今回は長いタイトルです、板倉聖宣の発想を紹介する前の私いっきゅうの言葉に反響が大きかったので、今回はその部分を紹介させていただきます。
いっきゅう
たとえば〈植物好き〉な人たちは何しろその知識が豊富なので植木市とかを一緒に歩いているとどんどん紹介してくれます。
「これはパキラ」「これはドラセナ」
「これはオーガスタ」
「これはアルテシマ」
ところが私はさっき教えてもらった植物と今指差してくれている植物の見分けもつかないので、次第に「勘弁してくれ」と感じてしまいます。私には「あれもこれも室内の光の強さで育てられる植物たちだよ」くらいで十分なんですね。焼き物マニアの人たちは「南蛮焼と壺屋焼とはぜんぜん違う味わいがあってさ」といったりするのですけど、南蛮焼と大判焼の区別がつかない人には「いったいどんな味なんだろう」って思ったり・・・
昆虫好きは昆虫好きでどんどん名前を披露する。
以前、県の仕事で関わったある人物は、アブラゼミについて「先生たちはほとんどアブラゼミというけど、ちゃんと〈リュウキュウアブラゼミ〉だと教えてほしい」と語っていました。
私は頭の中で「この方は、子どもが〈ご飯おいしいね〉っていった時〈ゴハンではなくコシヒカリと言ってください、先月食べていたのがアキタコマチです〉って教えるのかな」と考えてました。人間の思考の過程を大切にしないで「図鑑中心でいきましょう」というのは、たのしい教育から遠い発想です。
さて、前回と同じ板倉講演の中に、これと関わることがみつかりました。
とても共感する内容で、親も教師も知っていた方がよいと感じています・・・ここまで
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