偉大なる まど・みちお@たのしい国語

以前、このサイトに「まど・みちお」について書いた(⇨過去の文章)のですけど、それより前、まどさんが生きていた頃に書いた文章が出てきました。

教師をしていた頃、週報にかいていたコラムです。

いろいろな方に読んでもらいたいので、ここに再録したいと思います。

———

私にとって、まど・みちおは「偉大なる人間」です。

ダウンロード2「ぞうさん」

「やぎさんゆうびん」

「ともだち ひゃくにん できるかな」

など、子ども達に親しまれる歌を世に送り出した人物でもあるけれど、それ以上に、年を重ねてもなお創作意欲を失わずに歩き続ける姿に感動するのです。

そして、その作品を生み出す彼の心が、子どものように純真である事に感動するのです。

何より、自らの行動に対しても偽らず、まっすぐに前を向いて生きて行こうとする姿勢に感動するのです。

最近、まど・みちおの訃報が届くのではないかという気がしてなりません。
偉大なる人物と同じ時を生きているうちに、この文章を書いておきたいと思います。
私がまど・みちおを心底尊敬するようになったのは、
「あなたの全作品集を出版したいのです」
と申し出た出版社に対して,彼が語った言葉に触れてからです。

「私は生涯で、戦争に賛成する詩を二編書いてしまいました。
 私がそんな不完全な、弱い、ごまかしをする人間だという事を明らかにする意味
 で、必ずその作品を探り当てて掲載してほしいのです」

 

「まど・みちお全詩集 伊藤英治編 理論社」の「あとがきにかえて」にこうあります。696ページからです。

まど・みちお全詩集スクリーンショット 2015-06-15 14.34.57

 

 じつは私には戦争協力詩を書いたという記憶が全くなかったのですが、この二編のうちの一編「はるかなこだま」を、昨年三月初めて目にしました。

 梅花女子大の谷悦子さんが、原本とは別の印刷物に転載されているのをみつけて、そのコピーを送って下さったのです。
まぎれもない拙作で、大ショックでした。

 しかし考えてみますと、私はもともと無知でぐうたらで、時流に流されやすい弱い人間です。
こういうのを書いていても不思議ではないと思われてきました。

 

が、にもかかわらず私は戦前から、人間にかぎらず生き物のいのちは、何ものにも優先して守られなくてはならないと考えていました。
戦後も、戦争への反省どころかひどい迷惑をかけた近隣諸国にお詫びも償いもしない政府のやり方に腹を立て続けてきました。
また地元の「核兵器廃絶、軍縮をすすめる区民の会」だけでなく「アムネスティ・インターナショナル」や「キリスト教海外医療協力会」やその他この種のいくつもの会にも、誘われるままに参加しています。
詩作のうえでも身辺の動植物を多くとりあげ、かれらのいのちの美しさをほめ、かれらに対する人間の横暴残虐を憤ってきました。

 つまり、一方で戦争協力詩を書いていながら、臆面もなくその反対の精神活動をしているわけです。
これは私に戦争協力詩を書いたという意識がまるでなかったからですが、それは同時にすべてのことを本気でなく、上の空でやっている証拠になりますし、またそこには自分に大甘でひとさまにだけ厳しいという腐った心根も丸見えです。
そしてとにかく戦争協力詩を書いたという厳然たる事実だけは動かせません。

 動転した頭でどうすべきか考えましたが、昔のあのことの読者であった子供たちにお詫びを言おうにも、もう五十年経っています。
懺悔(ざんげ)も謝罪も何もかも、あまりに手遅れです。慙愧(ざんき)にたえません。
言葉もありません、と私は私の中のはるかなところから、母のように私に注がれている視線に掌を合わせ、心を落ちつけました。

 そして結局この「はるかなこだま」を公表して、私のインチキぶり世にさらすことで、私を恕(じょ)していただこうと考えました。
本当に慙愧(ざんき)しているのなら、詩作の筆も絶って、山にでもこもるところでしょうが、あとで記しますように、私の中にはかすかながら私を庇いたい思いもあって、このような虫のいい対応を考えついた次第です。

 そこで私は、かねて詩稿が揃いしだい詩集に具体化の約束を頂いている童話屋さんに頼んで、「はるかなこだま」を同詩集に収録させてもらう了解をえました。
…続く…

こういう人物が、同じ日本人である事をとても誇りに思います。

まど・みちおは、日本人の良心を代表する人物だと思います。

その意味で、わたしにとってのまど・みちおは「偉大なる人間」なのです。

最近は、よく、まどさんの「百歳日記」を開いています。
名作です。

まどさんの命が、まだまだ続きますように。

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おすすめ読み語り/「ノラネコぐんだんパンこうじょう」工藤ノリコ(白泉社)

我が家には、ニケランジェロという、のんびりネコがいます。
ある日の朝、研究所に行こうと準備していると、ニケランジェロがいつもの顔つきではない、哲学的な顔をしていました。

なにやら考え事をしているようです。

「お、かっこいい」と思い、パチリと写真をとりました。

スクリーンショット 2015-06-13 12.15.26

 

するとそれから10秒もしないうちに‥‥

‥‥バタリとこうなりました。

スクリーンショット 2015-06-13 12.15.40
なんだ、眠かったのね。

‥‥朝なのに。

ということで、わたしもネコは大好きです。
もちろんワンちゃんも大好きです。

今回は、本大好き人間のHina先生が、たのしい教育Cafeで紹介してくれた

『ノラネコぐんだんパンこうじょう』   工藤ノリコ (白泉社)

をUPします。

このネコさんたちが、たまらないのです。
ぜひ、自分も味わいながら、子ども達に読んであげてほしい作品です。

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ノラネコぐんだん パンこうじょう (こどもMOEのえほん) (コドモエ[kodomoe]のえほん)

ここは「ワンワンちゃん」の「パンこうじょう」です。
中にはおいしそうなパンが、ずらーっと並んでいます。
「ニャー、パンおいしそう」

「ニャー、パンたべたいね」

とノラネコぐんだんが、窓からのぞきながら、パンのつくりかたをみています。
このときの何かをたくらんだような顔もなかなかいいですよ。
夜、ノラネコぐんだんは、パンこうじょうに忍び込んで、パンを作りはじめます。

作ったのはいいのですが、なんと、パンこうじょうを吹っ飛ばすほどの大きなパンが・・・

 

ワンちゃんにばれて説教をされ、その時に、素直にあやまるところ、ワンちゃんとノラネコたちとの掛け合いもおもしろいですよ。

悪いことをしたノラネコたちは、すぐには許してもらえません。

がんばってはたらくノラネコたちの様子など、とてもかわいくて思わず笑ってしまいます。

ワンちゃんと陽気な猫たちのキャラクターも可愛くて大好きな絵本です。
大人が読むと、癒しにもなると思いますよ。

大人にも子どもにもおすすめします。

Hina記

ファラデーは小学校しか出ていない|板倉聖宣「わたしもファラデー」|読書のすすめ

嬉しいことに、このサイトを小学生も開いてくれるようになりました。
そこで、書いていく時に「漢字をできるだけ減らして」ということも考えられますが、小学生の皆さんは、わかりにくい漢字や言葉が出てきたら、ぜひ調べながら読んでくださいね。

研究所を設立してから、以前の読書量が100分の1くらいにへってしまいましたが、それでもわたしも読書が大好きです。

板倉聖宣が、著書「わたしもファラデー たのしい科学の発見物語」の「まえがき」の中で、こういうことを書いてくれています。
わたしもファラデー―たのしい科学の発見物語

書きぬいてみます。

あなたは、ファラデーという科学者を知っていますか。
この人の名は、科学者の間ではとても有名ですが、一般の人びとにはあまり知られているとは言えません。
だから、知っていなくてもかまいません。
この本を読めばわかることだからです。
じつは、フアラデーという人は、小学校しか出ていないのです。
それなのに、今なら「一人でノーベル賞をいくつも受賞する」ほどの数々の大発見をつ守つけた科学者なのです。

どうして、そんな発見ができたのでしょうか。
私は、そのことをさぐろうとして、この本を書いたのです。

その結果、つくづく、「すぐれた科学者になるには、いい科学者にめぐりあうことが大切なんだなあ」と思いました。

フアラデーさんは、「デーヴィという素晴らしい先生、大科学者にめぐりあうことができた」のです。

それは偶然でしょうか。
それは偶然ともいえますが、彼が求めた結果ともいえます。
すぐれた科学者になるためには、「どんなことを研究したらいいのか」を知ることが、何よりも大切です。

いい先生につければ、その勘どころがわかるのです。
そして、「どのように生きればたのしくなるか」ということもわかってくるのです。
みなさんの近くには、そんな素敵な先生がいますか。

いなかったら、どうすればいいのでしょう。
そのためには、「〈たのしい科学の木〉を読めばいい」と思います。いい本はすぐれた先生の代わりをしてくれるからです。
私はこの本の中で、「ファラデーさんがどのようにしてたのしく研究したか」ということを、いきいきと描き出すことができたと思っています。

そこで、この本は、みなさんが「大科学者のようにたのしく生きる土めのヒント集」にもなると思っています。
「いい本は、おもしろくなくてもがんばって読まなければいけない」という人がいます。
しかし私は、「科学は〈いやでもがんばって勉強しなければならない〉というほどつまらないものではない」と思っています。もし、難しすぎて「たのしく読めない」と思ったら、この本も途中で読むのをやめてください。いつか興味がわいてきたときに読んでくださればいいのです。自分の興味を犠牲にすると、たのしく生きることができなくなってしまいます。

 

ファラデーは、いい先生についたから、いい仕事ができた。
そういう先生が見つからないときにはどうするか?
そんな時に、いい先生の役を担えるのが「本」なのです。
わたしも、どれだけ、本から学んだか計り知れません。

きっとすばらしいことをいろいろ学べると思っていた大学で、けっきょく、高校の頃と同じ様な授業が続く日々、わたしをた助けてくれたのが「本」でした。
そして「図書館」でした。

スクリーンショット 2015-06-08 11.56.18

最近は、ゆとりが少しずつ出てきて、本を手にすることもできる様になりました。
どきどきしながら、わくわくしながら開く本の香りがうれしくてなりません。

このサイトでは、絵本をはじめとして、いろいろな本を紹介しています。
これからも、どんどん紹介していこうと思っています。
ご期待ください。

「たのしい教育」で豊かな人生を送る人たちが増えていくことをたのしみに全力投球中の「たのしい教育研究所」です。

お金は無いが、科学の実験・講座に参加したかったファラデー

板倉聖宣の「わたしもファラデー」、二度目の読書を終えました。人間ファラデーを感じる名著です。

そのエピソードの一つを紹介させてください。

製本の職人になるために徒弟奉公をしているうちに科学に興味が高まってきたファラデーは一枚の張り紙を目にする部分です。
スクリーンショット 2015-06-03 9.09.02「科学の実験・講座1回1シリング」という張り紙。
他の著者は、いい加減に誤魔化す部分も、板倉はそれが今のお金でいくらくらいか、という事を必ずといっていいほど書いてくれます。他の著書でもほとんどそうです。

1回1000円の科学の実験・講座。
わたしの教育研究所で月に一度オープンする「たのしい教育Cafe」の数字と一緒なのに驚きました。

それにしても、徒弟奉公というのは給料がなかったのですね。
兄に出してもらったファラデーは、その実験・講座に参加し、それがきっかけで、講師だったテータムさんの開催する研究会にも参加させてもらうこととなります。

いまでいえばノーベル賞をいくつも受賞したであろうファラデーが、科学の道へと進んでいく様が、彼の息遣いとともに伝わってくる様な作品です。

おすすめいたします。