最新のメルマガの〈たのしい教育の発想法・哲学の章〉に「完全な言論の自由」ということについて書いたところ、熱心な読者の方から長い便りをいただきました。
その骨子は、その発想法・哲学の章の前半についての話でした。
その部分を少し紹介しましょう。
スティーブン・キングという小説家がいます、ホラー系の作家としてとても有名です。
彼の小説はあまり読まないのですけど、映画化されたものはいろいろ観ています。
〈IT〉〈キャリー〉〈シャイニング〉etc. 有名な作品がたくさんあります。
アメリカのトランプ大統領の言動や行動について彼が最近ツイッターでこう発言しています。
「言論の自由には、密集した劇場で〈火事だ!〉と叫ぶ権利は含まれていません。それをドナルド・トランプはやったわけで、そういうことをしてはいけないのです」※いっきゅう訳読者の方の中にはトランプさんを支持している人がいると思いますから、彼の行動とは切り離して考えてください。
〈言論の自由〉と〈何をいっても良い〉ということの間には、社会的な存在としての人間にとって重要な問題が横たわっているのです。
板倉聖宣は、それに関わる発言を何度かしてくれています。
今回紹介するのは、仮説実験授業研究会ニュースの2015年4月号にのったものの一部です。
平和を考える一つのテーマとしてお読みください。
〈言論の自由は守られるべきで、何を言っても良いのだ〉と考える人たちとスティーブン・キングの様に〈火事でもないのに火事だと叫ぶ自由はない〉という人たち・・・
結局相容れないのでしょうか?
その時に合意できるのは何か・・・
〈人間の幸せと豊かさにつながるものを目指そう〉という目標の一致がとても重要になるでしょう。
言論の自由を守って人類が滅びたとか不幸のどん底に落ちたというのでは、〈健康のためなら寿命が短くなってもよい〉という笑い話より困ったことです。
また言論を規制したために結局人類が不幸になったというのも同じです。
私たちの幸福、豊かさにとって、何をどの様にしていけばよいのか、それも全て〈予想を立てて確かめていく〉という過程で明らかにされていくしかありません。
板倉聖宣は関東大震災の時に韓国の方たちが井戸に毒を入れたという噂話が広がっていくことによって悲劇が起こったことを例にしていました。
そういう過去の災いからも、言論の限りない自由と不自由についてみていくことはできないでしょうか。
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