みなさんは「正しい予言」というものが存在すると思いますか? 「人間はいずれ死ぬ」という様なことではなく「10年後の◯◯年◯月に戦争が起こる」という様な。
〈ノストラダムスの大予言〉は外れたけれど〈◇◇の大予言〉は当たるとか。
久しぶりに「たのしい教育の見方考え方・発想法」を紹介しましょう。以前メルマガに取り上げた〈ダニエル・カーネマン〉の「ファスト&スロー」ハヤカワノンフェクション文庫 からです。著者のダニエル・カーネマンは経済学と認知科学とを統合した理論で〈ノーベル経済学賞〉を受賞しています。
過去は容易に説明できると感じられるため、大方の人は〈未来が予測不能だ〉とは考えようとしない。
ナシーム・タレブが『ブラック・スワン』の中で指摘したように、私たちは過去についてつじつまの合った〈後講釈〉をし、それを信じ込む傾向がある。
そのせいで、自分たちの予測能力には限界があるとはなかなか認めたがらない。
あらゆることが後知恵で見れば意味を持つ。だから金融評論家は毎晩、その日の出来事について説得力のある説明を披露できる。
ところが私たちは「今日後知恵で説明がつくなら昨日予測できたはずだ」という直感をどうしても拭い去ることができない。
〈過去をわかっているという錯覚〉が〈未来を予測できる〉という過剰な自信を生む。
私たちは大きな社会的事件や文化・技術の発展に注目したり、一握りの偉大な人物の意図や能力を分析したりすれば、過去を説明できると考えている。だが重大な歴史的事件を決するのは運にほかならない。
この見方はひどく衝撃的かもしれないが、しかし冷厳な真実である。
社会が劇的な変化を遂げた二〇世紀の歴史は〈ヒトラーやスターリンや毛沢東〉の果たした役割を抜きにしては語れまい。
だが考えてみてほしい、卵子が受精する直前のほんの〈一瞬〉、後にヒトラーとなる胚が女の子になった可能性が半分はあったのである。
この三人の分を合計すると二〇世紀に〈彼ら三人がそろって存在しなかった可能性〉は〈1/8〉あったことになる。「いや、彼らがいなくても二〇世紀の歴史はほとんど変わらなかった」と主張することはまず不可能だろう。
たった三つの卵子の受精が重大な結果をもたらしたのだから、長期的な歴史の流れを予見できると言い張るのは物笑いの種でしかない。たのしい教育全力疾走RIDE(たのしい教育研究所)、みなさんの応援が元気の源です。一緒にたのしく賢く明るい未来を育てましょう。このクリックで〈応援〉の一票が入ります!