眠れない日の教師のために

文筆家で暮らしたいということもあって、これまでたくさんの文章をしたためてきました。

研究所を設立後は、予想外の忙しさに、なかなかゆっくりとそれらの文章をまとめ上げる時間がとれないのですけど、チャンスを見て、必ずまとめていきたいと思っています。

その一つが「眠れない日の教師のために」です。

眠れない日の教師のために

2011年8月8日にドラフトとして書きまとめ、たのしい教育研究所を正式に設立した時に全体的な構想がまとまりました。

 

教師をしていた頃から、放課後のわたしの教室にいろいろな先生たちが来てくれました。カウンセリングを本格化する頃からは、いろいろな学校の先生たちが相談に来てくれるようになりました。

たのしい教育講座も数々開催する中で、悩み多き先生方に具体的な提案をすることもたくさんできる様になりました。

ポジティブシンキングとか、考え方の転換ということではなく、
子ども達とのよりよいコミュニケーション
たのしい授業
たのしいイベント
保護者の方達との関係づくり
教育相談を生かすために

など、具体的に何をどのうように工夫していくことができるかをまとめた一冊です。

前書きをお読みください。

 

はじめに

今日はどういう一日でしたか?

子どもたちの笑顔と出会えたでしょうか。

笑いのある一日を過ごせましたか。

授業をたのしくすすめられたでしょうか。

校長先生や教頭先生は、優しく話しかけてくれましたか。

保護者の方たちとのコミュニケーションは調子よくすすんでいるでしょうか。

 

「今日もいい日だったな」と感じながら気持ちよく眠りに就き

「さあ、今日も子どもたちとたのしくやるぞ」

と気持ちよく起きる。

そういう日々を過ごして行けたら、こんなに嬉しいことはありません。

それにしても「教師」という仕事は、たくさんの不安定要素に囲まれた仕事ですね。

4月。

もともとソリの合わなかった子どもが同士が一緒になり、いつ火がつくかしれない状態で過ごしていたり、穏やかだと思っていた子が、何かのきっかけでトラブルを起こしたり、両親の不和がひきがねで心が不安定になって、突然教師に反抗してきたり。

たたでさえ忙しい日々の中、たくさんの行事や研修、これまで無かった分野の仕事が割り当てられたり。

そういう激務の中で体調もすぐれない・・・

ハードな日常故に、気持ちがうまく伝えられず、保護者の方や同僚との関係がこじれることもあります。

家庭の事情で休みをとらなくてはいけない場合にも、なかなか休めず体力的にも、気持ちの面でも追い詰められたり…

その悪循環が連なって、学校の仕事にかける力が分散され、ますますマイナスの状況を生む…

悩みのタネは書き切れないほどです。

わたしはこれまで30年近く、先生という仕事をして来ました。

その中でいろいろ人たちから相談を受けることがありました。また個別カウンセリングやカウンセリング講座、発想法、たのしい授業の実践講座などを幾つも開催してきまた。そういう中で、問題が解決していったり、あるいは解決しないままでも、本人が穏やかに日々を過ごせるようになった相談が幾つもありました。

今回、樹楽庵(きらくあん)文庫の一冊として、この本を刊行したいと思います。ノウハウもの、Q&A的なものではなく、骨格となる理論も含めた、応用の効くものとしてまとめられたらと考えています。

この一冊が、自分の進む先が見えずに困っている、あるいは苦しんでいる皆さんの足元を照らすロウソクの一本になればと心から思っています。

たのしい教育研究所 きゆな はじめ

 

沖縄から世界に「たのしい教育」を発信する
「たのしい教育研究所」です。

届けているのは「力」と「笑顔」と「元気」です!

「アドラー心理学」ではなく深い意図をもって「インディビジュアル・サイコロジー」と呼ぶ

今日のひとこと あまり語られていない様ですが、アルフレッド・アドラーが自ら提唱した心理学を「アドラー心理学」と呼ばなかったことは、とても重要な事実です。後の人たちが、アドラー心理学と呼び始めたのです。

もしもアドラー自身が自ら打ち立てた心理学を「アドラー心理学」と呼んでいたら、彼アドラーが「これがいい」と思った技法は基本的に、アドラー心理学といってよいことになってしまいます。「アドラーがこう言った・こうやった心理学」という意味での「アドラー心理学」ということで何ら矛盾はないからです。

幸いにも彼は自ら提唱した心理学を「インディビジュアル・サイコロジー」と名づけました。
インディビジュアル・サイコロジー-individual psychology
サイコロジーは心理学という言葉です。

インディビジュアルは、個人と訳されていますが、本質的には〈Divide(分割)の否定形〉「分割できない総体」というイメージで in・dividual です。

人間の行動を見ていると、この場合はこうだけど、あの場合は違う、という様にいろいろなパターンがあります。ですから、たとえば「あなたは、お兄ちゃんには反抗的だけど、お母さんには従順だよね」という様に、ディバイド・分割して相手を把握することがよくあります。

ところがアルフレッド・アドラーは〈行動に矛盾のない総体〉として、行動や心理状態を捉えようと試みたのです。
「あなたはお兄ちゃんには反抗的だけど、お母さんには従順だよね」
ということも、「それは自分の目的を達成するための矛盾のない行動パターンだ」と捉え直すと、自分の目的や希望を達成にするためには、お兄ちゃんには反抗する、お母さんには従順な態度をとった方が、それにより近づける、という様に見ることができます。そしてその見方考え方はカウンセリングを組み立てていく上でとても有効に作用するのです。

つまり彼アドラーは〈自分がやるものがアドラー心理学なのだ〉というのではなく、《分割(ディバイド)できない総体》として人々の思考や行動を捉え、それをよりよい状態にもっていける《体系》として「インディビジュアル・サイコロジー」を構成しようと試みたのです。

板倉聖宣が提唱した授業を「仮説実験授業」と呼びますが、それは思考過程や技法を含めて《科学的真理に至る体系》として名づけられました。真理に至るには「仮説をもって問いかける・実験する」こと以外にはないのだ、という意図を含んだ言葉です。まさに《名は体を表す》といってよいでしょう。
もしも板倉聖宣が、仮説・実験によるのではなく「まず信じること」で授業を構成しようとしたら、たとえ提唱者の板倉聖宣が開発したものであっても、それは仮説実験授業とは呼ばないのです。

アルフレッド・アドラーも《名は体を表す》心理学を構築したくて、そう名づけたのです。日本語で「個人心理学」と訳してしまったために、インディ・ビジュアル本来の意図がよくわからなくなってしまいました。

アルフレッド・アドラーの提唱した心理学・カウンセリングの源をたどり、正当に継承する一人として、特別必要がある場合を除いては「アドラー心理学」という言葉は用いません。そして「個人心理学」という言葉も使いません。
深い意図を持ってアドラー自ら名づけた「インディビジュアル・サイコロジー」と呼ぶのがわたしの流儀です。

カウンセリングもたのしく継承
「たのしい教育研究所」です

いっきゅう

LEAPカウンセリング入門(後段)「自分の行動は自分の選択。その行動の責任を受け入れることで成長する」

LEAPカウンセリング入門「自分の行動は自分の選択。その行動の責任を受け入れることで成長する」

前段の「科学的とはどういうことか」の続きです。

まず、カウンセリングに科学的な手法が必要なのか?

ということをお話ししたかったので、長々と書かせていただきました。

わたしがLEAPカウンセリングを開発する際に重視したのが「科学的でありうるか」ということでした。

科学的だということは、「予想・仮説⇨実験・確かめ」を経てすすむので、それが一回だけの現象に終わらず、周りの人たちも再現できるのです。

もちろん悩みや課題は人それぞれ違っていますから、同じようにすすむカウンセリングというものは考えられません。それは、海の波がまったく同じ動きで、同じ形で押し寄せることはないに等しい、ということと似ています。
しかし、大きく眺めれば、その波の形は似ています。

しかもそのカウンセリング手法がうまくすすむのか、どこかで混乱してストップしてしまうのか、についての実験結果はしっかり出せるのです。

LEAPカウンセリングの流れそのものが、実は「予想・仮説⇨実験・確かめ」そのものとなっているのですが、それはいずれ「入門講座」などで実技研修を受けていただけたらと思っています。

さて、タイトルの

「自分の行動は自分の選択。その行動の責任を受け入れることで成長する」

という話に進みたいと思います。

長い教師生活と、その半分ほどはカウンセラーとして、いろいろな問題や課題と向き合ってきましたが、「自分に起こった問題を、周りの誰かのせいにしてしまう」ことでこじれてしまう状況に数え切れないほど関わってきました。

も のごとにはたくさんの要素が絡みますから、その一部をとって、周りのどれそれのせいにする、ということは可能です。しかしそういう思考パターンを続けてい ると、「私は被害者で悪いのは全部周りの人・状況」という大きな迷路に入ってしまいます。そういう中で「自分はまったく悪くない」と主張してしまうことに もなるのです。

逆に「どういう状況があったにせよ、その行動を選択したのは自分自身だ」ということを基本にしておくと、解決のいろいろな手立てが見つかってきます。自分の行動を変えるのは、周りの状況や周りの人を変えるより何百万倍も簡単なのです。

私は時々、たのしい教育研究所に学びにくる先生たちに「天気まで自分のせいにする必要はないけれど、沖縄の子ども達の学力が低いのは自分のせいかもしれない、と考えてみることも大切だと思う」と話すことがあります。

目の前の自分のクラスの子ども達でなく、沖縄全体のことまで自分のせいなのか?
そう不思議に思う人たちも多いのでしょうけど、思考実験としては十分考えるに足るテーマだと思います。

自分の育てる子どもがたのしく賢くなる。そして、目の前の子ども達だけでなく、ひろくいろいろな子ども達をたのしく賢くできる。それはとてもたのしい活動となります。

沖縄県全体のことまで考えることはないにしても、せめて自分が選択した行動は全て自分の責任で選んだものだ、と考える。

そして「その選択した行動の結果おこったことは、全て自分で責任をとる」という形で暮らしていけたら、その人はきっと、どんどんたくましく成長していくことでしょう。

「だれだれが、そう言ったから自分はそれを選んだのだ」とか「こういう状態だから、しかたなかったのだ」とは言わず、そういう中で、その行動を選び取ったのは自分だ、ということです。

LEAPカウンセリングのはじめの段階では、そのところをとても丁寧に扱います。

自分の責任として受け入れる人は、いろいろなアイディアを出して、解決のための行動に進む事ができます。そうやって、人間としてたくましく賢く成長していくのです。そうすれば、次に起こる問題に対しても、冷静に行動ができる様になると思います。

少し長くなりました。

 

たのしい研究所は、いろいろな方達の悩みとも
真剣につきあっていきます。