くらいあるとよいのに〉と思う日々です。
 たくさんというわけではありませんが、時おり、研究所の授業を受けた子どもたちや、このサイトを熱心に読んでくれている子ども達からのメールも届きます。


 その中には、何かの模倣ではなく、自分でたのしみながら学んでいる姿がたくさん映し出されています。

 たのしい教育は〈決められた道を言われた通り歩む子どもたち〉を育てる教育ではなく〈自ら道を切り開く力のある子どもたち〉を育てる教育です。
 今の指導要領にもある様な〈主体的・対話的で深い学び〉を実現するのも《たのしい教育》です。

 かつて「月間たのしい授業」の創刊号に板倉聖宣がこういう文章を載せています。

 

 一本道をまっしぐらに走るのなら,そこには序列がつきます。そして先頭の人も迷わずみんなをひきつれて走ることができます。

 しかし道がなくなったらどうしたらよいのでしょう。

 自分たちで道を開くのです。銘々、各自のいいと思う方向に道を開いていくのです。

 

 「いばらの道」といい,「ほとんど先が見えない」というと,その道を開く仕事はとても苦しいだけのように思えるかも知れません。しかし,そこには開拓者の喜びがあり,創造のたのしみがあることを見落してはなりません。

 その道を開く意欲は,創造のたのしみ,開拓者の喜びを知っているものだけが抱き得るのです。

 

 きめられた一本道をつっぱしる教育,それは「できる授業」「わかる授業」だけでもすみます。しかし,自ら道を開くための教育となったら,道を開くたのしみを教える「たのしい授業」以外にはありません。

 

 こういうと「そういうたのしい授業が必要なのは大学か大学院でのエリート教育だけで,小中学校などはいままでどおりのかけっこ教育でいいのではないか」という人がいるかも知れません。しかし,その考えが間違っていることは,いまの日本の教育界の混乱をみてもわかります。

 

 一本道をまっしぐらに走ることになれてきただけの人は,いきなり「ここから自分で道を開け」といわれても,ただとまどうより他ないからです。

 すでに人の開いてきた道をすすむにも,たのしみながらすすむことができてはじめて,新しい道をみずから切り開く喜びもわいてくるのです。

 夏は、たのしい教育研究所がとても忙しくなってくる時期です。すでにいくつかお断りせざるを得ない講座の要請も出てきました。ご希望のみなさんは、早めにお問い合わせください。このサイトの右側に要請フォームがあります。未確定の部分は未確定のままで結構ですので、早めに出しておくことをおすすめします。この〈いいねライン〉をクリックすることで〈たのしい教育研究所〉を応援することができます !