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ここまで。

〈科学的な真理〉〈噂〉〈マスコミやSNSの扇動〉/立春の話

 物々しいタイトルに見えるかもしれませんけど、いつもの様に中身は中学生から、早い人では小学校高学年から読める内容です。〈科学的な真理と噂とマスコミの扇動〉このことは今回のコロナの流行についても重要なテーマであったことは、この騒動が落ち着いた時にハッキリすると思います。

 コロナウイルスの危険性を冷静に科学的な真実や、科学を元にしたことを的確に伝えることと「大変だ大変だなにしろ大変だ」と煽ることとは違います。あるテレビ関係の人が語っていたのですけど「冷静に伝えるより、大変だ大変だと叫ぶ方が視聴率が上がるんです」とのこと。だからやっていいという説明にはならないと思うのですけど、どうでしょう。
 また一方では〈受け手〉つまり聴衆・視聴者としての私たちのせいにされてしまいそうですけど、ごまかされてはいけません。視聴率が上がるからやっていいという方程式は成り立たないのです。
 こういう話はたのしい教育メールマガジンの発想法などでとりあげるとして、その関わりで思い出す名文がいくつかあります。
 科学者であり文学者 寺田寅彦(てらだ とらひこ)の「流言飛語」のことは以前紹介しました、今回はその弟子 中谷宇吉郎(なかや うきちろう)の「立春の卵」という名文を紹介しましょう。

 これを書いているのは2月4日、立春の日なのでちょうどよい話になるとおもいます。

 我らが青空文庫にボランティアの方たちが文字起こししてくれています、感謝を込めて紹介させていただきます。https://www.aozora.gr.jp/cards/001569/files/53208_49866.html

 普通は卵を机に立てるなんてことはできないけれど、実は立春の時にはそれが立つのだという話がテーマです。

立春の卵
中谷宇吉郎

 

立春の時に卵が立つという話は、近来にない愉快な話であった。
 二月六日の各新聞は、写真入りで大々的にこの新発見を報道している。もちろんこれはる意味では全紙面をいてもいいくらいの大事件なのである。
 昔から「コロンブスの卵」ということわざがあるくらいで、世界的の問題であったのが、この日に解決されたわけである。というよりも、立春の時刻に卵が立つというのがもし本統ならば、地球の廻転かいてんか何かに今まで知られなかった特異の現象が隠されているのか、あるいは何か卵のもつ生命に秘められた神秘的な力によるということになるであろう。それで人類文化史上の一懸案がこれで解決されたというよりも、現代科学に挑戦する一新奇現象が、突如として原子力時代の人類の眼の前に現出してきたことになる。
 ところで、事実そういう現象が実在することが立証されたのである。『朝日新聞』は、中央気象台の予報室で、新鋭な科学者たちが大勢集って、この実験をしている写真をのせている。七つの卵が滑らかな木の机の上にちゃんと立っている写真である。『毎日新聞』では、日比谷ひびやの或るビルで、タイピスト嬢が、タイプライター台の上に、十個の卵を立てている写真をのせている。札幌の新聞にも、裏返しにしたお盆の上に、五つの卵が立っている写真が出ていた。これではこの現象自身は、どうしても否定することは出来ない。

 大手新聞社が、立春の時にそういう〈新奇現象〉を一斉に書き立てて、しかも科学者たちが確かめている実験の様子も伝えているのです。

 少し飛ばして、こう続きます。

 ラジオ会社の実況放送、各新聞社の記者、カメラマンのいならぶ前で、三日の深夜に実験が行われた。実験は大成功、ランドル記者が昨夜UP支局の床に立てた卵は、四日の朝になっても倒れずに立っているし、またタイプライターの上にも立った。
 四日の英字紙は第一面四段抜きで、この記事をのせ、「ランドル歴史的な実験に成功」と大見出しをかかげている。立春に卵が立つ科学的根拠はわからないが、ランドル記者は「これは魔術でもなく、また卵を強く振ってカラザを切り、黄味を沈下させて立てる方法でもない。ましてやコロンブス流でもない」といっている。みなさん、今年はもう駄目だが、来年の立春にお試しになってはいかが。

 こうはっきりと報道されていると、如何いかに不思議でも信用せざるを得ない。おまけに、この話はあらかじめ米国でも評判になり、紐育ニューヨークでも実験がなされた。ジャン夫人というのが、信頼のおける証人を前にして、三日の午前この実験に成功したのである。

 なんとアメリカN.Y.でも評判になっているという・・・

 どうして普段立つことの無い卵が立春の日に立つのか?

 マスコミ挙げたその話に、名探偵 中谷宇吉郎が挑むという様な一つのミステリーとして読んでもたのしめる掌作です、ゆっくり読んで10分くらいでは読了すると思います。
 学校でも子どもたちに読んであげてほしいエッセイです、おすすめします。
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目は口ほどにものを言う/ペーパークラフト教材研究

 子どもたちがハサミの安全な使い方や切り込みの練習、そしてノリの付け方などをたのしく学ぶ教材をいろいろ探しています。

 いろいろな先生たちが教材を持ち寄って研究をすすめているのですけど、最近のヒット作がこれです。

 一つ目で「ハぁイ!」という様に手をあげているオブジェ、何だかわかるでしょうか。

 ピクサーの名作「モンスターズ・インク」のマイクです。

 この生き生きとした瞳、元気よく語りかたけてくれる感じがして、大人気です。

 

 原版の型紙は、小学校低学年のこどもたちには細かすぎるので、どうにかシンプルにしあげられないかといろいろ知恵を寄せ合っています。

 こういう地道な準備もたのしくて、笑顔広がるたのしい教育研究所の日々です。

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サトウキビは何の仲間でしょう?(子ども達に語りたい話)

 車を走らせているとスクスク気持ちよく空に伸びるサトウキビの穂をみつけて写真を撮りました、凛々(りり)しい姿です。

 子どもの頃からなぜか私はサトウキビの穂と江戸時代の火消しの〈まとい〉を結びつけて思い出してしまいます、同じ様なひともいるのでしょうか?

 サトウキビは砂糖の原料になるのでより甘く、より丈夫な、より大きなものを育てる様になってきました、普通のサトウキビは人間よりずっと大きく成長します。

 

 生き物に興味をもったら、その植物の〈名前〉を調べることで、より親しみがわきます。

 その次に〈何のグループなのか〉をみていくことをおすすめします。

 グループの分類はいろいろな分け方が存在するのですけど、まず〈◯◯科〉というものをみていくとよいでしょう。

 さてさて、サトウキビは何のグループ、何科の植物でしょう?

グループの名前が思いつかなくても「あ、あの植物と同じじゃないかなぁ~」という様に頭に浮かんでくるものはありませんか・・・、少し考えてみてください。

 予想を立てたら、外れてももちろん賢くなりますよ。

 あなたの予想。

 

 茎をみてみましょう、何かに似ていませんか?

  私は〈竹〉に似ている様に見えます。

 とすると竹の仲間なのでしょうか?

 そうです竹の仲間です。

 でもグループの名前は〈竹科〉ではありません。

 竹もサトウキビも、ある植物の名前のグループになっています。

 それは私たちの暮らしに古くから身近な植物だったので、その植物の名前がグループの名前になったのでしょう。

 これです。

 田んぼで栽培されているイネ、日本人の主食〈コメ〉が実ります。

 サトウキビや竹とあまりにも大きさが違います。

 「似ているかなぁ」と思う人もいるでしょう。

 第一、竹やサトウキビには目立つ〈節〉があるのに、イネにはないのじゃないか。

・・・

 どうでしょう。

 あるんですよ、イネにも〈節〉が。

 これはイネの穂のスケッチです、〈第 I 節間〉〈第 Ⅱ 節間〉とありますね、節と節の間ということです。

 これはイネの茎をタテに割った写真です。
 しっかり〈節〉で区切られています。

 大きさや見た目からあまり似てない様に思えても、身体のつくりの基本的な部分は似ているというのがグループです。

 みなさんも、植物や動物をみつけたら「これは何のグループかな」という様に考えをすすめていくと、いろいろな発見があると思います。

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たのしい読書案内-小学校の国語の本の想い出/教科書的だというのは貶める言葉だけれど私には好きな教科書がいっぱい(子ども達にも伝えたい話)

 数回前の〈高校国語の教科書が愛読書〉という記事の後「注文しました」「高校の教科書を息子から譲ってもらって読んでいます」「古本屋さんに探しに行きましたが置いていないですね」という様な便りが届く様になりました。

「科書的だ」というのは貶める時に使う言葉だけれど私には好きな教科書がいっぱいあります。それに負けず「いい教科書もたくさんある」ことを伝えたいし、特に国語の教科書の内容にはいいものがたくさんあることは何度も書いておきたいと思っています。

「教科書」の想い出はたくさんあって、私の教師のスタートの時の国語の教科書のこともその一つです。

 国語の時間、子どもたちと一緒に朗読するのが大好きでよく読んでいました、その時強く残っているのが「太郎こおろぎ」です、今も掲載されているといいのだけど。

 いい話でした。

 私が務めることになった学校は少しだけ山側に登り始めた位置にあって、そこから山の頂上を見上げることができました。少し歩くと湧き水がコンコンと流れ出る場所があって、そこに行くと野菜を洗いにきた人たちからいろいろ話を聞かせてもらうこともできました。「太郎こおろぎ」に出てくる校舎は小さくて昔風だったのですけど、私にはまるでその学校が教科書に登場したかのような思いがする作品でした、遠くに見える山際もちょうど挿絵の様な感じがします。子どもたちも、自分の個性を包み隠そうとしない、すてきな子ども達ばかりでした。

 今でも心を澄ませるとあの頃の景色が目に浮かんできます、そして子ども達と朗読した大きな声の響きも聞こえてきます。

 題名の〈たろう〉が主人公といっていいでしょう、そこに〈しのちゃん〉と〈わたし〉が重要な役で登場します。

 最後の「太郎は◯◯になって、学校に立派な、◯◯◯◯」という終わり方は、半分好きで、半分は「もったいないことをしたな」と感じたことも覚えています。

 

 みなさんが心に残っている教科書の話があったら聞かせてくださいね。

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