たのしいファーブル研究〈パリの自然史博物館やルーブル美術館よりも野原が好き〉

 このサイトにもメルマガにも書いたのですけど、年末からファーブルの研究に没頭しています。師の板倉聖宣が語ったファーブルの科学読み物の研究を元に、実際にファーブルが残した本たちを紐解いて、いろいろなことが見えてきました。
 板倉聖宣がファーブル昆虫記をあまり評価していない理由も、こういうところにあるかもという予想もたってきました。

 板倉聖宣の評価は別にして、ダーウィンも高く評価した〈たぐいまれなる観察者〉であるファーブルは昆虫たちの生態を、いろいろな実験を通して解き明かしています。それを新しい教育プランにできないかと模索中です。
 ファーブルが没頭した虫たちと同じものたちに沖縄・日本でも簡単に触れることができます、アリやちょう、バッタたちです。
 わたしのアイディアはいろいろな人たちに吸い取られていく様で、それはそれでよいのですけど、〈押し付け〉的な教育や〈これもわからないの?〉的な話題として取りあげる人がいる様ですから、注意しなくてはいけません。

 さて、ファーブルさんのお話を少し紹介しましょう、私の好きなエピソードの一つです。

 ファーブルが何とか貧しい暮らしを脱したいという思いも重ね、科学そして虫たちの研究に没頭していた頃は、ちょうどフランスの〈近代公教育〉が確立されていく頃と重なっています。
 フランスの公教育を託されていた文部大臣のデュルイさんは先見の明のある人物でした、教育史の世界でもっと注目されてよい人物だと思います。彼は才能のあるいろいろな人たちを見いだして直接会いに行きます、その一人が教師をしていたファーブルです。
 才能ある人物たちをもっと引き立たせたいデュルイは、ファーブルをはじめいろいろな人たちに勲章授与の機会を与えました。
 その頃、アカネの染料の研究でお金を設けて貧乏な暮らしから脱しようと考えていたファーブルは、その授賞式を何とかパスしようと思っていたのですけど、半ば強制的にパリに呼び出されます。
 勲章をもらってすぐに帰ろうと思っていたファーブルだったのですけど、翌日は皇帝との懇談の場も設定されているというので困ってしまいます。逃げかえろうとするファーブルの気持ちをよんだデュルイはファーブルを説得し、何とか皇帝との懇談までがんばらせます。
 すると文部大臣デュルイは今度は「何だって君はパリの博物館やいろいろなコレクションも見ないつもりなのか」とさらにファーブルを引き止めます。前後の流れから読み取ると〈自分が案内しよう〉という勢いです。パリ自然史博物館やルーブル美術館などのことを言っているのでしょう。私も行ってみて驚いたのですけど、パリの博物館・美術館は世界的にみても最高グレードです。もちろんファーブルさんのいた1900年前後にもすでにありました。

 ファーブルさんはどうしたでしょう? 皆さんが文部大臣にそう言われたらどうしますか?

 ファーブルはこう言いました。

「よく知っております、閣下。しかし、野のたぐいない博物館の方が、もっとわたしの気に入っておりますし、居心地もよいのです」

 そして翌日にはアヴィニョンに戻っていきました。

 野のたぐいまれなる博物館の方が・・・

 私もその気持ちはとてもよくわかります。

 先日、私がニューヨークを模して名付けた〈リバーサイドパーク〉を歩きました、何と梅が開花していたんですよ。
 まさに〈野のたぐいない博物館〉です。

 近々それを紹介しましょう。

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おすすめ小説 小川糸さん「ライオンのおやつ」

 最新版のメルマガに「2020年にメルマガで紹介した映画・小説の中から」というテーマで10本くらいの作品を選んだところ、年末年始にたのしみましたというお礼の便りがいろいろ届いています。

 選んだ中の一本に〈小川 糸:おがわ いと〉さんの「ライオンのおやつ」があります。
 今日はその本についてのお礼が届きました。

 私はもともと活字中毒といってよいほどの〈本好き〉で、たのしい教育研究所(RIDE)を設立してから、絵本や図鑑、科学本などはたくさん読んでいるのですけど、それまで趣味で読んでいた〈小説類〉はほぼ手にしなくなりました、年間に10本も読んでいないと思います、たぶん。
 ライオンのおやつは、その私が2020年に読んだ中で最もおすすめの作品です。

 主人公は33歳女性・海野雫(うみのしずく)。
 物語は、海野雫が、病で〈余命〉を宣告され、自らの最後の日々を過ごすために、瀬戸内の小さな島にあるホスピス(看護施設)に向かうところからはじまります。
 そのホスピスが「ライオンのいえ」です。
 〈ライオンのいえ〉には入居者がもう一度食べたいという思い出の食べ物をリクエストできる「おやつの時間」がありました・・・

 「死」が扱われていても、不思議なさわやかさを感じさせる作品です。

 誰にとっても死は大きなテーマです、けれどそれは実は〈生〉がテーマなのだということです。

 私いっきゅうはスマホに〈寿命時計〉というアプリを入れてあって、たまに「あなたの寿命は残り・・・・秒です」と刻一刻と減っていく予測寿命を見ながら「今確実に生きているなぁ~」という実感を得ています。

 生きているこのときを豊かにたのしく、それが〈たのしい教育〉のテーマです。

 2000年以上前に「ありもしない天国や地獄などに惑わされて今この時を無駄にせず豊かにいきていこう」と語ったエピクロス、その後、本格的な科学の発展と共に確実に増えてきた〈原子論者〉の一人が私いっきゅうです。

 とはいえ宗教を信じている人たちの人生を否定する気持ちは全くありません。〈今この時を豊かにたのしく過ごしていく〉それは宗教を持つもの持たないもの、誰にとっても大切なことでしょう。

「ライオンのおやつ」は、〈死があるから生を豊かに〉、そう考えるきっかけになる気がします。
 おすすめします。
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おもしろ指遊び(できますか?)

  年末から年始、いろいろな整理整頓をしていて、パソコン内のデータも見ています。

いつ写したのだろう、どこで撮ったのだろう、思いだせないのですけど、RIDEのモデルを務めてくれているRくんが教えてくれた遊びです。

 まずこの写、まあ普通の顔をした人物がいます。

 ワン、ツー、スリーと唱えると、あら不思議、ベロ出しびっくり顔にかわりました。

 何がどうなっているのか、映った指を丁寧に見ていくとわかると思います。

 これをパッとできる様になるためにはしっかり練習しなくてはいけません。

 泣いている子に見せると泣き止むと思います。学校でやると叱られるかもしれませんから、笑ってくれる人を探して、しかも落ちやすい筆記用具で試してみてくださいね。

 こういう技はいろいろな人たちに引き継がれているのだろうか、それともRくんの後、途絶えてしまったのだろうか。それが気になる今日この頃です。

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わからないことを楽しむ

 これから書くのはメルマガの発想法の章に書こうと思いながら、なかなか手がけられずにいるテーマの一つです。そして最近わたしに届いた悩みに対する答えでもあります。このサイトに書いて反応をみつつ、頃合いをみてメルマガにじっくり書くこともあるので、まず気軽に書き始めたいと思います。

 不思議なことなのですけど、よく考えてみると不思議でも何でもない、という話から。

 ある事を学んでいくと、それが分からなかった頃より明らかに知識は増え理解は深まっているはずなのに、分からないことが増え広がっていることに気づきます、おかしい・・・

 皆さんはそういう経験はありませんか?
 だんだん自分が無知になっていく様な感覚。

 私は合格SVなどでたくさんの受験生の相談を受けてきたこともありますし、かなり高度な科学の内容を〈たのしい教育プラン〉にして授業してきた中で、次第に「あれはどうなのだろう、これはどうなのだろう、わからない」という様に感じていく方たちの思いを受け止めてきたこともあります。
 そして私自身がそういう感覚を何度も味わってきました。

 「かけ算九九」を学びはじめて〈二の段〉を覚えた、知識量は増えて、残りは〈三~九の段〉になる。今度は三から五の段まで覚えた、すると残りは六~九の段。
 着実に知識は増えていくわけですから、未知の部分は減っています。

 それなのに学べば学ぶほどに「あれも分からないこれも分からない」という様に自分の未熟さを突きつけられていく・・・
 変ですよね。

 けれどそれは変でも何でもなく〈当たり前〉のことなのです。

 たとえば生まれたての赤ちゃんが産科の病棟からはじめて自宅にいく。
 これまで赤ちゃんの世界は病院のベッドから見えている世界、そして時々やってくる看護婦さんやお医者さん、母親そして身近な家族だけだったのに、家にはいろいろなものがある。次第にハイハイできるようになると、向こうの部屋はどうなっているのか、時々いい香りが漂ってきて、パチパチとかジョワ~と音がする暖かいあの部屋は何なのか、未知の世界が広がっていきます。
 ハイハイから立ち上がって歩くようになり、時々家族と外に出かけるようになると、ますます未知のものが増えてきます。
 チチチチ~と鳴きながら空を飛んでいるあれは何なのか?

 たくさんの大きな物体がブ~と音を立てて臭いガスを出しながら次々と走り抜けていく、あれは何なのか?

 そもそもどうして外は明るかったり暗かったり暖かかったり寒かったり、時には上から水が落ちてくる・・・、何なんだ?

 世界が広がると未知のものが増えていくのはあたりまえのことなのです。

 いやそれは物質世界のものだからであって知識理解はそうではないだろう、と思う人がいるかもしれませんね。 

 でも同じです。

 かつて人間は原子・分子のことなど知りませんでした。

 それが「明らかにこの宇宙の全ては原子分子からできている」ということが分かってくると、その原子分子の不思議なふるまいによって起こるいろいろな現象が分からなくなってきました。


 熱いとは何なのか 寒いとは何なのか?
 原子・分子など知らない時には「火は熱い、火に当てたものを触るとやけどする」くらいの知識で済んだのに、原子分子の存在が分かってくると、熱いとは何なのか冷たいとは何なのか、原子分子のふるまいで説明できないか考えるようになります。
 難しい問題です。
 いろいろな予想実験を経て、熱い冷たいということ、つまり温度というものは実は〈原子分子の運動スピード〉だということが分かりました。
 原子分子の運動スピードが速ければ速いほど温度が高いのです。普通の水でやけどすることはないけれど、ハイスピードで動きまわる〈水〉に触れると、その運動で皮膚が痛めつけられボロボロになります、〈やけど〉というのがそうです。目に見えないくらいの小さな原子分子がおそるべき早さで皮膚に当たって傷つけていったわけです。

 原子分子のことが分かっていくと、今度はその原子分子は何でできているかという未知の領域が増えていきました。
 そして、原子分子を形作る〈量子〉というものたちは、私たちの感覚的なものでは理解不明な振る舞いをすることも分かってきました。
 ハイゼンベルグが〈不確定性原理〉として明らかにした様に、量子の動きは不確定という意味不明な世界に入っていくことになります。

 いろいろなことが分かってくるにしたがって、そこからさらに何本も何十本も広がる未知の領域が出てくるのです。

 私の好きな落語のまくらに
「昔は病気なんて〈腹いた〉と〈頭いた〉くらいしかなかったのに、最近は胃が悪いとか痛風とかいって病気がどんどん増えてきて大変だ」
という話があります、似ています。

 なぜか?
 私たちをとりかこむ世界は〈かけ算九九〉の様な有限(限りあるもの)の世界ではなく無限に広がる世界だからです。

 もしかしていろいろなことを学んでいるのに、どんどん分からないことが増えていく様に感じて、〈自分の力が落ちているのではないか〉と不安になったりする時、それは自分が無知蒙昧(むちもうまい)になってきたのではなく、実は自分の世界が広がってきたから、力が高まってきたから感じているのです。

 そして「あれも分からない、これも分からない」ということは〈たのしみがどんどん広がってきた〉ということでもあります。
 赤ちゃんが産科から自分の家に行き未知の世界がゆっくり広がっていく。
 その未知の世界をゆっくりひもといていくことは赤ん坊にとって喜び以外の何ものでもありません。
 この宇宙の森羅万象(しんらばんしょう)を前にした私たちは赤ん坊と同じだといってもよいでしょう。
 一生たのしんで暮らせますね(´ー`

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