いよいよアンリ・ファーブルの資料を集めて読み始めています。板倉聖宣がファーブルについて語った資料も複数見つかりました。
電子データのファイルから「ファーブルは名文家」という資料を見つけたので「おもしろい」と開いてみると、なんと私自身が20年くらい前に書いたものでした・・・
これだけ文章をたくさん書いてくると、タイトルだけで〈自分のもの・他人のもの〉という様に見分けるのは難しいものがあります。
そのレポートは板倉先生の話から始まっています。
もうすぐたのしい教育メールマガジンの配信日です、そこに載せようかどうか思案中です。
もし載せなかった場合には、このサイトに続きをのせましょう。
さてさてファーブルさんの研究をして、意外なことに気づきました。ファーブルさんは昆虫記などでも経済的な苦しさをずっと書いていたので、生涯にわたってずっと貧しい暮らしをしていたと思っていたんですけど、50歳くらいにはかなりしっかりした土地と家を購入しています。
これが南仏に今もあるファーブルの家です。
しかも家政婦さんまでいました。
ファーブルさんの二番目の奥さんは、ファーブルの家で働いていた家政婦さんでした。
貧しい貧しいと書いてあるから貧しいんだ、と考えがちですけど、ファーブルがもっとも貧しかったのは子どもの頃で、それは親の事業の失敗によるものでした。
教師となって、やっとしっかり食べることができる様になりましたが、それはぜんぜん満足できるものではありませんでした。
しかしそうやって50歳くらいには、こういう家を手にするくらいになっていたのです。
ファーブルは、この購入した家で昆虫記をつづり始めるのです。
今日はここまで。
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