六月は沖縄にとって特別な月です。
六月二十三日は〈慰霊の日〉、沖縄で犠牲となった20万人の命を悼み、平和への想いを新たにする日です。
その日に向けて学校では、平和をテーマにしたお話会やパネル展などが実施されています。
「20万人の命が〈戦争〉によって失われた」
わずか一行におさまるその言葉には、刻むことのできないほどの悲しみが重なっています。
沖縄での両軍及び民間人を合わせた地上戦中の戦没者は20万人とされる。 その内訳は、沖縄県生活福祉部援護課の1976年3月発表によると、日本側の死者・行方不明者は188,136人で、沖縄県外出身の正規兵が65,908人、沖縄出身者が122,228人、そのうち94,000人が民間人である日本側の負傷者数は不明。
ウィキペディア
沖縄戦で失われた20万の命。
その20万という命は、どれくらいの期間で失われたのなのでしょう。
一年
二年
三年・・・
あるいはもっと長い期間か、それとももっと短い期間か
みなさんはどう思いますか?
※
去った戦争には第二次世界大戦、太平洋戦争、日中戦争という様に、いろいろな呼び名があります。
1937年、日本は中国と戦争をはじめました。これを〈日中戦争〉と呼んでいます。
各国の利害が重なり、幾つもの国が連合軍・同盟軍に別れて戦争を始めたのは1939年、これを〈第二次世界大戦〉と呼んでいます。
1941年、日本は米英軍に宣戦布告しました。その戦争を太平洋戦争と呼んでいます。
日本でそれらの戦争が終結したのは1945年の8月です。
日本がポツダム宣言を受け入れた翌日の8月15日を終戦の日としています。
太平洋戦争の長さでいえば約4年、第二次世界大戦では約7年、日中戦争から数えると約9年の長きに渡って日本は戦争を続けていたのです。
なんという長さでしょう。
その長い戦争の中、沖縄戦で失われた20万人の命。
どれくらいの期間で失われたものなのか。
※
アメリカを主体とする連合軍が沖縄で戦闘を開始したのは1945年3月26日、それが終結したのは同年6月23日、正確には三ヶ月には満たない期間で20万人という命が失われたのです。その短さに、どれほど恐ろしい惨劇が重ねられていったか、思い知らされます。
さらにその20万人、一人ひとりには家族・親族がいます。身を引き裂かれる様な悲しみに襲われた家族・親族の方たちを数えれば、その何倍にもなります。今もまだその悲しみを抱えた人たちがたくさんいるのです。
2度とこういう悲劇が起こらない様に、それは全ての人たちの思いでしょう。
特に私たち教育に携わるものは、その思いを強く胸に刻まなくてはいけません。
ではどうすればよいのか、どうすれば戦争を起こさない様な社会を作ることができるのか?
その答えはたくさんあるでしょう。
今回は、わたしが日頃から考えている、その答えの一つを書きたいと思います。
※
ここ最近のマスコミを賑わわせている一つが〈大学のアメリカンフットボールの試合で起こった異常なタックルの問題〉です。
話がそれた様に感じるかもしれませんが、少しこのままお付き合いください。
研究所も、それに関わるコメントをいろいろな方から求められました。
たのしい教育研究所は何かを批判する組織ではなく、明るい社会を拓く具体的な方法を提案する組織です。すると、この問題はたのしい教育という視点から特にコメントする内容ではない、という様にも思えますが、あながちそうでも無い様な気がして、何人かの方にお答えしました。
そのことについて触れていきたいと思います。
もちろんここでは、誰が悪いという様な断罪ではありませんし、マスコミで糾弾されている様なことを繰り返すつもりもありません。
テレビでは、〈監督が悪い〉〈コーチが悪い〉〈謝り方がなっていない〉〈加害者側の学生が立派だ〉という様な視点でいろいろな人たちが意見を述べている様です。
みなさんは、その問題に関してどの様に感じて、考えているでしょうか。
まずみなさんが、このアメリカンフットボールの問題について考えていることを聞かせていただけませんか。
次回に続く
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