寒さに負けるなというけれど・・・

 私いっきゅうは、子どもの頃からずっと寒さに弱くて、今日の様な寒さにはほとほとまいってしまいます。

 厚手の靴下を三枚重ねて、上着はタフなやつ、ネックウォーマー二枚重ね etc. 
 それに熱い珈琲も離せません。

 その上で「これは人間が生きていられる気温ではないな」とか呟いているのですから、周りの人に笑われてしまいます。

 ところで、寒いところで過ごすエスキモー、イヌイットの人たちはかなり寒さに強いのでしょう。
 人間はいったいどのくらいの寒さに耐えられるのかと気になって「人間はどこまで耐えられるのか」フランセス・アッシュクロフト(河出書房新社)を開いてみました、この本はかなり面白いですよ。

 さて高度や深さなどの記録ははっきり記されているのですけど、そこには
「どのくらいの寒さに耐えられるかは、寒さにさらされる時間と程度によるので、寒さの限界を明確に定義するのは難しい」182p
 と書かれていて、「何度まで耐えられる」のかよくわかりません。それで一度読んだのに私の頭に残っていなかったのでしょう。ただし〈わからないこと〉を「わからない」とかけるというのは信頼できる本の条件の一つです

 雑誌「子供の科学」のサイトには人間の生きられる気温の幅は-50~+50℃と書いてあります。

 「ただし、衣服、食料、水分、塩分が豊富に利用できる環境が必要です」とあるのですけど、それはたとえば「2mの厚さのワタでできた服に包まるとか、暑さ過酷な温度に耐えられる宇宙服を着ていっぱい食べる、あるいは〈生命維持装置〉の中にいれば生きていられます」という様なこととも考えられるので、「マイナス50度の世界で生きていられる」と言ってよいのか疑問が残ります。

 さてさて、私が凍える様に耐えている今の〈沖縄〉の気温を調べてみたら16℃、これは情けないかな、すみません ・ω・)

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太郎こおろぎ その後/小学校の国語の教科書もおもしろい

 数回前、私がはじめて小学校の先生として子ども達の前に立った年、三年生の国語の教科書に載っていた「太郎こおろぎ」の話を書きました。いくつかたよりを頂いた他に、A先生が「読んだことがなかったのでアマゾンで注文しました」と国語の教科書作品を収録した〈光村ライブラリー〉を持って来てくれました。
 光村図書出版社、なかなか嬉しい仕事をしてくれています。懐かしく手にする人たちがたくさんいるでしょう、感謝。

 さて私も一冊欲しいなとamazonを検索していたら〈太郎こおろぎ〉の絵本がピンポイントで出て来ました、なんと・・・ 古本で約3万円。

 なるほどそれで〈せどり〉という転売ビジネスが成立するわけですね。
 こうやってバブルの様に高値にしていくことって、早く無くなって欲しいものです。

 閑話休題

 便りの中に、私が記事の中で

最後の「太郎は◯◯になって、学校に立派な、◯◯◯◯」という終わり方は、半分好きで、半分は「もったいないことをしたな」と感じたことも覚えています。

と書いたことにふれた方がいました。

 どこが半分好きで、どこがもったいないのか?

 あの太郎がみんなから信頼されて村長になったということが好きなエピソードです。そして〈コンクリート〉の校舎を作ったという〈古いものを新しくすることが素晴らしい〉と考えていた高度成長期の価値観そのものに残念な思いがするのです。どういう時代の流れ、価値観の変遷を経てもゆるがない作品というのはほとんどないでしょうから、それをもって「太郎こおろぎ」の価値を低く見る必要はないでしょう。

 みなさんの好きな、教科書の中に出てきた物語を教えてくれたら幸いです。

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ミヒャエル・エンデ「モモ」 その深さとたのしい教育との関わり

 夭折した文学者 中島敦の作品に〈名人伝〉という秀作があります。

当代1の弓の名人になりたくて修行を積んでいった若者が、それを追求し完遂した後、弓そのものさえ、それが何なのかわからなくなったという話。

 その結末に驚いてしまいました。

 2/11の記事でモモをお勧めした日、何十年かぶりに読み、驚きました。

 私の中に染み入っていたものの見方考え方の重要な一つが、エンデからもらったものだったことを発見したからです。

 身体は摂取した食べ物から作られるのは間違いないのに、どの食べ物から腕の筋肉ができたかわからない様に、エンデの思想が私の中に自然に入り込んでいるのでしょう。

 たとえば「〈これとそれはどっちが儲かるか〉という様なことは重視しない」という価値観など、たのしい教育研究所の運営に強く影響していることは間違いありません。

 私やたの研の価値観は別にしても、エンデの「モモ」は、効率や利益を主に生きている人(いやものしかするとほとんどの人たちがそうなのかもしれません)、そういう人たちや社会に警笛を鳴らし、人間の豊かな暮らしを失わない様に提唱した重要な本です。

 人と人とがのんびり会話を交わしつつ、お互い補い合いながらたのしく過ごしていく。そして自分の能力をフルに稼働して周りの人たちの笑顔に結びつくものに懸ける。ミヒャエル・エンデは「モモ」を通してそういう価値観を世界のいろいろなところで広げてくれた大切な人物です。

 65歳というまだまだこれからという時に命を閉じました。エンデさんの誕生日は11月12日です、本屋さん図書館でエンデ展を開いてくれるといいなぁ。

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ミヒャエル・エンデ「モモ」/たのしいブック・レビュー

 ミヒャエル・エンデの作品にはとてもお世話になりました、エンデの感覚や思想哲学が心の奥深くまで染み入っている気がします。

 最近メルマガの〈映画の章〉で村上春樹に触れた時、本を探している時、エンデの本が目に入り、手に取りました。


 「モモ」は映画化されましたが、それはがっかりする作品で、感動した本を原作にした映画を観るのはさける様になったきっかけにもなりました。

 さてさてみなさんは読んだことがあるでしょうか、「モモ」を。
 少し紹介しましょう。

 ある町のはずれのところに古い円形劇場があります。

 ある時、小さな女の子がそこに住み始めたという噂が立ちます。

 その噂は本当のことでした。

 女の子の名前は「モモ」。

 大人たちは、女の子が一人でこんなところに住むのは危ないと、モモにいろいろな提案をするのですけど、モモはここに住みたいといいます。

 その願いを聞きいれた町の人たちは、モモに食べ物をもっていってあげます。

 モモの得意なことがありました、人の話を聞いてあげることです。モモに聞いてもらうと、なんだか幸せな気持ちになっていくのです。

 そうやって町の人たちとモモはたのしく過ごしていました。

 

 そんな日々の中、町に灰色の男たちが現れるのです。

 灰色の男たちは〈どろぼう〉でした。ただのどろぼうではありません、かけがえのない〈時間〉というものを盗んでいくのです。

 そうしてモモは灰色の男たちとの闘いに入っていくことになるのです・・・

 その時にはモモを助ける〈カシオペア〉というカメがかわいいことかわいいこと。これ以上話すと最後まで途切れない気がするので、とめておきましょう。

クラスの子どもたちへの読み語り本としてもおすすめです。図書館にもあると思います。手頃な文庫もありますから、手に入れておくのもよいと思います。

 まだの方はぜひどうぞ。

 

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