仮説実験授業研究会初代代表〈板倉聖宣〉先生は、たのしい教育研究所を強く応援してくださった一人でした。その発想に、私は教師になったはじめの頃から強く影響を受けました、「これこそ未来の教育だ」と。
板倉先生の発想の方法を、メルマガの重要な章の一つとして毎回紹介しています。そのメルマガもすでに500号を超えました。
今回は6年前にとりあげた内容を少し取り出して紹介しましょう。
メルマガの発想法の章では、その頃に大きなテーマとなっている事象、たとえば頃な感染症や統一教会などの霊感商法についての見方考え方をとりあげたり、質問が多かったものについてとりあげたり、カウンセリングやスーパーバイズなどで紹介した内容などを取り上げています。
今回の内容はカウンセリングに来て「自分の教育方法を見直す」つまり〈予想変更〉することができた先生に語った内容のエッセンスです。
この発想でこども達と折り合いをつけ、柔らかく優しく対応できる様になったその先生は、今も元気に学校で活躍しています。
とりあげた内容は1986年5月28日東大阪の先生方の集まりで語った内容で、仮説実験授業研究会の大会で入手した資料を私が大切にコピーして残していたものです。文意を伝わりやすくするために、私いっきゅうが校正しています。
板倉聖宣
たのしい授業というものは「やろう!」と思ってできるものではありませんし、「やれ!」と脅したりおだてたりしても、できるものではありません。
たのしい授業をするためには、それを実現する処方箋、具体的な手立てが必要です。
こちらに来る前に、ある先生の記録を読ませてもらいました。
その先生のクラスの一人の子が〈笛が吹けない〉というのです。
「あの子が笛を吹けるようになったらうれしいだろう」と思って、なんとか笛が吹けるようにしてやろうと一生懸命それこそ〈毎日教えた〉というのです。ところが1ヶ月がんばってもついにその子に増えを吹かせることができなかった。
「笛が吹けない子どもを吹けるようにさせよう」というのは〈美しい志〉です。
でも「今日も吹けない」「今日も吹けない」となったとき〈あきらめるほうが美しいのか、あきらめないほうが美しいのか〉これはなかなか難しいのです。
「理想をもってまっしぐら」というのは、外から見ると美しいことです。
教えている人は、自分が理想だと思っています。でも、教わるほうは悲惨です。
「吹けないに決まっているじゃないか」と思っているのに、毎日毎日ありがた迷惑なことに熱く教えてくれる人がいる。
「あの先生から早く離れたい」と思っているのに、先生は情熱をもっているから始末におえないのです。
板倉聖宣は徹底的に子ども中心主義で考え語る人でした。
これだけ読むともしかすると「できない子には無理しない」というようにも伝わるかもしれません。
しかし私はこういう話をベースに「予想変更」して新しい方法、新しい目標に向かうのが重要だとだと伝えるようにしています。
私いっきゅうの教師のはじめは〈体育〉で、その研究授業をたくさん見せてもらいました。
私の敬愛するT先生が、鉄棒運動の研究授業の後、授業者の先生に「大柄な男の子が、ずっと逆上がりの練習を一人でしていた子がいました。いつからああいう感じでやっているのですか?」と質問し
「今回が◯回目です」と答えていました、はっきりとした数の記憶はないのですけど、2回目とか3回目だと答えたのは間違いありません。
それを聞いたA先生は
「我々がこういう授業をしていていいのでしょうか。私はとても疑問です」
というはっきり語っていました。
終わってから「きゆなくん、あの授業は一体なんなんだ。逆上がりのできない人間はずっと逆上がりばかりやらされなくてはならないのか」と、怒りが収まらないまま話していました。
板倉先生と同じことをA先生も語っていたのです。
私たちは教育のプロです。
こどもたちの自尊心を育てるのであって、傷つけていく仕事をしているのではありません。
自分の授業のやり方が正しいと思うのも一つの予想です。
その中でこども達が傷ついているとしたら〈予想変更〉して新しい方法、あたらしい目標に向かって行くのが教師の仕事だと思います。
保護者の皆さんも、今回の記事が、我が子にどういう教育をしているのか、見直すチャンスになれば幸いです。
こういう発想法に救われたという人たちがたくさんいます。
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